TakerからGiverになりたい【121】
長い間、自分がTakerだったことに気付かなかった。
その事に気が付いた今
自分は何を人に与えられるか
自分の存在が与えられる影響とは何か
を考えるようになった。
人は鏡。
自分の問題によって相手の問題を浮き彫りにする事もある。
相手の問題を解決する鍵を自分が持っているかもしれない。
「Giverになりたい」と思った時
聖人君子のような人も羨む完璧な人間にならなければと思い、欠点だらけの人間が、相当無理をして良い行いを試みた結果。
無理し過ぎて体調を崩した。
果てしなく遠すぎるゴールを目指して、頑張ってみたけど、自分には無理だと嘆き、精神バランスを崩して、コントロールも不能になり、仕事中にも関わらずよく泣いて、周囲の人を困らせていた。
そんな過去の自分を、今振り返ると
TakerでもありGiverでもあったなぁ
と感じる。
自分のメンテナンスを自分でする事ができず
怒りや不満、愚痴、悲しみや心配事などネガティブオーラを撒き散らして、人の時間を奪うのはTaker。
自分のTakerっぷりに気付いた時は、気力を失った。
だけど、そんなどうしようもない人間にも意味があって、必要だから、存在している。
悲しんでいる人を見たら、支えてあげよう、励ましてあげよう、寄り添ってあげようと思う人が現れる。
それは、悲しんでいる人が、人の優しさを引き出す役目を担っている。
不安や心配事を口に出す人がいるから、その問題を解決してくれる商品やサービスが生まれ、社会が発展していく。
怒りを表す人がいるから、それを受け取った人が、自分を客観視するきっかけになったりと、ネガティブなことにも何か意味があるのだと気が付いた。
大切なことは、これは良くて、これはダメということはないのだということ。
起こった出来事に対して、ただ喜びや怒り、哀しみ、楽しみを感じる自分がいるだけのこと。
自分はどんなことにどんな感情を抱き、どんな行動を取るのか、観察してみるとおもしろい。
すべての感情には、意味があって、その時のその人にとって必要な感情をその人が起こす。
だから、こうでなければならないということはない。
自然体でいいのだ。
怒ってもいいのだ。
悲しんでもいいのだ。
落ち込んでもいいのだ。
愚痴をこぼしてもいいのだ。
その時の自分がそれを必要としていたのだから。
受け取る側も、その時にその人が必要な感情で受け取るから大丈夫。
必要な感情を出すことができた。
そんな自分を自分で許してあげよう。
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