あっちのポジティブをこっちの憂鬱に混ぜ込んでみたら
4月から始めたアルバイト。
某受付スペースの中で、精算、各種予約や問い合わせへの対応などなど行っています。
で、ここの同僚と最近スタートしたのが「職場カイゼンプロジェクト(仮)」。
プロジェクト、始動
そもそもここでの仕事、周りの大多数を占める学生ちゃんたちが超有能&いい子ばかりで、聞けば親切に教えてくれるし、こちらに抜けがありそうなときはきっと言いにくいだろうに「美穂さん、〇〇入力しました?」ってきちんと確認してくれる。
恵まれた環境の中で働けていて快適なのですが、時間数と比例してとにかく経験を積まないと、どこになにがあるのかわからない、だから質問してばかり…みたいな部分に小さなモヤモヤを抱きました。
IT周りはうまいこと活用している職場なので、オンラインコミュニケーションやデジタル面での検索環境は整っているのだけれど、アナログ部分はとにかく場数を踏むしかない!みたいな…ね。
つまり、物量がものすごく多いんです……!
必要なものはどこにあるのか?
聞かなくてもわかる。
もし聞いたとしても、一度聞けば覚えられる。
そういう環境にしていけたらみんなの生産性はあがるだろうな、って。
たまたま同じタイミングでシフトに入っていた同年代のスタッフと何気なく話すうちに、お互い似たような課題感を持っていることが分かり、「一緒にやらない?」というお誘いを受けて立ち上がった今回のプロジェクト。
たまに片付けのためだけに別枠出勤させてもらうこともありますが、基本的には勤務時間中に通常業務と並行して進めています。
わたし、お片付け嫌いなはずなのに!?
で、このプロジェクトが、個人的にはものすごく楽しいわけです。
もちろん、やらなくてもいい仕事をやっているから、失うものはないし、誰かから文句を言われることもないので、気持ちがラクなのは当たり前なのですが……。
でもね、わたし、基本的には片付けや掃除が得意ではない人種。
家でのお片付けタスクも、ついつい後回しにしがちなんですよ。
なのに、職場では、別に時給が上がるわけでも、手当てが出るわけでもないのに、暇を見つけては片づけてる。このままでも私もみんなも働けるのに、わざわざよくしようと片づけてる。
いったいこれはなんなんだ?
職場のポジティブを家庭に持ち込みたい!
で、ちょっと分解したときに出てきたポジティブ要素がこちら。(順不同)
共感してくれる人と進めている
信頼できる人の協力を得られている:
ライターとして以前からお付き合いのある方々のいる職場なので、私自身への評価ポイントを自覚しながら協力を仰げている結果に対して言葉に出して感謝される:
「このスペースが空いて仕事がしやすくなりました」「見やすくなりました」私ならではの価値が出せている:
「私たちの身分では言い出せなかったので、違う立場の方から「これ変えませんか?」って声をあげてもらえてありがたい」by学生ちゃん「自分が働きやすくなる」「よりテキパキ動ける職場になる」という未来が描けている
自分にとって歴史を持たない環境だから、要否の仕分けに負担がない
――なんてことをぼんやり考えていたら、目の前にこんなツイートが現れました。
ストレングスファインダーのコーチングでお世話になったちひろさんのこの一言。
なるほど!
わたしは「片付け」そものもが苦手なんじゃなくて、「一人で」「誰の共感もなく」「目の前にあるものをただただ」片づけるってことが憂鬱なのかも!
だったら、職場の片づけを家に応用すればいいってことですね!例えばこういうこと。
憂鬱を「やりがい」にデザインしなおす
こう捉えなおしてみると、ただ「億劫だ」と思いがちな行為も、場所や状況が変わるだけで能動的になってしまうことって、気づいてないだけで実は意外とあるのかも…?
さっき考えた「職場のポジティブを自宅に持ち込む」ってのは、つまり「憂鬱をやりがいにデザインしなおす」大きなヒント。
これからは、この「私なりのやりがい」に変換しなおすという行為に注目して過ごしてみたいと思います!