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ウクライナ、殺害脅迫され続けるシャリー党の党首、アナトーリ・シャリーに関する日本語の記事集め



ウクライナのシャリー党党首アナトーリー・シャリーは
キエフ出身のウクライナ人ブロガーで、ジャーナリストである。

YouTubeを媒体として、数々の事件等を引用元や証拠を提示しながら論理的に解説することで支持を得てきた。

シャリーはウクライナの政治の汚職をすっぱ抜くことでも人気がある。
その為、親ロ派と呼ばれているが、実はロシアの汚職も暴き、時には世界でのそれも暴露し、現在自らを中立と位置付けている。民衆受けは良いが、政治家からは煙たがられ、何度も命を狙われている。腕のタトゥーはバラバラにされた時に本人のものだと分かるように入れたそうだ。皮肉と毒舌をユーモアに混ぜ込んでロシア語とウクライナ語も入れて語る。

2014年からのウクライナ紛争で、惨劇だけでなく南東部の生活状況をも紹介する中、年金を打ち切られた南東部のお年寄りを現地のフォロワーなどの仲間達と、活動で得た資金で助ける活動もしていた。それらは彼のチャンネル内で共有されていたので、偽善とか売名ととられるかもしれないが、助けられた人がいたのは確かだ。

心に残っているのは、
西側でいう”ウクライナ侵攻”開始の日、2022年2月24日から数日、10~12時間くらい繋げたままライブをしていたが、ショックで話せず、途方に暮れてカメラを見つめていた事。この時の彼の動画を見ていた殆どの人が同じ気持ちだったと思う。
https://www.youtube.com/live/7gO6vuI2-BQ?si=0V_OIOYQ4S3AN4Rb

(自分も”侵攻”はない、プーチンは挑発に乗らないと思っていた。・・・東部の都市や民間人がウクライナ政府の標的から守る目的は理解できるが。)



(2022年2月以降YouTubeもTwitterXも何度かバンされたはずだが、今は全部、復活されているようだ。YouTube側も儲かるし、我々平民を分断させるための役に立つのだろう。)

YouTube チャンネル ↓
日本では無名だが、世界中にフォロワーがいる。
現在チャンネル登録者数:298万人

YouTube に表示の サイト等リンク先
 Почта:anatolijsharij@sharij.pro
 Telegram:t.me/ASupersharij
 Канал-дубль Анатолия Шарий
  :youtube.com/user/20012006
 Новостной сайт:sharij.net
 В Контакте:vk.com/id26867380
 instagram:instagram.com/anatolijsharij
 Twitter:twitter.com/anatoliisharii



シャリー党のシンボル、赤風船を持つ支持者達の行進
投稿日2019/07/21




シャリー英語版Wiki (日本語版なし)
Anatoly Anatoliiovych Shariy


以前にも書いた(短い)記事 ↓


”シャリー”の発音は、語の後半に力点があるので ”シャリイ”の方が近いと思うが、多くの他の記述に合わせて”シャリー”とした。前回のシャリーの記事 ↑では、シャリイと表記している。

   ー  ー  ー  ー  ー



日本での知名度は低く、資料は少ないが、日本語ではどれくらいの記事や記述等があるのか、出来るだけ集めてみた。日本語検索でも前回の1年半前よりシャリーの名・党名がより多くヒットした気がするが、 ”duckduckgo” の検索エンジンを使ったからでもあろう。
が、いずれにしても少ないので、見つけた記事のほとんどを載せている。



※引用記事は元ページでご確認ください。

Wikiより:

アナトーリー・シャリー

(ロシア語版)
ウクライナ語での出生名 :Анатолій Анатолійович Шарій
生年月日 : 1978年8月20日(45歳)
出生地 : キエフ、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国、ソ連
国 : ウクライナ
欧州連合の住居: リトアニア · オランダ · スペイン
職業 : ジャーナリスト、YouTuber
活動年数 : 2014年~現在
ウェブサイト: sharij.net

YouTube 動画ジャンル:政治、ジャーナリズム
フォロワー : 297万人(2024年7月)
再生回数 :50 億 7,000 万回 (2024 年 7 月)

シャリー党Wiki

(英語版)

リーダー : アナトリー・シャリー
設立 :2019年6月6日(現在の形態)
    2015年2月3日(統一ウクライナとして)
禁止 : 2022年6月16日(控訴中)
    2022年9月6日(ウクライナ最高裁判所により最終控訴棄却)
本部 : ハリコフ
イデオロギー : リバタリアニズム
        電子民主主義
        ロシア愛国主義
        欧州懐疑主義
色 : 赤 白
スローガン : 国を統治する人たちが好きですか?
       — 私たちは好きではありません。
ヴェルホフナ・ラーダ 0 / 450
地域 0 / 158,399
オデーサ州議会 6 / 84
ウェブサイト : sharij.com.ua

(ロシア語版Wiki)
リーダー : オルガ・シャリー(2019年~)
創設者: アナトリー・シャリー
設立 : 2015年2月3日
廃止 (禁止):2022年6月16日
本部 : キエフ、ウクライナ
国 : ウクライナ
イデオロギー : 統括政党、リバタリアニズム、
   電子民主主義、地域主義、ロシア主義、
   欧州懐疑主義、ポピュリズム
同盟者とブロック : 野党の綱領 - 生きるために
モットーは「真実をラーダに!」*
    *ラーダ とは
     ”ウクライナ最高議会” 
最高議会の議席数 : 450 のうち 0 (IX 招集)
地方議会での地位 : 52/43122
党のシール :「真実への権利」
ウェブサイト : sharij.com.ua



キエフにて、シャリー党の支持者達
2019/07/09投稿



TwitterX から抜き書き(時系列)

”シャリー党” でX内を検索

TwitterXから2019~2021年

2019年7月10日

2020年8月19日


2021年2月19日



2021年10月31日




TwitterXから2022年


2022年2月17日


2022年3月20日





2022年3月21日





2022年3月22日


2022年4月5日




2022年4月12日

(↑ 文章間違いの可能性)


2022年4月23日


2022年4月29日


2022年5月5日


2022年5月5日

↑ このポストも  
TwitterXの検索ではヒットせず、
duckduckgoの検索で見つけた。
     2番目 ↓     

ここの1番目のポストは
何度もアカ・バンされた投稿者によるもの

その度に新しいアカウントで復活し、
イーロン・マスクがTwitterを買い取った後は
バンされなくなった模様


2022年6月18日


2022年6月18日

2022年6月27日

知ってる人は知ってる。大使館からウクライナ人は入隊できないことを。 誰騙しのアピールだよ?とシャリー党のシャリーが言ってた


2022年7月4日


2022年7月16日


2022年7月25日


2022年8月18日

https://x.com/Mari21Sofi/status/1560068366311665664


2022年8月23日


2022年9月9日


2022年11月6日



TwitterXから2023年~

2023年1月9日


2024年1月21日

|




アナトリー・シャリー 事件

2022 年 4 月 29 日
この記事の中で”アナトリー・シャリーの事件”として、リンク先のページ下部で登場。(↓ はシャリー事件の記述のみコピペ・原文は英文)

アナトリー・シャリーの事件”とは (リンク先英語よりgoogle和)
キエフ、ウクライナ — 3月7日、ウクライナの反政府勢力の人物であり、同国で最も人気のあるジャーナリストの一人であるアナトリー・シャリーは、何年も連絡を取っていなかった旧知のイーゴリから電子メールを受け取った(イーゴリは、自分の身元を守るために使われた別名である)身元)。 「住む場所を探したり、アパートやエージェントを紹介したりするのを手伝ってください。あなたが何と言おうと、私はあなたのためにどんな仕事でもする準備ができています」とメールには書かれていました。 「彼がSBUの手に渡っていることに気づきました」とシャリーは私に、ロシアに同情的な容疑で告発された者を迫害することで悪名高いウクライナ国内諜報機関の頭字語を使って語った。 「誰と話しているのかは分かりましたが、特に何も答えませんでした。」 シャリーは、SBUがイーゴリに暗殺未遂を監視させようとしていたのではないかと疑った。 4 日後、シャリーさんは別のアドレスからメールを受け取りました。今度はイゴールであり、最初の電子メールが SBU エージェントによって書かれたものであるというシャリーの疑惑を裏付けた。イーゴリ氏は、ロシアとの関係を理由に尋問と拷問を受けていたと説明した。 「SBU職員たちがアナトリー暗殺計画を準備していることに気づき、彼の命が危険にさらされていることを警告することに同意することにした」と彼は電話で私に語った。 シャリー氏はヴィクトル・ヤヌコビッチ大統領時代に逃亡し、EUで政治亡命を受けて2012年から亡命生活を送っている。 2014年のマイダンクーデターに対する彼の反対は彼の知名度を高め、その後権力を掌握したペトロ・ポロシェンコの標的となった。彼が以前に暴露したネオナチ運動は深刻な政治的権力を獲得し、彼に対する攻撃を激化させた。 2015年、リトアニアのメディアはシャリーを「プーチン大統領のお気に入りの友人」と決めつけ、リトアニア政府はすぐに彼の亡命を取り消した。一方、シャリー氏は他の場所で保護を求めてスペインに移住し、そこでウォロディミル・ゼレンスキー大統領の最も人気のある批評家の一人に成長し続けた。 しかし、彼の苦境はほとんど改善されていない。 2019年、ネオナチ・アゾフ大隊の元兵士アレクサンダー・ゾロイトヒンは、シャリーとその妻オルガ・シャリーと幼い子供が住んでいる家の住所と写真、そしてオルガの車の写真を公開した。ウクライナのネオナチが自宅前でデモを行い、彼は何度も殺害の脅迫を受けた。 現在、彼はキエフ政府、ネオナチ民兵組織、SBUの最大の標的となっている。 「私は彼が大統領になるのを手伝った」 シャリーは 2005 年にジャーナリズムのキャリアを開始し、最初は女性誌に執筆し、その後、ウクライナの寡頭政治、組織犯罪、ネオナチのネットワークの調査を担当しました。 彼は、2014 年の米国が画策したマイダンクーデターの有名な批評家となり、YouTube チャンネルのビデオブログを利用してオンラインで膨大なフォロワーを獲得しました。現在、彼のチャンネル登録者数は YouTube で 300 万人近く、Facebook で 34 万人、Twitter で 26 万 8,000 人であり、10 年間国境外に住んでいたにもかかわらず、この国で最も人気のあるジャーナリストの 1 人となっています。 2019年、大統領選挙の数か月前に、シャリーは中道右派のリバタリアン政党を設立し、自分の名前にちなんで「シャリー党」と名付けた。若い専門家や中小企業の経営者にアピールしたシャリー氏は、オンラインでの人気により連立政権構築における重要なプレーヤーに変わり、世論調査では一貫して 3 ~ 6% の間で行われていました。 シャリー氏は選挙期間中に積極的にゼレンスキー氏を支持し、現職のポロシェンコ氏を攻撃した。 「彼(ゼレンスキー氏)は選挙での公約を守る決意があると思っていた。私は彼が大統領になるのを手伝った。私と私のチームが彼がそのポストを獲得するために何でもしたのは本当です」とシャリーは私に語った。 シャリーの活動家たちはポロシェンコの選挙活動を効果的に妨害した。 「私たちは選挙前ツアーでどこに行ってもポロシェンコを追っていました。各都市や町で非常に多くの人々がグループを作り、ポロシェンコに厳しい質問をしていました」とシャリーは回想した。 2019年7月のあるイベントでは、シャリーの支持者たちがポロシェンコの選挙運動のモットーである「軍隊はYES、言語はYES、信仰はYES」を荒らし、「YES」ではなく「Shariy」と答えた。

    ↓ ↓ ↓
詳しく、”アナトリー・シャリーの事件”の詳細が記述されている
    ↓ ↓ ↓

ゼレンスキーの秘密警察による野党人物アナトリー・シャリーの "清算 "計画が証言される

ウクライナSBUの拷問刑務所での証言から、ゼレンスキーが亡命野党の中心人物であるアナトリー・シャリイを暗殺する計画を立てていたことが明らかになった。
2022-04-24 (はてなブログ)

2019年、大統領選の数カ月前に、シャリイは中道右派リバタリアン政党を設立し、自らの名を冠した政党「シャリー党」を設立した。

シャリイは連立政権構築の重要なプレーヤーに変身し、常に3~6%の投票率を記録した。

選挙期間中、シャリイはゼレンスキーを積極的に支持し、現職のポロシェンコを攻撃した。「彼(ゼレンスキー)は選挙公約を実行する決意があると思った。私は、彼が大統領になるのを手伝った。私と私のチームは、彼が大統領になるために何でもしたのは事実です」とシャリイ氏は語った。
  ↓

「彼が何も変えるつもりがなく、汚職は同じかそれ以上にひどいとわかったとき、私たちは考えを改めました」→ ゼレンスキー氏を非難
  ↓

ゼレンスキーは選挙公約である改革とドンバスの膠着状態の有意義な進展を裏切り、国民の支持を急速に低下させた。
  ↓

シャリー党が政治資金を獲得し、将来の大統領選の候補とまで言われるようになる
  ↓

シャリー党とその支持者に対する暴力がエスカレート
  ↓

2019年、ネオナチ「アゾフ大隊」の元兵士であるアレクサンダー・ゾロイトキンは、シャリイと妻のオルガ・シャリイ、幼い子供が住む家の住所や写真、オルガが乗る車の写真などを公開した。

ウクライナのネオナチが彼の家の前でデモを行い、彼は多数の殺害予告を受けた。


2020年7月8日、ゾロイトヒンがカタルーニャ警察にした自白を公表:
ゼレンスキーが自分の暗殺を命じた
  ↓

シャリイ氏の政党は、2022年3月20日のゼレンスキーの大号令で禁止され、すべての野党をロシアとのつながりがあるとして犯罪者にされた。

ロシアが攻勢をかける前、シャリイはロシアのテレビにしばしば出演し、ゼレンスキーと彼の率いる親EU新自由主義者と新ファシストの政権に代わる中立的な存在として自らを位置づけていた。

ロシアの戦車がウクライナの国境を越えたとき、彼は直ちにその侵略を非難し、自力で崩壊すると信じていた国を侵略したクレムリンを愚かだと呼んだ。(2022年2月ロシアは侵攻時 クレムリンを批判)

それにもかかわらず、彼に対する脅迫はますます激しくなり、ゼレンスキーはシャリイ氏を政治生命から排除し、完全に殺害しようとした。
  ↓

党員たちの拘束・拷問・抹殺(別の野党も同様)
  ↓

シャリイは、ヴィクトル・ヤヌコヴィッチ大統領の時代、2012年に、EU政治亡命

2014年のマイダンクーデターに反対したことで知名度が上がり、その影響で政権を握ったペトロ・ポロシェンコのターゲットとなった。

それ以前に彼が暴露したネオナチ運動は、深刻な政治力を得て、彼に対する攻撃性を強めていた。
  ↓
今日、彼はキエフ政府、ネオナチ準軍事組織、SBUの最重要ターゲットとなっている。

この ↑の記事の英語の原文はこちら ↓

2022年4月14日
ダン・コーエン著 











政府に禁止された”親ロシア派”の政党

ウクライナに停止された政党の中に、シャリー党はもちろん入っている。

彼は現在 ”親ロ派” というわけではないが、民主義でない中立の党も”親ロ派”と分類される。



2022.03.20

対象政党は、
野党プラットフォーム・生活のため党(野党生活党)、シャリー党、私達党、野党ブロック党、左野党党、左派同盟党、国家党、ウクライナ革新社会党、ウクライナ社会党、社会主義者党、ヴォロディーミル・サリド党





ウクライナの国会に議席を持つ政党と、過去に持っていた政党

(2019年の選挙で議席が多い順)
2022年 05月 13日 
(シャリー党と、 (前回紹介の) スヴォボダ党のみコピぺ)
ここで、シャリー党が、 (前回紹介の) スヴォボダ党より票が多いことに注目。


・シャリー党
…アナトリー・シャリー党首(警察汚職捜査で知られるジャーナリスト)、EU懐疑派、リバタリアン、歴史家や歌手の議員も、シャーリー本人や支持者や党員がSBUから襲撃脅迫されている、ロシアとの関係疑われ活動停止中 32万票 0議席

・スヴォボダ党(全ウクライナ連合 自由)…オレフ・チャフニボーク党首、ネオナチ政党、バンデラ記念式典開催、武器の使用携帯許可、共産党罷免、IDに民族明記、反ウクライナ行為禁止、国民皆保険、二重国籍禁止、不法移民対策、EU非加盟、核の保持、ロシア語教育拒否、青年局がネオナチのC14 31万票 1議席



ここから日本語のその他の記事・投稿等




2024年?月

ウクライナ反逆罪で起訴され、キエフ当局から長い間辱めを受けてきたシャリー氏は、本日、妻と一緒に乗っていた車が何者かに自動小銃で襲撃されたと報告した。

シャリー氏はキエフ当局と長い間対立してきた。 2009年、彼の記事「公立孤児院」が出版され、夜になると高価な外車が集まるオデッサのエリート孤児院について語った。その時から、アナトリー・シャリーは脅迫を受け始め、中傷で告発され、彼らは彼を物理的に排除すると約束した。 2011年、シャリーの命を狙おうとしたとの報道があったが、後に内務省はそれが仕組まれた行為であったとの結論に達した。

2012年、アナトリー・シャリーはウクライナを出国し、欧州連合への亡命を求めた。その後ブロガーとなり、初代ペトロ・ポロシェンコ大統領とその後のゼレンスキー大統領の批判や、キエフのプロパガンダの捏造を暴露するなど、ウクライナ、ドンバス、ロシアでの出来事を取材した。 。ブロガーは演説の中で、現ウクライナ大統領を独裁者にほかならないと呼んでいる。

2021年2012月、SBUは、2022年以来、ソーシャルネットワーク、メディア、ロシアのテレビチャンネルの助けを借りて、「ロシア連邦の国家および非政府組織による特別情報作戦の実施を促進した」という事実により、国家反逆罪で告訴した。 」 XNUMX年XNUMX月、リトアニア検察総長庁がマネーロンダリングの疑いでシャリーに対する捜査を開始したことが明らかになった。




シャリーの名に触れられている記事


記事の中ほどで「シャリーのこの報道の分析」と取り上げているだけ。
2022.5.20(期間限定で公開とあるが、2年経った現在も会員ページへのリンクが残っていたが…→翌日見れなくなった)(念のため前日コピペ済み)

2016年4月にドンバス戦争に反対し、その後ゼレンスキー政権によって拉致され、行方不明のウクライナ左翼連合のヴァシリイ・ヴォルガ氏はネオナチ部隊のアゾフ隊などに襲撃されていた! 「ウクライナには戦争が必要で、ヴォルガのような(戦争に反対する平和主義の)政治家はいらない」! 日本を含む西側のメディアを利用し、今は「自分たちはネオナチではない」などと弁明の宣伝をしているアゾフ隊は、若いウクライナ人を戦争に送り込むことで莫大な利益を得ていた!  (中略)

ウクライナで実際に弾圧に遭っている人々の生の声を聞くことで、ウクライナ社会の抱える大きな問題の実相を明らかにするシリーズの第2弾(前編)(中編)(後編)で、ご紹介した、ウクライナ左翼連合のヴァシリイ・ヴォルガ氏は、2016年に極右民族主義者のネオナチ、アゾフ隊に襲撃されていました。

以下がその全文仮訳です。

 「(2016年)4月22日、ウクライナ左翼連合(Союз Лiвих Сил)のリーダー、ヴァシリイ・ヴォルガは、ウクライナ南部のザポリージアで、アゾフ大隊と、シラ・ナチイ(民族の力)、の「活動家」(極右民族主義者)に襲撃された。

 現在、ゼレンスキー政権に拉致され、行方不明のヴォルガ氏は、その予兆のように、2016年4月にアゾフ隊の襲撃を受けていました。この事件の真相を、ジャーナリスト・社会学者のハリナ・モクルーシナ氏が2016年の時点でCOUNTERPUNCHに「右派過激派に襲撃されたウクライナの左翼、反戦の声」というタイトルで寄稿しています。

 ヴォルガと彼の同僚たちは、ウクライナでの戦争(ドンバス戦争のこと)の停止、平和の回復、ドンバスのウクライナへの統合を目指す彼らの党のプログラムを発表するためにザポリージアに来たのである。

 ヴォルガたちは、記者会見を行うためにザポリージャの建物に向かっていた。襲撃後のチャンネル112テレビのインタビュー(※訳注1)で、ヴォルガは112の記者に、襲撃犯と話をしようとしたが、彼らはウクライナには戦争が必要で、ヴォルガのような政治家はいらないと答えたと語った。この暴漢の一人が、ヴォルガを背後から襲った。ヴォルガと彼の同僚は、ザポリージャの地元警察のおかげで逃げることができた」

※訳注1)現在、このインタビューが掲載されたサイトにはアクセスできない。ウクライナは、ゼレンスキー政権のもとで、極端なまでに言論統制を強めている。

 「ヴォルガへのインタビューに先立ち、チャンネル112はこの襲撃事件に関するレポートを放送した。亡命中のウクライナ人ジャーナリスト、アナトリー・シャリー氏は、この報道を分析し、112の司会記者がヴォルガへの襲撃を『事件』と呼んだことに言及した。

キエフの現政権に同意しない人々は、投獄され、身体的に攻撃され、あるいはジャーナリストのオレフ・ブジナ(※訳注2)のように殺され、沈黙を強いられる」(前回の投稿で触れた。TwitterXからの”kakuyokusyugi (鶴翼) さんのスレ”参照)

その前日の4月15日には、(親露派でユーロマイダン・クーデターによって政権が倒され、亡命している)ヤヌコヴィッチ元大統領の「地域党」の元国会議員で、(親欧米派で、ユーロマイダン・クーデターによってヤヌコヴィッチ政権が転覆させられたあと、第5代の大統領となった)ポロシェンコ政権(当時)に批判的だった政治家のオレフ・カラシニコフ氏が、キエフ(キーウ)の自宅前で銃弾を受けて死亡している。

 さらに、2015年3月には「地域党」の元議員で南部ザポロージャ州元知事のペクルシェンコ氏が銃弾を受けて死亡したほか、地域党の別の元議員2人も自殺するなど、(親露政権関係者や、クーデター後の親欧米派)政権に批判的な政治家やジャーナリストの殺害や自殺が相次いでいた。

<ここから特別公開中>

 「ヴァシリイ・ヴォルガが率いる左翼連合は2008年に設立された。ウクライナの中立的地位、ロシアとの緊密な関係の回復、ロシアと欧州連合を含む安全保障と協力の共通空間(大西洋から太平洋の千島列島まで)の創設を提唱している。

 国内政策では、経済の社会化、政治権力の分散化、文化政策の定義においてウクライナの地域に自治権を与える『ソフト』連邦化、ウクライナの第二公用語としてのロシア語の導入、地域言語および少数言語に関する欧州憲章の実施という考えを擁護している。

 左翼連合は、ウクライナを経済の奈落の底と軋轢の内戦に追い込んだ民族主義的なオリガルヒ政治と戦うウクライナの勇気ある声の1つである」

 以上が、ジャーナリストのハリナ・モクルーシナ氏による「右派過激派に襲撃されたウクライナの左翼、反戦の声」の全文仮訳となります。

 一読してわかるのは、ヴァシリイ・ヴォルガ氏の左翼連合の主張が、「経済の社会化、政治権力の分散化、文化政策の定義においてウクライナの地域に自治権を与える『ソフト』連邦化、ウクライナの第二公用語としてのロシア語の導入、地域言語および少数言語に関する欧州憲章の実施」など、非常にまともであるという点です。

 そもそも、なぜ、これほど、まっとうな考え方を持ち平和主義者のヴァシリイ・ヴォルガ氏が、アゾフ隊のようなネオナチ集団に襲撃されなければならなかったのでしょう 重要なことは、2014年のユーロマイダンクーデター以降の親欧州派政権のもとでのウクライナでは、ドンバスでの戦いに反対する平和主義者は、平和主義者であるがゆえに、極右のアゾフ隊に襲撃されていたという事実です。

 襲撃の理由は、「ウクライナには戦争が必要で、ヴォルガのような政治家はいらない」からだというものです。

 アゾフ隊自身による驚くべき証言です。

 2014年から現在も進行中の東部ドンバス紛争、そしてロシアがドンバスのロシア語話者らの「自治」と「自衛」を守るために「最終最後の最悪の手段」として踏み切ったウクライナ侵攻、そしてウクライナ紛争が「民主主義対独裁主義」の戦いであるというのは、真っ赤な嘘です。

 ヴァシリイ・ヴォルガ氏の証言と襲撃の事実、さらに、ロシア侵攻後の拉致の事実を見れば、ウクライナ社会において、遅くとも、2004年のオレンジ革命以降、汚職と国不動産の収奪で巨万の富を築いたウクライナのオリガルヒによって民主主義を放棄させられ、ネオナチであり同時にウクライナ民族主義者でもあるアゾフ隊らを利用して、ためらいのない暴力による独裁体制を築き、同時に、国内のロシア語話者に対する、民族浄化ともいうべき激しい差別と弾圧を開始していったと言えるのです。

 この記事の中でも、ハリナ・モクルーシナ氏は、「キエフの現政権に同意しない人々は、投獄され、身体的に攻撃され、あるいはジャーナリストのオレフ・ブジナのように殺され、沈黙を強いられる。意見の自由は潰されている」と、ウクライナ社会が2016年時点においても明確に独裁社会になっていたことに言及しています。

 少し調べただけでも、ハリナ・モクルーシナ氏のこの言葉を裏づける事実が出てきます。2015年3月から4月にかけて、当時のポロシェンコ政権に批判的だったジャーナリストや政治家が軒並み殺害され、あるいは自殺という形で葬られているのです(※訳注2参照)。

 アゾフ隊は、2014年以降、国軍に統合され、ネオナチではなくなり祖国のために戦っている愛国者の部隊となった、というのは大嘘のプロパガンダです。ドンバス戦争から莫大な利益を得ていたからこそ、戦争に反対する政治家が邪魔で襲撃を繰り返していたのです。彼らは右翼テロリストです。

 アゾフ隊と左翼連合のどちらが、国のことを本当に考えていたかは一目瞭然でしょう。

 社会学者でもあるハリナ・モクルーシナ氏は、ウクライナの政治の本質を「民族主義的なオリガルヒ体制」(the nationalistic oligarchic regime)と呼んでいます。

 極右とオリガルヒが手を結んで、国有財産や共同事業を私物化し、国家を乗っ取っているという体制です。

 ハリナ・モクルーシナ氏は、この体制を、クレプトクラシー(泥棒)体制(kleptocratic regime)とも呼び、「例外なくすべての大統領が、この包括的で熱烈で全面的な窃盗に関与した」と断言しています(ウクライナで弾圧されている人々の生の声(2)中編)。

 日本のマスメディアが、検証なしに、ウクライナの情報やアゾフ隊のプロパガンダをそのまま流すということは、暴力的な独裁国家のプロパガンダの拡散に加担しているのと同じことです。

 ロシアから流される情報の検証が必要なように、ウクライナから流される情報の検証も当然必要です。日本のマスメディアは、その当然の検証を怠っています。これは決して許されない政治的偏向です!





シャリーに否定的な記事


ウクルインフォルム
2021年2月17日

ウクライナ保安庁は16日、親露ブロガーで「シャリー党」を率いるアナトリー・シャリー氏に対して、情報分野においてウクライナの国家安全保障へ損害を加える違法な活動を行なった容疑を伝達した。




ウクライナ西部在住?の日本人のレポート
(ブログは2022年2月13日~最終更新2022年5月)
2022.02.14

このトライデント ↑ はウクライナの国章とある。
この意味、もしくは”今”を知っていれば、ウクライナ人は皆コレが好きとは限らないとわかる。

このサイトの筆者は ”親露派ビデオブロガーで「ウクライナ嫌い」の筆頭といわれるアナトーリー・シャリー” と書いているが、シャリーは自信がウクライナ人であり、ウクライナが嫌いという訳でなく、現政府とその方針に異議を唱えているだけだと思う。間接的とはいえ、その政府に殺害予告されているのだから、なおさらだ。

*日本が好きな日本人でも、現政府やその方針が好きとは限らない。

2022.02.15




アメリカ視線のシャリーに関するnote記事

2022年8月1日 noteでの記事では…(アメリカ視線)
この記事では、シャリーはもちろん「悪者」の立場。






ロシア発(と思われる)ニュース 

(理解し辛く読むに及ばないのもある)
機械翻訳的な日本語の意味がよく分からず読む価値は?だが、シャリーの名にも触れられているので、ここ、今回の記事の一番下に念の為 保存しておく。

・シャリー・アナトリー:伝記と私生活
https://jpn.culturehatti.com/sharij-anatolij-biografiya-i-lichnaya-zhizn-page-222072


・2014年10月(短い記事、理解しにくい日本語) ロシアのニュース


・2014年12月(短い記事、理解しにくい日本語) ロシアのニュース


・2021.02.17(短いが理解しにくい日本語) ロシアのニュース
SBU広報室が公表「捜査官は、同氏が情報分野においてウクライナの国家安全保障へ損害を加える違法な活動を行なっていたことを確信している。アナトリー・シャリー氏が外国の機関の発注を受けて活動していたとみなす根拠がある」


・2023年12月

シャリー氏によれば、ウクライナがこの紛争で負けたのは、自国で兵器を生産しておらず、もはや西側諸国に頼る意味がないからだという。 欧州連合(EU)はウクライナ軍に物資を供給することができず、米国は現在キエフの問題に関心を持っておらず、米国は補給の責任を欧州に移し始めており、シャリー氏は欧州を何もできない「疲れ果てた馬」と呼んだ。 また、ウクライナは国境閉鎖で人材が不足しており、国境が開放されれば残った人材は逃亡することになる。





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蛇足だが:5ちゃんの書き込みのコメントにシャリーの名

2024年3月22日のモスクワのコンサートホールでのテロに関して、TwitterX投稿の抜き書きが日本語訳の5チャンのコメントの中に、1つ見つけたシャリーの名。シャリーのテレグラムのコメントを、誰かがTwitterXへ英語で書き込み、その日本語訳を引用されたもの。

2024/03/24(日) 01:25:16.62 (ここ↓は開く必要なし)

”0067 2024/03/24(日)
亡命中のウクライナ人ジャーナリスト、アナトリー・シャリー氏は自身のテレグラムチャンネルで、ウクライナ指導部が望んでいたものについて次のように説明している。

「キエフにとって理想的なのは、(ロシアの)治安部隊がコンサートホールでこれらのロバ(実行犯)を殺すことだった。

選択肢その2は、国境を越えるのではなく、国境で彼らを終わらせるというもので、彼らの顔に鉛を打ち込む(ウクライナは彼らが予定していた国境を越えた瞬間に彼らを殺害する) 。

どちらもうまくいきませんでした。」”


元の事件はこちら ↓



※この事件で、モスクワ在住の知り合いの子(小学生)の同級生が犠牲者の中にいたと聞いた。
子供に手を出すなんて卑劣だ。非常に痛ましい。




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次回は、ウクライナの政党を調べる

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