ウクライナの政党 ~約50のWikiの解説(禁止された党を含む)1991年独立以降
このページを見れば、約50の ウクライナの主な政党 のWikipedia上の解説が読めるようにした。
可能な限り、日本語・ウクライナ語・ロシア語・英語の名称を記し、また目次で年代が分かるように見出しに年を含めた。
今回は、前回の記事の大部分を占め、公開後 大幅に改定したWikiの記述の部分の全体のみを、ここに抜き出し、更に微調整を加えた。
前回、ウクライナの政党に関する資料を集め、個々の政党についてある程度まとめた。Wiki日本語版等を利用して、先月(2024年8月に)投稿したが、政党解説のWikiの記述部分のみ追加や加筆、校正等をした上で、公開の約3週間後に改訂版として更新した。手を加えた部分(Wiki)のみの その全体を抽出したものを、今回の記事としている。そのため前回の記事の中に今回のすべてが含まれる形になっている。また、更に手を加えている。
!!!
英語版Wikiの特徴として、日本語版Wikiでは知りえなかった軍事面での記述が多めである。いくつかの政党が党の組織の一部として軍事団体を保有している事実には驚きを持った。(少なくとも5政党にあり。前回の前書きに記載)
親ロの政党については(隠されているかのように)ほぼ日本語版にはないが、英語版では いくつもの親ロ党のページと解説が存在する。
㊟
・外国語版はChromeの自動翻訳を使用。
・英語版とウクライナ語版の党が一致しないページについては、正しいかどうか検証していない。
・関連の重要人物や 用語の解説もいくつか含む。
1991年以降、約30年のウクライナの歴史の中で
多くの政党が設立されたが、
分裂・廃止・合併・再編・改称などが
幾度となく繰り返され、指導者も移動するなど
政党の種類がとても分かりにくなっている。
Wiki の解説 ”ウクライナの政党” (日本語版なし)
ウクライナの政党・英語版
ウクライナの政党・ロシア語版
ここ ↑ には1990年からの登録順に200以上の政党が並ぶ表がある。
Chromeで開くと自動翻訳で日本語で読める。Google翻訳と違う訳になる場合あり。
Wikiの分類
カテゴリー と テンプレート で 党名がまとめられている。
カテゴリー
Template:ウクライナの政党
↑ 「Template:ウクライナの政党」日本語ページから
以下 ↓ 抜き出し
日本語WikiのこのTemplateの分類は、
あまり正確ではない可能性が高いが、
今回は、このまま使用している。
※紛らわしい名称について
(選挙時の戦略として、方向性の近い
政党が連合を一時的に結成)
・ 野党プラットフォーム
(プラットフォーム = 綱領) と
・ 野党ブロック
(ブロック = 連合) は
紛らわしいが別。
Wiki ウクライナ最高議会に議席を持つか、あった政党
「Template:ウクライナの政党」日本語ページから抜き出した「ウクライナ最高議会に議席を持つ政党」12党+α を次に並べているが、この中にも廃止や禁止になった党がある。
・▼ ウクライナ社会民族党SNPU (自由党/スヴォボーダの前身)1995~
・自由党(スヴォボーダ)(全ウクライナ連合”自由”)1995/2004~
・祖国党 (全ウクライナ連合”祖国(バトキフシチナ)” )1999~
・ポロシェンコ・ブロック党 (欧州連帯) 2000~
・同盟(ヴィチェ→アクセント)2005~
・急進党 (ウクライナ)(英語版)2010~
・野党ブロック党(英語版)2010~2018
*野党ブロック 2020~2022
**平和発展党 2018~2022
***野党プラットフォーム ‐ 生命(生活)のため 2018~2022
・Zastup (全ウクライナ農業協会”スペード”)(英語版)2011~
・自助党 /自立党(英語版)2012~
・右派セクター党 2014~
・人民戦線党 2014~
・強力なウクライナ(英語版)2014~
・国民の僕 2018~
(番外)・新勢力運動 党 2017~
↓↓↓ (約15政党 )
結成年順に 並べ替え済み
× ウクライナ社会民族党 1991年~2004
→ 現スヴォボダ党 2004年~
ウクライナ語:Соціал-національна партія України
英語:Social-National Party of Ukraine
略称:SNPU
ウクライナ社会民族党(SNPU)は、後に全ウクライナ連合「自由」(スヴォボダ)となるウクライナの極右政党。この党は急進的ナショナリズムと反共主義の立場だった。
創立 : 1991年10月13日
1995年10月16日に政党登録[1]
解散 : 2004年2月
後継政党 : 全ウクライナ連合「自由」
本部所在地 : ウクライナ、リヴィウ
党員・党友数: 1,000人以下[2](2004年[2])
政治的思想 : ウクライナ・ナショナリズム
民族主義[3]
反共主義
ネオファシズム
政治的立場 : 極右
ユースウィング(青年部)
:ウクライナの愛国者
→ 2004年スヴォボダに改名
最終更新 2022年11月29日
(英語版)↓
党名はドイツのナチ党を意図的に参照したものである。この党は、急進的なナショナリズム、ネオファシズム、反共産主義の立場を組み合わせた。
この党のイデオロギーはOUNの政治家ヤロスラフ・ステツコ*の「二つの革命」に基づいている。
1990年代後半には、同党はスキンヘッドやフーリガンも採用した。
同党は、西ウクライナからコーカサス地方の犯罪分子を物理的に排除する結果となった犯罪闘争に関与したとされている。
1993年9月21日、その「人民組織」は森の迷彩服を着たUNA-UNSO活動家と区別するために全身黒ずくめで最高会議ビルにやって来た。
同党は1999年にウクライナ軍を支援する団体としてウクライナ愛国者という準軍事組織を設立した。2000年にはSNPUの招待で (フランスの政治家である)ジャン=マリー・ル・ペン(当時は国民戦線の党首)がウクライナを訪問した。
この準軍事組織はSNPUの改革中に2004年に解散し、2005年に再編され、現在はウクライナの5大政党の一つとなっている。スヴォボダは2007年に同グループとの提携を正式に終了したが、非公式なつながりは残っている。
2004年2月、オレフ・チャフニボクが党首に就任すると、同党は全ウクライナ連合「スヴォボダ」に改名した。チャフニボクは、党の過激なイメージを和らげる努力をした。党名を変更しただけでなく、ヴォルフスアンゲルのシンボルに似たロゴも廃止した。3本指の手は、1980年代後半の「トリズブ」独立運動のジェスチャーを彷彿とさせる。
スヴォボダは、ネオナチやその他の過激派グループも党から排除し、ネオファシストの過去から距離を置きながら、過激な民族主義者の支持を維持した。
最終更新日は 2024年7月12日 (火)
*@ ヤロスラフ・ステツコ(1912–1986)
ウクライナの政治家、作家、思想家であり、1941年から死去するまで、ウクライナ民族主義者機構(OUN-B)のステパン・バンデラ派の指導者を務めた。1941年のドイツによるソ連侵攻の間、彼は、ウクライナ国家の回復行為の中で宣言された独立したウクライナ政府の暫定指導者に任命された。1942年から1944年の間、ステツコはザクセンハウゼン強制収容所に投獄された。第二次世界大戦後、ステツコは1986年に死去するまで反ボルシェビキ諸国家ブロックの指導者であった。
ヤロスラフ・ステツコは幼い頃からウクライナ民族主義組織で活動していた。彼は 3 つの別々の組織のメンバーでした。「ウクライナ民族主義青年」 (ウクライナ語: Українська Националистька Молод' )では、1932 年に国家執行部のメンバーとなり、ウクライナ軍事組織( UVO ) )、最終的には組織になりました。ウクライナ民族主義者組織(OUN) (ウクライナ語 :ウクライナ民族主義者組織)。
ナチスとOUN:
ウクライナ国立科学アカデミー[要出典]と他の情報源[誰によるものか? ]によると、OUNの指導者たちは「ナハティガル」大隊と「ローランド」大隊の編成に関してナチスドイツの諜報機関の長と会談した。
1941年6月30日、ステツコはリヴィウでウクライナ国家政府の樹立を宣言した。この政府は「アドルフ・ヒトラーの指導の下、ヨーロッパと世界に新秩序を形成しつつある国家社会主義大ドイツと緊密に協力する」と「ウクライナ国家宣言法」の本文に記されている。ゲシュタポとアプヴェーアの職員はバンデラの信奉者を保護した。両組織はバンデラの信奉者を自らの目的のために利用しようとしていたからである 。
1941年7月3日、ステツコはアドルフ・ヒトラーに手紙を書き、ドイツ軍への感謝と称賛を表明し、ソ連との戦争が早期に勝利で終わることを願った。この手紙はウクライナ国立科学アカデミーの文書リスト「1941年のOUN」には含まれていない。
・
・
・
反ユダヤ主義:
1941年8月、ステツコは自伝を書いたとされている。それはドイツ当局に宛てたもので、いくつかの注目すべき反ユダヤ主義の文章が含まれていた。特に、マルクス主義はユダヤ人の思想の産物であり、ユダヤ人の支援を受けてモスクワ・アジア人によって実践されたものであり、モスクワとユダヤ人はボルシェビキの国際的思想の担い手であると述べた。彼は、ユダヤ人ではなくモスクワが捕らわれたウクライナの主な敵であると考えているが、モスクワによるウクライナの奴隷化においてユダヤ人が間違いなく有害な役割を果たしたという考えを全面的に支持していると述べた。最後に、彼はユダヤ人の絶滅とドイツのユダヤ人絶滅方法の合理性を全面的に支持し、それを同化しないと述べた。
1950年代後半、ヤロスラフ・ステツコはイスラエルの組織「エルサレムの反共産主義の声」を代表するハヴィフ・シャイバーと協力して、世界的な反共産主義組織を結成した。
ステツコは第二次世界大戦後も政治的に非常に活発に活動し、1968年にOUN-Bの代表となった。また、世界反共産主義連盟の理事にもなった。
1946年、ステツコは新たな反ソ連組織、反ボルシェビキ諸国ブロック(ABN)の創設を主導し、死ぬまでこの組織の代表を務めた。
1983年に彼は米国議会議事堂で迎えられ、その後ホワイトハウスでロナルド・レーガン大統領とジョージ・H・W・ブッシュ副大統領から「自由ウクライナ国家の最後の首相」として迎えられた。
最終更新日は 2024年7月18日 (火)
全ウクライナ連合「自由」 /「スヴォボダ党」
1995(SNPUウクライナ社会民族党↑)~2004~
※「スヴォボダ党」の詳細は、2及び3回前の記事参照
全ウクライナ連合「自由」(別名) スヴォボーダ
ウクライナ語:Всеукраїнське об'єднання «Свобода»
ロシア語:Всеукраинское объединение «Свобода»
英語:The All-Ukrainian Union "Freedom"
ローマ字:Svoboda
1995年(SNPUとして)~ 2004年2月(スヴォボダとして)~
設立・登記 :1991年10月13日/ 1995年10月16日
採用 :1992年2月19日
成立年月日 :1995年(SNPUとして)
2004年2月(スヴォボダとして)
先行 :ウクライナ社会民族党
総裁 :オレーフ・チャフニボーク
本部所在地 : キエフ
ユースウィング :C14 (2010–2014)
準軍事組織 :シーチ大隊(2014–2015)
最高議会 :6 / 423 (1%) (2014年10月30日[1])
党員・党友数 :15,000(2010年)
政治的思想・立場:右派ポピュリズム[1][2]
民族主義[3]
超国家主義[4]
右翼[5][6][7]-極右[8]
(ウクライナ語版↓)
政治的イデオロギ:極右: [ 1 ] [ 2 ] [ 3 ]
ウクライナの 社会ナショナリズム
経済ナショナリズム[ 4 ]
超国家主義[ 5 ] [ 6 ]
欧州懐疑主義
反共産主義
空想化[ 7 ]
反ユダヤ主義[ 8 ]
反移民[ 8 ] ]
ウクライナ中心主義
国際組織 : ユーロナット
公式サイト: www.svoboda.org.ua
全ウクライナ連合「自由」は、ウクライナのネオナチ・民族主義政党である[9][10]。日本ではスヴォボーダあるいはスヴァボーダとも表記されている。1995年にアンドレイ・パルビイとオレーフ・チャフニボークによって結党されたウクライナ社会民族党を前身とし、2004年に現在の党名に改名した。現総裁(党首)はオレーフ・チャフニボーク。
ウクライナ政界における極右政党、或いはネオナチ政党と定義される。ウクライナ西部のガリツィア地方を地盤とし、首都キーウを拠点に活動。カナダやアメリカなどの北米を中心としたウクライナ人ディアスポラ(難民)からも支持を集めている。2012年7月26日、ウクライナ最高議会選挙の前に、ユーリア・ティモシェンコが率いる全ウクライナ連合「祖国」と共に全ウクライナ野党連合に加盟。
スヴォボーダは、民族的純血主義(ウクライナ語を話すウクライナ人しか認めない、ロシア系の住民は出ていけ、との主張)、外国人排斥を訴える過激派極右政党であり、機動隊相手に最前線で戦っていたスヴォボーダは現在、ウクライナ最高議会で37議席を持っており(その議席占有率は日本の衆議院における公明党よりも高い)、2013年12月にはリーダーのオレフ・チャフニボクが野党の主要勢力の一員として、米政界の大物ジョン・マケイン上院議員との会談に臨んだ。
しかし、2014年10月の最高議会選挙では、スヴォボーダと似たような主張をする親欧米・反ロシア政党が乱立したことなどもあって、議席を大幅に減らした。
2012年の政綱(主なもの)
・法律上で異民族による反ウクライナ主義的行為を罰する
・武器の携帯・使用を許可する
・二重国籍を禁止する
・ソ連時代を、ロシアによるウクライナ占領時代として法律で認める
・国連をはじめ、国際社会に対し20世紀に起きたウクライナ人に対するジェノサイドを訴える
・OUN-UPAを国民英雄として国のレベルで承認する。
・ウクライナ人を侮辱するソ連系シンボルを徹底的に排除する[24]。
議会でのトラブル
2013年3月19日、地域党の議員がウクライナ議会でロシア語で演説していた(ウクライナ語が話せないウクライナ人も多い)ところを「自由」の議員たちが「ウクライナ語を話せ!」と一斉に野次り、その後チャフニーボーク党首が壇上で「ウクライナに栄光あれ!」と叫び、一斉に「自由」の議員たちと与党の議員たちが殴り合いを演じる大乱闘となった。
テレビ局襲撃事件
2014年3月18日、クリミア自治共和国をロシア連邦へ編入することを宣言したウラジーミル・プーチンロシア連邦大統領の演説をウクライナ国営テレビが放映したことに激高した「自由」の議員たちが、国営テレビ局の本部を襲撃、テレビ局CEOを暴行の上、強制的に辞表を書かせた。
語録
子供に軍事的な教育を与えるサマーキャンプを主催したが[30]、Business Insiderによると、その取材で党青年組織のリーダーの退役軍人は、『我々は決して人々に銃を向けない … だが分離主義者、覆面兵士、モスクワからの占拠者は人間に数えない。だから銃を向けていいし、向けるべきだ』と語ったという。
最終更新 2024年6月19日 (水)
英語版・ウクライナ語版、ロシア語版も参考
last edited on 23 August 2024
最終編集は 2024 年 7 月 21 日
* ユーロナット(Euronat)とは、
ヨーロッパの極右政党の協会である。
**スヴォボダの軍事組織:シーチ大隊
→ 政府軍?に吸収
(ウクライナ語:Батальйон "Сiч"
英語読みで Sich Battalion「シック」)
アクティブ :2014年6月~現在
国 :ウクライナ
忠誠(所属) :スヴォボダ外相 (2014年~2015年)
内務省(2015年~現在)
最終更新日は 2024年7月21日 (火)
ウクライナ語版:
2015年12月21日、大隊は「キエフ」連隊の第4「シーチ(シック)」中隊に再編された。
・大隊「シーチ(シック)」(2014年6月 - 2015年12月21日)
・「キエフ」連隊の第4「シーチ(シック)」中隊(2015年12月21日 - 現在まで)
最終編集は 2024 年 6 月 12 日
全ウクライナ連合「祖国(バトキフシチナ)」1999年~
ウクライナ語:Всеукраї́нське об'є́днання «Батьківщи́на»
ローマ字表記: Vseukrains'ke obiednannia "Bat'kivshchyna"
英語:All-Ukrainian Union "Fatherland",
総裁 : ユーリヤ・ティモシェンコ
成立年月日 : 1999年7月9日[1]
本部所在地 : キエフ
最高議会 : 20 / 423 (5%)(2019年3月29日[2])
党員・党友数 : 60万
準軍事組織 :バトキフシュチナ大隊
政治的思想/立場: 保守主義[3]
中道右派[4][5] ポピュリズム[6]
欧州統合主義[4] キリスト教民主主義[7]
親米 反露 民族主義[8]
公式サイト : 全ウクライナ連合「祖国」
http://byut.com.ua/
ba.org.ua
バトキフシチナ とは "Fatherland"(父国=祖国)
構成 ~以下の5つの政党が合併してできた。
・人民ルフ党(英語版)・・・民族主義政党。
・祖国防衛党・・・中道左派。
・ウクライナのために・・・保守主義・中道右派。
・Civil Position
・社会キリスト党
政策
ポピュリズム、保守主義とされる。
連合を組む人民ルフ党(英語版)は元々反ユダヤ主義の民族主義極右政党であり、極右政党の全ウクライナ連合「自由」(スヴォボーダ)党首であるオレーフ・チャフニボークが所属していた。
反露的な立場を持ち、ウクライナ・ナショナリズムの影響から、ロシア語の第二公用語化には反対している。2012年の選挙時にNATO加盟には言及はしていなかったが、2014年8月にはNATO加盟路線を表明した[10]。
分裂
2014年9月10日に党首のティモシェンコとの対立からヤツェニュク、トゥルチノフが離党して新党、人民戦線党を結成した[11]。
軍隊
2014年にウクライナ軍とは別の党が組織した独自の親衛隊のような軍隊をキロヴォフラード州に拠点に結成し、ウクライナ東部での内戦へ参加し、分離独立派への軍事攻撃を行っている。
最終更新 2024年7月17日 (水)
英語版:
選挙区内の関連
(2002~2012) ウクライナ社会民主党としてウクライナ・前進!
(2002~2006) ウクライナ綱領「議会」はウクライナ人民党「議会」として
(2002~2006) ウクライナ共和党(議会と一時合併)
(2007~2012) 改革秩序党
合併
2001年 ウクライナ保守共和党
2005年~2007年 (一時的)自由民主党、アップル
2012年 改革秩序党、人民自衛、変革戦線、ウクライナ人民運動、ウクライナのために!、社会キリスト教党、市民的立場(この党のメンバーは2012年ウクライナ議会選挙の選挙名簿に載っていた)
2013年 改革秩序党と変革戦線
最終更新日は 2024年8月26日 (火)
※ ティモシェンコについては
下の見出し「かつて存在した主な政党」内の
”ユーリヤ・ティモシェンコ・ブロック” 参照 ↓
ペトロ・ポロシェンコ・ブロック ⇒ 欧州連帯 2000年~
ウクライナ語:Блок Петра Порошенка
ローマ字:Blok Petra Poroshenka,
現在の名称 ⇒ 欧州の連帯
英語:European Solidarity
(ウクライナ語: Європейська солідарність,
ローマ字:Yevropeys'ka solidarnist', YeS)
ロシア語:«Европейская солидарность» (ЕС)
(表は英語版)
略語 :YeS
リーダー :ペトロ・ポロシェンコ
創設者 :ペトロ・ポロシェンコ
設立 :2000年5月5日
分割 :ウクライナ社会民主党(統一)
本部 :キエフ
会員(2020年):「数万」
イデオロギー :リベラル保守主義
市民国家主義
国民民主主義
親欧州主義
政治的立場 :中道右派
欧州の所属 :欧州人民党(準)
国際提携 :国際民主連合
スローガン :「団結の時」
最高会議(議席) :27 / 450
地域 :3,905 / 43,122
Webサイト :eurosolidarity.org
(本文は日本語版)
ペトロ・ポロシェンコ・ブロック(ウクライナ語: Блок Петра Порошенка, ラテン文字転写: Blok Petra Poroshenka)は、ウクライナの政党。2001年創設。現党首はビタリ・クリチコのウクライナ民主改革連合の党首を務めたビタリ・クリチコ。
概要:
2001年にペトロ・ポロシェンコにより、社会民主合同党 の分派としてソリダールニスチ(連帯)が創設された。2014年5月にポロシェンコが大統領に当選し、政治勢力の支持基盤を強化するために、2014年8月17日にペトロ・ポロシェンコ・ブロックと改名された。ビタリ・クリチコ率いるUDARとは協力関係にある。
政策:
前身の社会民主合同党は中道左派・社会民主主義政党。
現状はポロシェンコ大統領個人を支援するための政治組織、明確な右左の色分けは等は不明であるが、政策的には自由主義・中道右派政党とされる。また、ポピュリズム批判と現実主義・プラグマティズムを掲げている。
最終更新 2024年2月16日 (金)
上の日本語版が分かりにくいので… ↓
英語版:欧州の連帯(元ペトロ・ポロシェンコ・ブロック)
欧州連帯
(ウクライナ語:Європейська солідарність、
ローマ字: Yevropeys'ka solidarnist'、YeS)
2000年に設立された連帯と呼ばれる議会グループが起源。
それ以来ペトロ・ポロシェンコの政治的な出口として様々な形で存在。
ペトロ・ポロシェンコ・ブロックは、2014年のウクライナ議会選挙で423議席中132議席、どの政党よりも多くの議席を獲得。
歴史:
2000年に「連帯」と呼ばれる議会派閥として発足
ポロシェンコは自身の議会派閥を基にウクライナ連帯党を設立
2000年に(後に一時期ウクライナ最大の政党となる)地域党と合併
2002年の議会選挙で、連帯党は「我がウクライナ」に加入
2004年に同党は「我がウクライナ」を離脱
2013年10月、裁判所は連帯党の登録証を取り消し ×
2014年初頭、ポロシェンコは自由とウクライナ愛国主義の国民同盟「攻撃」の党首となり、同党は「全ウクライナ連邦連帯」に改名
2014年8月27日の党大会で、党名を「ペトロ・ポロシェンコブロック」(ウクライナ語:Блок Петра Порошенка)に変更
2015年3月、「ペトロ・ポロシェンコブロック」の名称に「連帯」が追加
2015年8月28日、UDARは正式にペトロ・ポロシェンコブロックに合併
2019年5月24日に現在の名称 ”欧州連帯” に変更
最終更新日は 2024年8月8日 (火)
ロシア語版:「欧州連帯」(ヨーロッパの団結)
2014 年 8 月 27 日まで - 「連帯」 ;
2015 年 1 月 24 日まで -ペトロ ポロシェンコ ブロック ;
2019 年 5 月 24 日まで -ペトロ ポロシェンコ ブロック 「連帯」
最終編集は、2024 年 8 月 14 日
ウクライナ語版:
設立・登記 :2000 年 5 月 5 日
本部 :キエフ
政治的イデオロギー:中道右派:
リベラル保守主義
キリスト教民主主義
リベラリズム
市民ナショナリズム
親ヨーロッパ主義
社会民主主義
国際機関への加盟 :欧州人民党(オブザーバー)
党首 :ミハイロ・アントニュク
( 2000 年5 月 5 日 — 2001 年11 月 15 日)
ペトロ・ポロシェンコ ( 2001 年11 月 15 日以降)
メンバーシップ
最高議会の議員数 :27 / 424
地方議会およびキエフ市議会 :283 / 1780
ウェブページ :eurosolidarity.org
欧州連帯党( EU ) は、2000年5月5日に登録されたウクライナの中道右派 保守 政党である。 2014年8月27日から2019年5月24日までは「ペトロ・ポロシェンコの連帯ブロック」と呼ばれた。 2019年5月24日、党名を「欧州連帯」に変更した。
第9回召集のウクライナ最高議会は27人の議員によって代表される。
最終編集は 2024 年 6 月 9 日
@ ペトロ・ポロシェンコ(1965-)
人気菓子メーカー「ロシェン」のオーナーであることから「チョコレート王」ともあだ名されるウクライナ有数の富豪で、1998年に政界に進出してからは親露派政党である地域党の結成に関わった後、ユシチェンコ大統領、ヤヌコーヴィチ大統領らの下で国家安全保障・国防会議メンバー、外相、経済発展・貿易相などの要職を歴任[1]、2007年2月から2012年まではウクライナの中央銀行であるウクライナ国立銀行の理事長もつとめた[2][3][4][5]。 2014年にヤヌコーヴィチ政権を崩壊させたウクライナ反政府デモでは、デモを財政面で支援したとも報じられる[6]。その後、2014年5月に行われた大統領選挙に出馬、1回目の投票で54%超の票を獲得して第5代ウクライナ大統領に選出された。2019年の大統領選挙では落選し、1期で大統領を退任した。
最終更新 2024年4月15日 (月)
(英語版)↓
ウクライナ第5代大統領
在任期間:2014年6月7日~2019年5月20日
ポロシェンコ大統領は、在任中、ドンバス戦争の第一段階を通じて国を導き、ロシアの分離主義勢力をドンバス地域に追いやった。欧州連合・ウクライナ連合協定に署名し、欧州連合との統合プロセスを開始。ポロシェンコの国内政策は、ウクライナ語、ナショナリズム、包括的資本主義、脱共産主義、行政の地方分権化を推進。2018年、ポロシェンコは、ウクライナの教会をモスクワ総主教区から分離させ、ウクライナ正教会の独立教会の設立を支援。
彼の大統領職は、支持者と反対者の両方が使用した3語のスローガン「armiia、mova、vira(軍事、言語、信仰)」に凝縮されていた。
ポロシェンコはウクライナ最高会議(ヴェルホフナ・ラーダ)の人民代議員であり、欧州連帯党の党首である。政府外では、ポロシェンコは資産の取得と構築で高収入を得ているウクライナの著名なオリガルヒである。最も有名なブランドは、「チョコレート王」のニックネームを与えた大規模な菓子会社ロシェンと、 2021年11月に反オリガルヒ法に従うために売却を余儀なくされたテレビニュースチャンネル5カナルである。 製造、農業、金融における事業保有の規模、大統領就任前の政府での数回の任期による政治的影響力、そして影響力のあるマスメディアの所有者であることから、オリガルヒと見なされている。
ラリー・ウェイマスとのインタビューで、ポロシェンコは次のように語った。「最初から私はマイダンの主催者の一人でした。私のテレビ局であるチャンネル5は、非常に重要な役割を果たしました。...チャンネル5が放送を開始した当時、マイダンにはわずか2,000人しかいませんでした。しかし、夜の間に人々は7、8、9、10キロを歩いて移動しました。これはウクライナの自由と民主主義のための戦いだと理解していたのです。4時間でほぼ3万人がそこに集まりました。」
BBCは、「ポロシェンコ氏は、キエフの政治危機の数ヶ月間、明らかに反政府勢力寄りの同情を示したウクライナで最も人気のあるニュースチャンネルである5カナルTVを所有しています。」と報じた。
最終更新日は 2024年8月30日 (火)
同盟 (ヴィチェ)2005年→ アクセント党 2020年~
ヴィチェ(ウクライナ語:Віче)英語:Viche
→ アクセント(ウクライナ語: Акцент)
英語訳: Union or Council
立憲民主党1993年 → ヴィーチェ党 2005年→ アクセント党 2020年~
(表はロシア語版より)
リーダー :イリーナ・オニシチェンコ
設立 :1993 年 5 月 14 日
2020 再結成
廃止 : 2014年
本部 : ハリコフ
イデオロギー: リベラリズム
ウェブサイト: viche.org
http://www.viche.org.ua/
(改称歴はウクライナ語版より)
1993年5月14日〜2005年:立憲民主党
2005年9月16日〜2020年:ヴィーチェ党
2020年~ :アクセント党
同盟(どうめい、ウクライナ語: Віче)は1993年5月に結成されたウクライナの政党[1]。2005年9月に立憲民主党から改称した[2]。
歴史
1998年ウクライナ最高議会選挙(英語版)においては政党連合 "SOLn・社会・リベラル連合"として参加したが、得票率は0.90%にとどまり、議席は獲得できなかった[1]。
2002年ウクライナ最高議会選挙においては、冬の時代チーム(英語版)連合の一部として参加したが、4%の足切りラインに届かず、議席を獲得できなかった[1]。
2006年ウクライナ最高議会選挙においても得票率は1.74%にとどまり、議席は獲得できなかった[1]。
インナ・ボホスロウスカ(英語版)が党首として臨んだ2007年ウクライナ最高議会選挙では、他党の党首と協議し、地域党の名簿に加わることにした[2]。イーホリ・ディコスキーが新たな党首に選出された[3]。2007年に地域党と合併することを考えていたため、2007年の選挙には参加しなかったが[1]、2009年6月12日、キーウにおいて、第11回党大会が開催され[4]、その後ボホスロウスカは地域党を離党し、2010年ウクライナ大統領選挙に立候補した[5][6]。その後、同盟の党首に再就任した[7]。
同盟は、2012年ウクライナ最高議会選挙に14の小選挙区に候補を擁立したが、議席獲得には及ばなかった[8][9][10]。
2014年ウクライナ最高議会選挙(英語版)には参加しなかった[11]。
イデオロギー
党員は20世紀初めに活動した政党の後継者を自認し、現代リベラル保守主義(アングロサクソン保守主義)の理論を用いていた。特に実業家及び知識人からなる中産階級の利益代表であると宣言している。
最終更新 2023年2月9日 (木) 日本語版
最終更新 2022年08月14日 ロシア語版
最終更新 2021年10月3日ウクライナ語版
最終更新日は 2024年1月15日 (火)英語版
急進党 2010年~
ウクライナ語:Радикальна партія Олега Ляшка
ローマ字: Radikal'na partiia Oleha Liashka、RPL
英語:Radical Party of Oleh Liashko
略称 : RPL
リーダー : オレフ・リアシュコ
設立 : 2010年9月28日
本部 :キエフ
イデオロギー:社会民主主義 左翼ポピュリズム
ウクライナ民族主義
経済ナショナリズム
ソフトな欧州懐疑主義
政治的立場 : 左翼
最高会議議席: 0 / 450
地域 : 582 / 43,122
ウェブサイト: liashko.ua
改名(2011年)前 :ウクライナ急進民主党
(ウクライナ語:Українська demократично-радикальна партія)
急進的なポピュリスト党首オレフ・リアシュコは伝統的なヴィシヴァンカ(刺繍入りのシャツ)を着て平凡な田舎者として選挙活動を行い、オンライン選挙活動やソーシャルメディアを積極的に活用することでも有名になった。
2014年11月21日、第2次ヤツェニューク政権を支持する連合に加わり・・・。
急進党は、(親ロシア派分離主義者が支配する地域の地方分権化と権限拡大につながる) ウクライナ憲法の改正に関する議会での投票に抗議し、2015年9月1日に第2次ヤツェニューク政権連立政権を離脱した。
2019年のウクライナ議会選挙で議席と、選挙区議席もすべて失った。
2022年、ロシアのウクライナ侵攻を受けて、党首オレグ・リアシュコはウクライナ軍に入隊し、戦争に参加。リャシュコはポピュリズムと非常に戦闘的な行動で知られる。
イデオロギーと立場
左翼、一部は右翼または極右。
2017年のオックスフォード・ハンドブック・オブ・ポピュリズムでもこの党は左翼される。
国家主義、リベラル・ナショナリスト、親欧州、ポピュリスト・・・
同党の綱領では「急進党の目的 - 平等な機会と福祉の社会」を主張。
「恵まれない人々の保護」をその包括的目標として掲げている。
ウクライナに核兵器を再配備したいと考えている。
ロシア・ウクライナ戦争を武力で終わらせることを主張している。
ドンバスに国連平和維持活動を展開することを提案している。
同党は、ウクライナ共産党や地域党などの親ロシア政党を禁止。反ロシアの立場にもかかわらず、同党は地方主義と地方分権化も支持しており、地方政府の権限を拡大する必要があると主張している。
last edited on 29 July 2024
※野党ブロックとは:
2014 年と2019 年の最高議会選挙の為に設立された
ウクライナの政党 および選挙ブロック
↓ ↓
野党ブロック党 (=野党連合) 2010~2018
ウクライナ語:Опозиційний блок ,
ロシア語:Оппозиционный блок ,
英語:Opposition Bloc ,
ここの記述は、英語の他、ロシア語版とウクライナ語版も見比べたが、英語版のみ食い違っているので正しくない(分類が違う)可能性がある。
下記*1~6を参照(*の数毎で同じ党)
( 英語版 ↓ )
英語版とロシア語版とウクライナ語版(Google翻訳とchrome自動翻訳)
会長 :リナト・アフメトフ(片翼)
ドミトロ・フィルタシュとユーリー・ボイコ(片翼)
・野党ブロック → 平和発展党(アフメトフ派)(2019年6月~2022年7月)
・野党プラットフォーム → 生命のために(フィルタシュ派とボイコ派)
成立 :23 April 2010(法務省に”指導勢力”として登録)
14 September 2014(野党ブロック党として)
廃止 :13 December 2018
合併 : 元地域党議員
ウクライナ – 前進!
ウクライナ発展党
ウクライナ労働党
新政治
「国家中立」
本部 :ウクライナ、キエフ
イデオロギー:社会民主主義 地域主義
ロシア愛国主義 欧州懐疑主義
中道主義 社会的自由主義
政治的立場 : 中道から中道左派
ユーロマイダンを支持しなかった6つの政党が合併して2014年に設立。
解散した地域党の後継者(法的には「指導勢力 (無名の政党)」を改名して設立)。
2014年、主にドニプロペトロフスク、ドネツク、ザポリージャ、ルハンシク、ハルキフの各州で29議席を獲得。アメリカのロビイスト、ポール・マナフォートが政治顧問。
2014年議会選挙
2014年9月14日、地域党は選挙に不参加を選択。ドンバスの住民は選挙で投票できないため、選挙は正当性に欠けると判断した。
野党ブロック:
ウクライナ発展党
( ↳ 2018年野党プラットフォーム—生命のための同盟)
全ウクライナ連合センター
ウクライナ前進!
労働党ウクライナ
新政治
「国家中立」
2014年選挙結果:
29議席獲得。選挙区で2議席獲得。選挙の全国政党名簿では、ハリコフ州の14選挙区すべて、ルハンシク州の6選挙区すべて(投票が可能だった選挙区)、ザポリージャ州の9選挙区中8選挙区、ドニプロペトロフスク州の17選挙区中10選挙区、ドネツィク州(投票が可能だった選挙区)の11選挙区中6選挙区(残りの5選挙区ではポロシェンコ党が勝利)で最多票を獲得。
オデッサ州、 ミコライウ州でも勝利を収めた。
2014年11月27日ブロック議会会派が結成、 2015年のウクライナ地方選挙で全国で11.5%の得票率を獲得。南ウクライナと東ウクライナ(ハルキウ州を除く)で最も多くの票を獲得した。2016年5月、ラビノヴィッチはを離脱。
2019年の大統領選、2つの後継政党の停止と設立
2018年夏、
リョヴォチキンが(フィルタシュと共に)党の1つの派閥を掌握し生命のための党と統合交渉。
もう1つのアフメトフの派閥は(2018年11月初旬、アフメトフ派の党員らは交渉を一時停止)。
野党ブロック—生命のための党から抜けた
↓(ボイコ議長とラビノヴィッチの派閥が)
野党プラットフォーム—生命のための同盟を結成
↓(大統領選挙の候補者にボイコを指名)
野党ブロックからウクライナ発展党が
野党プラットフォーム—生命のための同盟に参加。
2018年11月20日、ボイコ氏と(ウクライナ発展党の主要メンバーの)リョヴォチキン氏は野党ブロック派から排除。
2018年12月中旬、裁判がらみで野党ブロックの大会は「党を再編することはできない」との判決を受け、20日、野党ブロックのウェブサイトはダウン。
2019年大統領選挙に、2つの派閥が候補者2人をそれぞれ指名。
野党プラットフォーム・生命同盟にはユーリー・ボイコ、
野党ブロック・平和発展党(ウクライナ産業党に改名)にはオレクサンドル・ヴィルクル。
2019年1月20日野党ブロック平和発展党を→ ウクライナ産業党へ改称後、大統領候補にヴィルクル氏指名。
アフメトフ氏は、ウクライナ産業党を→ 野党ブロック平和発展党に改名。
( ウクライナ産業党Industrial Party of Ukraineは2014年6月に法務省に登録済み。)
・・・・・
”影の内閣”について
2015年3月31日、野党連合はウクライナの影の内閣のプロジェクトの創設を発表した。著者らによると、このプロジェクトはキエフの政策に反対する法案を作成する予定である。
野党ブロックの影の政府の構成は・・・(以降、Wikiでご確認ください)
イデオロギーと立場
2014年の選挙プログラムは社会的にリベラルでロシア語話者寄り。
・同党の綱領は、ロシア語を地域言語として保護することを想定している。
・ウクライナの「最大限の地方分権化」を望んでいる。
・同党はNATO加盟国になることを阻止したいと考えている。
・ドンバス戦争では、同党は平和的手段とロシアおよびドネツク人民共和国とルハンスク人民共和国の指導者との交渉によって紛争を終わらせることを主張した。
・2014年3月のロシアによるクリミア併合を拒否し、「1991年の国境内で統一ウクライナの平和」を望んでいる。
・マイダン後のウクライナ語が唯一の公用語であることを支持するが、少数民族がロシア語やその他の少数民族の言語を自らのコミュニティの地域言語として定義できるようにすることを主張している。
・2017年、野党ブロック議員は、ウクライナ語を公教育の主要言語とする法律に反対し、2018年には、ウクライナ語を公生活のあらゆる分野で義務言語として確立しこの法律に違反すると行政違反となる法案草案に 反対した。
・「地域間の憎悪の煽動」を犯罪化し、「地域間の憎悪」を助長し「暴力を政治的利益の手段として」使用し、違法な準軍事組織を設立するすべての組織を禁止することを望んでいる。
・他の政治的要望としては、「税負担の軽減」、「諮問的国民投票と住民投票」の導入、「過酷な年金改革」の中止、農地売却に関する国民投票などがある。
last edited on 12 July 2024
*1(ウクライナ語版)野党ブロック 2010(2014)~2022
設立・登記 :2010 年 4 月 23 日
解任 :2022 年 6 月 8 日
本部 :キエフ
政治的イデオロギー:社会民主主義
中道主義
欧州懐疑主義
地域主義
ロシア主義
同盟、ブロック :平和発展の党
復興の働きに対する
私たちの信頼
党首 :エフゲニー・ムラエフ
ヴァディム・ノビンスキー
前任者 :ナタリア・ペシェホノワ(2021年から)
ボリス・コレスニコフ(2016年から2021年)
「野党ブロック」は、ウクライナで禁止されている親ロシア 政党 です。 2014年に親ロシア派の「地域党」を改名し、統合することで結成された。
当時の親ロシア派ヴィクトル・ヤヌコービッチ大統領の権力の座からの追放に至った2014年の尊厳(マイダン)革命の過程で、親ロシア派の地域党は政治的影響力の多くを失い、2014年末までに事実上その活動を停止した。
2014年、名前を「野党ブロック」に変更、正式には新しい政党として登録。地域党の元人民代議員のほとんどは「野党ブロック」に参加した。地域党の主要顧問ポール・マナフォートは、地域党の主要スポンサーであるリナート・アフメトフの資金で2005年に雇われ、親ロシア派の「地域党」の再編において重要な役割を果たした。「野党ブロック」という名前を考案したのはマナフォートであり、2014 年の議会選挙でキャンペーンのコンセプトの作成者であり、野党ブロックをウクライナ東部の「ロシア人」の「野党の代弁者」として推進するというアイデアの作成者でもありました。
2014 年のウクライナ最高議会の臨時選挙で初めて最高議会の選挙に参加した。2019年の議会選挙の前に、 「野党ブロック」、「平和発展党」、「ナシ」、「復興」、「作品を信頼する」の各党の代表は、「野党ブロック」というブランドの下で一緒に選挙に行くと発表した。
2021年現在、積極的な政治勢力ではなく、政治プロジェクト自体も終了している。この政治勢力の主要なロビイストである寡頭政治家リナト・アフメトフは、すでに「野党ブロック」を考慮した新しい政治勢力の創設を発表している。 5月初め、「野党連合」の有力候補の一人であるボリス・コレスニコフは、 「ウクライナは我々の家である」という新たな政治勢力の創設を発表した。
ウクライナ国家安全保障・防衛評議会は2022年3月19日から、ロシア軍のウクライナへの全面攻撃を受けて戒厳令期間中、党の活動を停止した。
2022年5月23日、ウクライナ法務省は政党「野党ブロック」に対し、党活動の禁止を求めて訴訟を起こした。6月8日、第8行政控訴裁判所はその政党を禁止した。裁判所の判決によると、党とそのすべての支部の財産は国家に譲渡される。
*2(ロシア語版) 野党ブロック 2014~2019(2022)
2018 年に設立された野党ブロック - 平和発展党と混同しないでください 。
「野党プラットフォーム - 生涯」と混同しないでください。
リーダー :エフゲニー・ムラエフ
ヴァディム・ノビンスキー
設立 :2014 年9 月 9 日
廃止 :2019年 (事実上)
2022年 3月19日(活動禁止)
イデオロギー:社会民主主義[1]
中道主義[2]
欧州懐疑主義
社会自由主義
地域主義
ロシア好き
味方とブロック
パーティーメンバーには次のものが含まれていました。
野党のプラットフォーム - 生涯 (2016-2022)
ウクライナは私たちの故郷です (2021年—現在)
党のメンバー:地域党 (2014)
「新しい政治」
「シチズン」
平和発展党
私たちの
強いウクライナ
キリスト教社会主義者
ルネサンス
物事を信頼する
ウクライナ農業党 (統一)
同盟 :カーンズ・ブロック - 成功したハリコフ
ヴァディム・ボイチェンコのブロック
ヴィルクラ・ブロック – ウクライナの視点
ウラジミール・ブリャクの党 - 「団結」
モットー :「ビジネスへの信頼」
最高会議の議席: 450名中29名(第8回招集)
450名中 6名(IX招集)
地方議会 : 213/43122
サイト : opposition.org.ua
「野党ブロック」は、2014 年と2019 年の最高議会選挙に参加するために設立されたウクライナの政党および選挙ブロックです。
「野党ブロック」には、「新政治」党(ノヴァ・ポリティカ)、「市民党(グロマジャニン)」、「ウクライナ・前進!」党と「労働ウクライナ党」が含まれていた。 2014年から2016年までは、全ウクライナ協会「センター」 (ワディム・ラビノヴィッチが所長)も含まれていた。 2019年以来、このブロックには「平和発展党」、「ナシ」党、「Trust Deeds 行為の信頼」「Trust Deeds 行為を信頼」)とパーティー「ルネッサンス」(ウクライナ語 「Vіdrozhennya」)党が含まれている。
2021年 5月初旬、野党連合の主要指導者の一人であるボリス・コレスニコフは、「ウクライナは我々の家である」という新たな政治勢力の創設を発表した。
2022年3月19日、国家安全保障・国防会議は戒厳令の期間中、この政党の活動を停止した。
2020年の地方選挙
2020年の地方選挙では、野党ブロックがドネツク、ルハンシク、ザポリージャ地域のいくつかの地区で参加した。ペルボマイスクとスラビャンスクでは野党ブロックの代表が選挙に勝利した。ハリコフ、オデッサ、ドニプロペトロウシク地域など、他の多くの地域では、党の代表者が「ケルネス・ブロック - 成功したハリコフ」、「ワディム・ボイチェンコ・ブロック」、ヴィルクル・ブロック「ウクライナの視点」、ウラジミール・ブリャクの「団結」党とゲンナジー・トルハーノフの「行為の信頼Доверяй Делам物事を信用しろ(トラスト・ディーズ)」」党などの地域ブロックに入った。
(一部の噂によると、この党はイーゴリ・コロモイスキーが監督しており、彼の影響力は野党に及んだ。政治的な力も観察される。)
最終編集日は 2024 年 7 月 15 日
*3(英語版) 野党ブロック(2019~2022)
↑ 野党ブロック — 平和と開発党から
2014年に設立された同名の政党(現在は解散)については、「野党ブロック」をご覧ください。
ウクライナ語: Опозиційний блок、ローマ字: Opozitsiyniy blok
ロシア語: Оппозиционный блок、ローマ字: Oppozitsionniy blok
英語:Opposition Bloc
リーダー :エフヘニー・ムラエフ
副リーダー :オレクサンドル・ヴィルクル
会長 :ボリス・コレスニコフ
議会リーダー:ヴァディム・ノヴィンスキー
設立 :2019年6月7日
登録済み :2018年12月26日
禁止された :2022年7月25日
合併 :野党ブロック(2014年)(アフメトフ派)
平和発展党
前任者 :野党ブロック(2014)
後継者 :ウクライナは私たちの故郷です
サイト :http://opposition.com.ua/
野党ブロック
(ウクライナ語: Опозиційний блок、
ロシア語: Оппозиционный блок)、
以前は
野党ブロック — 平和と開発党
(ウクライナ語: Опозиційний блок — Партія миру та розвитку 、
ロシア語: Оппозиционный блок - Партия мира и развития)。
2019 年 6 月までは、2019年に設立されたウクライナの政党。
2022年6月8日、この党は法廷で禁止された。党は禁止に対して上訴しなかったため、7月25日に正式に消滅した。
この党の設立は、2014年に設立された同名の「野党ブロック」の分裂の結果である。2019年1月までに、この党の2つの派閥は2019年ウクライナ大統領選挙に2人の異なる候補者を指名した。
ユーリー・ボイコは「野党プラットフォーム - 生命のために」と呼ばれる党派閥によって指名された。
競合する党派閥は新党「野党ブロック - 平和と発展党」を結成しヴィルクルを大統領候補に指名した。2019年のウクライナ議会選挙では、新党は6つの小選挙区で勝利し、全国リストは3.23%の票を獲得したが、5%の選挙の壁を越えることができなかった。
法的には、野党ブロック - 平和開発党は、2014 年に設立されたウクライナ産業党 (ウクライナ語: Індустріальна Україна、ロシア語: Индустриальная Украина)の後継政党である 。
最終更新日は 2024年7月30日
**4(ロシア語版)平和発展党 (2018-2022)
2014 年に設立された政党である野党ブロックと混同しないでください。
野党ブロック
野党のプラットフォーム - 生涯にわたって
リーダー :アレクサンダー・ヴィルクル・
ヴァディム・ノビンスキー
ボリス・コレスニコフ
設立 :2018年12月13日
廃止 :2022 年6 月 8 日
本部 :キエフ
イデオロギー :社会民主主義
中道主義
欧州懐疑主義
地域主義
ロシア主義
味方とブロック:野党ブロック
モットー :「平和と発展のために!」
最高会議の議席:450 名中 29 名(第 8 回招集)
450 名中 5 名( IX 招集)
地方議会 :213/1254
Webサイト : opposition.com.ua
「平和発展党」は
2019年6月3日までは「野党ブロック - 平和発展党」。
2018年12月の野党ブロック党の分裂後に創設された政治勢力。
指導者は 元ウクライナ副首相で
ドネプロペトロウシク地方国家行政の元議長ヴィルクル氏。
2019年の大統領選挙に参加。
2019年の議会選挙では「野党ブロック」、「ナシ」、「ルネサンス」、「行為の信頼」に加わった。
世論調査 によると2%から10%の支持率。
イデオロギー
同党は、次の変更を加えたウクライナ新憲法の草案を主要ウェブサイトに掲載した。
・「国の独立と領土保全の枠内で、地域により多くの権利を与える」 。
・ウクライナを二院制議会、つまり下院(35人)と下院(150人)を含む国会を持つ議会制共和国にする。
・首都をキエフからカネフ市に移す。
・大統領の直接選挙の禁止とその権利を議員に移譲する。
党自体はその見解によれば親ロシア派と呼ばれている。そのため、分裂後、党は「ウクライナ」や「NASH」などのテレビチャンネルからの情報支援を享受している。
最終編集は、2024 年 7 月 27 日
**5(ウクライナ語版) 平和と発展の党 (2018~2022)
ウクライナ語:Партія миру та розвитку
英語:Party for Peace and Development
日本語:平和と発展の党 / 平和発展党
設立日 :2018年12月13日
解散日 :2022 年6 月 8 日
党首 :ヴィタリー・キシル
本部 :キエフ
イデオロギー :中心主義
欧州懐疑主義
地域主義
同盟とブロック:野党ブロック
モットー :「平和と発展のために!」
2018年11月9日、「野党ブロック」のボイコと
「フォー・ライフ」党のラビノビッチは、 OPZZHの同盟を創設。
(野党ブロックのコレスニコフとノビンスキーは「フォー・ライフ」との協力を認めていず。)
2018年11月17日、ウクライナ開発党 (「野党ブロック」の一部) が OPZZH に加盟。
2018年11月20日、ボイコとリョヴォチキン氏は「野党連合」から追放。
2018年12月26日、ウクライナ法務省は「野党ブロック - 平和と発展の党」登録。
(平和開発党を改名して設立、2014年6月に登録、カイセルが党首)
2019年1月20日、「平和と発展のために」フォーラムで、ヴィクルクルをウクライナ大統領候補に指名。
2019年6月3日、党名を「平和発展党」に変更。
2019年6月7日、議会選挙の前に 次の5政党が統一
”野党ブロック”, ”平和発展党”, ”OUR”, ”復興”, ”ビジネス信頼”
最終編集は 2023 年 4 月 17 日
***(英語版)
野党プラットフォーム → 生命のために(フィルタシュ派とボイコ派)2018~2022
ウクライナ語:Опозицiйна платформа – За життя
ロシア語:Оппозиционная платформа – За жизнь
英語:Opposition Platform — For Life
略語:OPZZh または OPFL
野党プラットフォーム – フォー・ライフ(訳によっては”生涯にわたって”)
全ウクライナ連合「センター」1999 → 生命のために2016 → 野党プラットフォーム – 生命のために2018 ~2022
リーダー :ユーリー・ボイコ
執行委員会会長:セルヒー・リョヴォチキン
創設者 :ユリー・ボイコ
ワディム・ラビノビッチ
ドミトロ・フィルタシュ
ヴィクトル・メドヴェチュク
*(2021年5月11日~自宅軟禁、
2022年2月27日逃亡、
2022年04月12日拘束)
設立 :1999年12月9日(全ウクライナ連合「センター」)
2016年7月26日(人生(生命)のために)
2018年11月9日(野党プラットフォーム – 生命のために)
合併 :野党ブロック (フィルタシュ派とボイコ派)
生涯にわたって
ウクライナ – 前進!(2018年)
ウクライナ発展党 (2018年)
ウクライナの選択 会員
禁止 :2022年3月~9月
後継(禁止後) :ウクライナの生命と平和回復のためのプラットフォーム
本部 :メチニコワ 14/1、キエフ
ユースウィング:OPZZhの青年部
準軍事組織 :生涯の愛国者
イデオロギー :社会民主主義
地域主義
ロシア親愛主義 (2022 年まで)
欧州懐疑主義(2022 年まで)
ロシアの 少数派の利益
政治的立場 :中道から中道左派へ
同盟、ブロック:シャリー党
Webサイト :zagittya.com.ua
野党プラットフォーム – フォー・ライフは、・・・
(↑Chrome機械翻訳で意味不明だったので、ここだけ↓ deepl翻訳)
野党綱領 - 生活のためには、ウクライナの親ロシア・ユーロ懐疑派の政党。
前身:1999年から2016年まで全ウクライナ連合「センター」と呼ばれていた小規模な親ロシア政党「生命のために」(ウクライナ語:За життя、ロシア語:За жизнь)、 1999年12月に登録。
2019年のウクライナ議会選挙では、全国党名簿で37議席、選挙区で6議席を獲得。
親ロシア政策を掲げているが 、 2022年3月8日にロシアのウクライナ侵攻を公に非難した。
2022年3月20日、国家安全保障国防会議はロシアとの関係を疑わせる行為を理由に戒厳令期間中同党の活動を停止した。
4月14日、ウクライナ議会で同党の議員グループが解散。
4月21日、同党の元議員25人が「生命と平和のためのプラットフォーム」(ウクライナ語:Платформа за життя та мир)新しい議員グループを結成。
6月20日、同党は裁判所により禁止された。
2022年9月15日、この禁止に対する上訴がウクライナ最高裁判所により棄却。
全ウクライナ連合「センター」
2002年
2006年3月26日の議会 選挙では、同党は野党ブロック「ネ・タク」の一員
2007年9月30日の選挙では、同党は選挙ブロック「クチマ」の一員
2014年のウクライナ議会選挙では、他の5つの政党とともに野党ブロックに参加
生涯にわたって
2016年7月、野党ブロックの元メンバー、ヴァディム・ラビノヴィッチとエフヘン・ムライエフは、 For Lifeという名前で党を再結成。
2018年9月、ムライエフはFor Lifeを離脱、5日後に新しい政党Ours(Nashi)を結成。
ウクライナ法務省は、全ウクライナ連合「センター」の名称変更を登録しなかった。
野党プラットフォームの設立 - 生命のために
2018年11月5日、ヴィクトル・メドヴェドチュクが、政党「生命のための党」の評議会議長に選出。メドヴェドチュクは、社会的に保守的な親ロシア派の政治団体であるウクライナの選択NGOのリーダーでもあり、公然と反ウクライナであるとしてウクライナでは部分的に禁止されている。
2018年11月9日、野党ブロックのユーリー・ボイコ議長と「生命のための党」は協力の協定「野党プラットフォーム - 生命のための党」に署名。野党ブロックのメンバー、ウクライナ前進!、ウクライナ発展党が加盟。12月13日、 新政党「野党プラットフォーム・生命のために」を発表。
野党ブロック +「生命のための党」
⇒「野党プラットフォーム - 生命のための党」(2018年)
+ ウクライナ前進!
+ ウクライナ発展党が加盟
⇒ 新政党「野党プラットフォーム・生命のために」(2018年)
⇒ 禁止(2022年)後
→ 議員グループ「私たちの家はウクライナ」→解散
⇒ ・グループは「生命と平和のためのプラットフォーム」(2022年)
・議員グループ「ウクライナ復興」を結成(2022年)
2022年3月20日、禁止された党
野党プラットフォーム・生命のためには、2022年3月20日にウクライナ国家安全保障防衛会議によって活動停止処分を受けた政党の一つで、他にはデルジャヴァ、左翼野党、ナーシ、野党ブロック、シャリー党、ウクライナ進歩社会党、ウクライナ社会党、左翼連合、ウォロディミル・サルド・ブロックなどが挙げられます。
***(ウクライナ語版)
野党のプラットフォーム — 生涯にわたって(2018~2022)(略称OPZZH )
「野党プラットフォーム — 生涯」(略称OPZZH )は、ウクライナで禁止されている社会的指向の親ロシア政党で、1999年から2022年まで活動。
1999年12月9日に全ウクライナ協会「センター」として登録された。
2016年7月に「 For life 」に改名された(トップはワディム・ラビノヴィチ)。
2018年7月末、ヴィクトル・メドヴェチュクのNGO 「ウクライナの選択」が党と合併。
2022年3月19日よりロシアのウクライナ侵攻による戒厳令中の国家安全保障会議の決定により党活動が停止された。
2022年6月20日、リヴィウの第8行政控訴裁判所は法務省の訴えを認め、当事者の活動を禁止。 2022年9月15日付のウクライナ破毀行政裁判所の判決により最終的に禁止。
㊟紛らわしい名称
野党プラットフォーム と 野党ブロック
(プラットフォーム=綱領)
(ブロック=連合)
※上記の6個の*について、
*1(ウクライナ語版)と *2(露語版)と *3(英語版)は同じ
**4(露語版)と **5(ウクライナ語版)は同じ
***(英語版) 野党プラットフォーム → 生命のために と
***(ウクライナ語版) 野党のプラットフォーム — 生涯 は
内容が同じ
Zastup (全ウクライナ農業協会「スペード」) 2011~
Заступ、Всеукраїнський аграрний об'єднання "заступ"
Zastup、All-Ukrainian Agrarian Association "Spade"
全ウクライナ農業協会「スペード」
党首 : ヴィラ・ウリアンチェンコ
設立 : 2011年5月4日
イデオロギー : 農業主義 地方分権
経済ナショナリズム
政治的立場 : 左翼
最高会議の議席:0 / 450
(2014年: 1 / 450)
Webサイト :http://zastup.org.ua/
Za Sotsialnu Trudovu Ukrainsku Perspektyvu
(社会的な労働力のあるウクライナの視点)の略語
旧名:「人民イニシアチブ」
ウクライナ語:Народна ініціатива
英語:"People's Initiative"
最終更新日は 2024年3月12日 (火)
自助党(自立党) 2012~
ウクライナ語:Самопоміч
英語:Self Reliance ”Samopomich”
リーダー : オクサナ・シロイド
創設者 : アンドリー・サドヴィ
成立 :2012年12月29日
本部 :リヴィウ Lviv
メンバー :(2019)±2,000
イデオロギー :キリスト教民主主義
自由保守主義
親欧州主義
政治的立場 :中道右派
最高会議の議席 :1 / 450
地方(2020) :222 / 43,122
リビウ地方議会 :9 / 84
サイト :https://samopomich.ua/
自立連合は、ウクライナのリベラル保守派およびキリスト教民主主義政党
20 世紀初頭にウクライナ西部で始まったウクライナ協同組合運動の歴史に由来。ガリツィアにウクライナの国民金融協同組合を設立。1904 年、牛乳生産者の協同組合を設立。第一次世界大戦とポーランド・ウクライナ戦争により運動は中断、活動家たちは西ウクライナ人民共和国のための活動に専念。協同組合運動は第一次世界大戦後に、ガリシアのウクライナ人は独自の銀行 (銀行『ドニスター』)、貿易ネットワーク (『マスロソイユズ』と『人民貿易』の店舗)、監督機関 (ウクライナ協同組合改訂連合)、保険会社、教育システムなどを設立し、ソキル、プラスト、スポーツ協会『ウクライナ』などの組織を普及させ、タラス・シェフチェンコ学術協会は科学者と知識人を統合した。第二次世界大戦とソビエトの弾圧により、ウクライナ領土での市民活動は終焉。
2004 年 11 月 4 日に慈善団体「自立」の設立。主な活動は、市民の法的リテラシーの促進、健康的なライフスタイルの促進、ボランティア運動の組織化、および地域協力団体の設立「自立」という NGO の設立。
2012年12月29日に政党として登録。
地方代表団を結成し、イデオロギー的アプローチを展開し始めた。自立の活動家はユーロマイダンに参加した。
議員のホプコとクリヴェンコは、(2014年からの)ドンバス戦争中に占領した領土で親ロシア派分離主義者の権限拡大と地方分権化につながるウクライナ憲法改正を支持したため、2015年8月31日に派閥規律違反で自力党から追放された。
2016年2月17日 Facebookページ、公式声明で、「大統領、首相、連合の汚職政治家、そして寡頭政治家の支援を受けてウクライナでクーデターが起こり、第2次ヤツェニューク政権が「非合法な政府」となった」と主張し、翌日、連合を離脱した。
(活動中)
last edited on 1 August 2024
右派セクター 2014~
ウクライナ語:Правий сектор
ローマ字:Pravy/Pravyi sektor(Pravyy sektor)
英語:Right Sector
創設者 :ドミトリー・ヤロシ
会長 : アンドレイ・タラセンコ
成立年月日 : 2014年3月22日
設立 :2013年11月
2014年5月22日登録(法務省により正式に)
合併 :トリズブ
UNA-UNSO
シッチ
元構成政党:
社会国民議会(2014 年に離党)、
白ハンマー (2014 年に除名)、
C14(シーチ)* (2014 年に離党)
準軍事組織 :ウクライナ義勇軍(2014年~2022年)
本部所在地 : キーウ
最高議会 : 1 / 423 (0%)(2014年10月30日)
0 / 450(英語版)
地域(2015年) : 2 / 158,399
党員・党友数 :約10,000人
政治的思想・立場:右翼 - 極右
反共 反露 親米
ウクライナ民族主義
宗教保守主義
欧州懐疑主義
イデオロギー :ウクライナ民族主義
超国家主義
革命民族主義
反ロシア感情
反共産主義
宗教的保守主義
強硬な欧州懐疑主義
政治的立場 :右翼から極右
スローガン :「神よ!ウクライナよ!自由よ!」
テロ集団に指定 :ロシア (において)
公式サイト : pravyysektor.info
ウクライナの民族主義者らで構成される極右政治団体・政党・準軍事組織。
歴史
2013年11月に極右団体トライデント(トリズブ)のリーダーであったドミトリー・ヤロシが中心となり、ウクライナの各極右組織を元に設立。ステパーン・バンデーラに代表されるような第二次世界大戦時の対ソ抵抗パルチザンであるウクライナ蜂起軍の伝統を引き継いでいる。北米を中心とした世界各地のウクライナ系移民からの支援も受けている。
2014年3月22日に極右民族主義団体であるトライデント、ウクライナ民族会議 ― ウクライナ人民の自己防衛、ウクライナの愛国者、ウクライナ国民会議、ホワイトハンマーが合併し新政党を創設した。
2014年ウクライナ騒乱と暫定政権への参加
2014年ウクライナ騒乱では、反ヤヌコーヴィチ政権デモを独立広場(ユーロマイダン)周辺で展開、暴力により警察側と対抗し、騒乱の中心的団体となり、ヤヌコーヴィチ政権打倒の原動力となった。党首のドミトリー・ヤロシはヤツェニュク暫定政権への入閣、ウクライナ国家安全保障・国防会議の副議長への就任を要請されたものの、実現しなかった。
前身の極右団体トライデントのメンバーでもあるシェルヒー・クヴィットは教育科学大臣として暫定政権に入閣している。
2014年3月上旬、ヤロシが北カフカスのイスラム系反政府指導者、ドク・ウマロフに対して連携を求める動きを示すと、ロシアは指導者のヤロシに対しテロ実行を呼びかけた罪などで起訴。国際刑事警察機構に対して国際手配をするよう要請したが、ウクライナ側はヤロシを逮捕し、他国に引き渡す根拠は無いとした。
2014年3月11日、右派セクターの中心人物でウクライナ民族会議 ― ウクライナ人民の自己防衛のメンバーでもあったムズィチコが西ウクライナのリウネでの射殺をきっかけに、暫定政権はそれまでの擁護姿勢から、右派セクターを取り締まりの対象とするようになる。
3月22日、右派セクターは極右民族主義団体とともに新政党を創設、5月大統領選挙にヤロシを擁立すると発表[7]。ただし、新政権内部でも右派セクターの過激な活動に危惧を示す政治家も存在するなど国民の支持を受けているとは言いがたく、3月時点の世論調査では、右派セクターの支持率は1%未満と低迷[8]。
4月以降、暫定政権によって発足した国家親衛隊の志願兵として、ウクライナ東部での親露派鎮圧の目的のために活動拠点をそれまでのキエフから、東部のドニプロペトロウシクに移した[9]。
2015年末、新組織設立の準備のために創設者で党首のドミトリー・ヤロシが右派セクターを脱退[10]。2016年3月19日にアンドレイ・タラセンコがヤロシの後任として代表に就任[11]。
主義・主張
国民国家の樹立を目指している。ドミトリー・ヤロシによると、国会に議席を持つ全ウクライナ連合「自由」(スヴォボーダ)と共通点が多い。また、ホモセクシャルに反対している。
武装組織
右派セクターは準軍事組織「ウクライナ義勇軍団」を保持しており、ユーロマイダンの終焉時に、内務省が保有する西ウクライナのリヴィウにある武器庫を使用している。
構成組織
・トライデント(トリズブ)・・・ヤロシがリーダーの右派セクターの主要構成組織。
メンバーのシェルヒー・クビットが教育科学省大臣としてヤツェニュク暫定政権に入閣。
・ウクライナ民族会議 ― ウクライナ人民の自己防衛・・・殺害されたオレクサンドル・ムズィチコやジャーナリストのタチアナ・チョルノヴィルがメンバー。
・ウクライナの愛国者・・・西ウクライナのリヴィウ発祥だが、現在は親露派の多い東部ハルキウに拠点を置く極右反露の国家社会主義組織。
・ウクライナ国民会議
・ホワイトハンマー
最終更新 2024年4月25日 (木)
(英語版) ↓
2013年11月、キエフのユーロマイダンの反乱でいくつかの超国家主義組織の右翼準軍事同盟として発足し、街頭戦闘員が機動隊との衝突に参加した。この連合は2014年3月22日に政党となり、その時点では約1万人の会員がいると主張した。創設グループには、ドミトロ・ヤロシュとアンドリー・タラセンコが率いるトライデント(トリズブ) [ uk ]や、政治・準軍事組織のウクライナ国民議会・ウクライナ国家自衛隊(UNA-UNSO)などがある。
その他の創設グループには、社会国民議会とその準軍事組織であるウクライナ愛国者、ホワイト・ハンマー、シチ大隊などがある。ホワイト・ハンマーは2014年3月に追放され、翌月にはウクライナ愛国者、および多くのUNA-UNSOメンバーが組織を脱退した。
2019年のウクライナ議会選挙では、右派セクターはヤロシュの政府構想、国民軍団、スヴォボダとともに統一極右全国政党名簿で選挙に参加したが、議席を獲得できなかった。
右派セクターは、独自の準軍事組織であるウクライナ義勇軍とともにドンバス戦争を戦った。
2015年
ヤロシュの離脱により、右派セクターのメンバーの少なくとも20%が彼とともに離脱し、ウクライナ義勇軍の3個大隊とともに、ウクライナ義勇軍という新しい準軍事組織を結成した。 2016年2月、ヤロシュはヤロシュ政府構想と呼ばれる新しい組織を設立した。2016年3月19日以来、タラセンコが右派セクターの新しい議長となっている。
起源 :
右派セクターは、2013年11月下旬に、街頭ファイティングを行うサッカーファンと右翼民族主義団体の連合として結成された。その団体は、ウクライナ愛国者(アンドリー・ベリツキー)、社会民族会議、トライデント(ドミトロ・ヤロシュ)、UNA-UNSO(ユーリー・シュヘヴィチ*)、ホワイト・ハンマー、カルパティア・シチである。
(*UPAの軍事指導者であった。彼は1941年2月から1942年12月までナチスに協力、ガリツィア・ヴォルィーニで数万人のポーランド人民間人を虐殺した加害者の一人であるロマン・シュヘヴィッチの息子;1933年 - 2022年11月)
イギリスBBC: 右派セクターのキエフ組織は主に、民族主義的な見解を共有するロシア語圏のサッカー過激派によって構成されていると報じている。
右派セクターは、第二次世界大戦でソ連とナチスドイツに味方して戦ったウクライナ蜂起軍(UPA)などのウクライナパルチザンの伝統の中に自らを位置づけている。リーダーであるヤロシュは、ソ連崩壊以来、軍事演習で武装民族主義者を訓練してきた。共同創設者のアンドリー・タラセンコは2014年1月にLIGA通信社に、参加者の大半は「いかなる組織にも属さない一般市民」であると語った。
右派セクターはウクライナ人ディアスポラから寄付金を受け取ったと主張している。
ユーロマイダンへの入場 :
右派セクターは、ユーロマイダン抗議運動の一部である2014年1月のフルシェフスコホ通り暴動の後半のより暴力的な段階で、主要な役割を担う者の一つとなった。2014年1月19日、この組織はメンバーに対し、抗議運動に火炎瓶や爆弾を製造するために瓶を持ち込むよう奨励した。ヤヌコビッチ政権はこれを過激派運動に分類し、メンバーを投獄すると脅した。
右派セクターは、警察と対峙する際にはユーロマイダンの勢力の中で最も組織化され、最も効果的であると評されている。右派セクターは、ユーロマイダンでの国家による武装攻撃に対する暴力的な抵抗の主たる組織者であると主張している。ヤロシュは、このグループがかなりの量の武器を蓄積していると述べた。これらには、ウクライナ西部の警察署から押収された銃も含まれている。
イスラエルの新聞ハアレツは、デモ中にスヴォボダと右派セクターが関与した反ユダヤ主義事件を報じた。彼らの過激派は政治的反対者を「ジッド」と呼び、ネオナチのシンボルが描かれた旗を掲げていた。ハアレツによると、これらの組織は独立広場のデモ参加者に『我が闘争』と『シオン賢者の議定書』の翻訳版も配布していたという。
2014年の親ロシア紛争:
2014年4月、右派セクターはドンバス戦争における準軍事作戦のために特別なドンバス大隊の編成を開始したと発表した。2014年4月22日、スロビャンスクの親ロシア派武装勢力は、同グループのスパイ容疑でアメリカ人ジャーナリストのサイモン・オストロフスキーを数日間拘留した。
2015年ウクライナの特別治安部隊との衝突:
2015年7月10日、ウクライナ政府軍はウクライナ西部のムカチェヴォ市で右派セクター軍と衝突した。2人が死亡した。ペトロ・ポロシェンコ大統領の議会派閥リーダー、ユーリー・ルツェンコによると、これらの事件は「違法な武装集団と、法執行機関に公然と協力しているマフィアとの間の利害の対立から生じた」という。一部の地元指導者は、右派セクター軍が西ヨーロッパへの高収益の違法タバコ密輸取引を取り締まろうとしたことから衝突が起こったと示唆した。この取引には地元法執行機関も加担していた。この事件の直接的な影響として、地元ザカルパチャ地区税関幹部の解任があった。密輸組織に名指しされたウクライナ国会議員ミハイロ・ラニョはウクライナから逃亡したと報じられている。右派セクターのリーダー、ヤロシュは冷静さを呼びかけ、右派セクターの軍隊がウクライナ東部から撤退していることを否定した。
準軍事作戦:
右派セクターは、マイダン革命の終盤に、ウクライナ西部のリヴィウ近郊にある内務省の兵器庫から軍用兵器を押収した。革命後、右派セクターは一部の武器をウクライナ当局に引き渡し、残りは保管した。ヤヌコビッチ政権の崩壊後、警察はキエフの街からほぼ撤退し、右派セクターのメンバーを含む若者のグループが、主に野球のバット、時には銃で武装して街をパトロールした。ヤロシュによると、右派セクターは内務省や治安機関の退職将校を採用している。彼はニューズウィーク誌に、「どの軍隊でもそうであるように」 S-300対空ミサイルの使用訓練を受けた専門家がいると語った。 2022年現在、このグループは武装し、活動している。
ウクライナ義勇軍
右派セクターには、ドンバス戦争で戦っている独自の義勇大隊、ウクライナ義勇軍(ウクライナ語:Добровольчий український корпус, ДУК、ローマ字: Dobrovolʹchyy ukrayinsʹkyy korpus, DUK)がある。この大隊は2014年4月下旬に結成された。2014年7月19日、右派セクターは、軍が適切な戦闘装備を提供するなら、戦闘に5,000人を派遣する用意があると述べた。
2015年12月、グループリーダーのドミトロ・ヤロシュは、右派セクターからの退任に伴い、第5、第8大隊と医療大隊をウクライナ軍に編入すると発表した。 DUKは、可能であればウクライナ国家親衛隊の一部となり、近い将来、内務省に報告するか、ウクライナ陸軍に編入されることになる。
ヤロシュは2015年12月に右派セクターを離れ、DUKの一部を引き継ぎ、ウクライナ義勇軍(ウクライナ語:Українська добровольча армія, УДА、ローマ字: Ukrayinsʹka dobrovolʹcha armiya, UDA)を結成した。
彼らは正式に特殊作戦部隊として地上軍に吸収された。2022年11月、ウクライナ義勇軍は第67独立機械化旅団として再編され、イギリスで訓練を行っていた。
2024年、第67旅団はウクライナ最高司令部によって解散され、同旅団の兵士は新しい部隊に異動となった。旅団解散の主な理由の1つは、2024年初頭から激しい戦闘が続いているドネツィク州チャシフ・ヤル周辺の戦闘で部隊がいくつかの重要拠点を失ったことであった。 ウクラインスカ・プラウダによると、旅団内の主な問題の一つは、指導部が右派セクターの兵士と最近の補充中に他の地域から転属してきた新兵を分けていたとされることであった。これらの新兵に対する態度は、経験不足にもかかわらず、通常は最初に戦闘に参加するというもので、これが旅団の領土喪失につながった。
報道における説明:
BBCニュース;「ウクライナ民族主義グループ」および「極右グループの傘下組織」、タイム誌;「過激な右翼グループ...戦闘的な超国家主義者の連合」、イデオロギーは「ファシズムに近づいている」。ニューヨークタイムズ紙;「民族主義グループ」および「かつては非主流だったウクライナ民族主義グループの連合」。ガーディアン紙;「ウクライナ民族主義グループ」 、ロイター通信;「極右民族主義グループ」、 AFP通信;「極右」グループ、ウォールストリートジャーナル紙;「極右活動家と超国家主義者の傘下グループ」。
ディ・ヴェルト、ニューヨーク・タイムズ、ル・モンド・ディプロマティークは、右派セクターの構成グループの一部を過激な右翼、ネオファシスト、ネオナチと評しているが、反ユダヤ主義からは距離を置いているとも述べている。ワシントン・ポスト紙;「ウクライナでは、アゾフ運動や右派セクターなど、ネオナチの思想を信奉する民族主義的な準軍事組織がいくつか活動している。目立っているものの、国民の支持はほとんどないようだ。ウクライナ議会に代表される極右政党はスヴォボダだけであり、議席は1つしかない。」
ハンナ・コズロフスカはフォーリン・ポリシー誌に寄稿し、ロシアのプロパガンダは右派セクターを政府乗っ取りを企む強力なネオナチ勢力として描写することでウクライナ政府を悪者に仕立て上げ、クリミア併合の根拠を作り上げようとしていると述べた。
AP通信は;「ロシアの国家プロパガンダによってファシストとして悪者にされた過激な超国家主義団体」、この団体によるヘイトクライムの証拠は見つかっていないと報じた 。
ロシア通信;「過激な極右反対派グループ」と描写し、「ロシアの国営メディアはデモを主にファシズムに触発された運動として描こうとしている」と述べた。
構成グループ:
学術関係者やメディアは、ライトセクターの構成グループの一部を右翼民族主義者、 超国家主義者、ネオファシスト、右翼、極右、超保守主義者、準軍事組織、ネオナチ要素を含むと説明している。ライトセクターのメンバーの過半数または大多数は、ストリートファイティングサッカーファンクラブに所属しているか、特定の所属を持っていない。
シチ / シック ;
シチ(カルパティア・シチ、Карпатська Січ)は、トランスカルパティア出身のコサック大隊である。その名前は、ウクライナのコサック語で指揮・管理センターを意味する言葉に由来している。
トリズブ(トライデント) ;
トリズブは、ウクライナ民族主義者会議(ウクライナ民族主義者組織の旧バンデラ派)によって1993年に設立された極右ウクライナの準軍事組織である。 正式名称はステパン・バンデラ全ウクライナ組織「トリズブ」であり、その主な目標はウクライナの統一独立国家の創設であるとしている。この目標を達成するための敵は「帝国主義と排外主義、ファシズムと共産主義、コスモポリタニズムと疑似国家主義、全体主義と無政府主義、ウクライナ人の汗と血に寄生しようとするあらゆる悪」である。
ウクライナ国会 – ウクライナ国家自衛隊 ;
主要記事:ウクライナ国民議会 – ウクライナ人民自衛
ウクライナ国民議会・ウクライナ国家自衛隊(UNA-UNSO)は、ウクライナ国内外で極右とみなされているウクライナの政治組織である。この派閥は1993年にアブハジア戦争に参加した義勇兵大隊を派遣し、その様子はゲオルギー・ゴンガゼ監督のドキュメンタリー映画『戦争の影』で描かれている。ウクライナ国民議会(UNA)は組織の合法的な政党部門として活動していたが、2014年5月22日に右派セクターに合併した。UNA-UNSOは引き続き独立して活動している。
最終更新日は 2024年8月19日 (火)
@ロマン・シュヘヴィッチ(1907 – 1950)
1925年、シュヘヴィチはウクライナ軍事組織(UVO)に入隊。1926年、UVOはシュヘヴィチに、ウクライナの教育制度を「ポーランド化」したとして告発されたリビウの学校長スタニスワフ・ソビンスキーの暗殺を命じた。ロマン・シュヘヴィチとボフダン ・ピドハイニは1926年10月19日に暗殺を実行。1928年-1929年、シュヘヴィチは砲兵としてポーランド軍に従軍。
1929年2月、ウクライナ民族主義者組織(OUN)がウィーンで設立。シュヘヴィチは「ズヴィン」(ベル)という名前でウクライナ政府の代表となった。
シュヘヴィチは1930年にガリツィアのポーランド人の財産や家屋に対する一連の攻撃のリーダーであり、ポーランド当局に報復を挑発し、ウクライナ社会を過激化させることが意図されていた。ポーランド政府は「平和化」のプロセスで報復したが、これは反ポーランド感情を強め、ウクライナのナショナリズムを高めました。
シュヘヴィチはテロ活動や暗殺を計画し、参加した(ウクライナの民族主義者は、反ウクライナ政策に対する抗議行為であると主張)。
シュヘヴィチは、ステパン・バンデラ、ステパン・レンカフスキー、ヤロスラフ・ステツコ、ヤロスラフ・スタルークらとともに「永続革命」という概念を発展させた。彼らの宣言によれば、”占領者によって搾取されているウクライナ国民は、敵に対する継続的な攻撃によってのみ自由を獲得できる”。その結果、OUN は全ウクライナ反乱の準備という任務を引き受けた。シュヘヴィチは、革命は敵を永久に打ち負かすための妥協のない闘争であるという考えを広めた。
シュヘヴィチはウクライナ軍の結成に関する構想の発展に積極的に関与した。当時、正反対の2つの議論があった。1つ目はウクライナ移民によるウクライナ軍の結成を提案し、2つ目はウクライナ西部でウクライナ人によって組織された国家軍を募集することを主張した。
最終更新日は 2024年8月31日 (火)
人民戦線党 2014~
ウクライナ語:Народний фронт
英語:People's Front
民族戦線または人民戦線
党首 : アルセニー・ヤツェニュク
成立年月日 : 2014年3月31日
本部所在地 : キエフ
分割 :全ウクライナ連合「祖国」 から
最高議会 : 82 / 423 (19%)(2014年10月30日[1])
政治的思想・立場: 欧州統合主義
親米
反露
保守主義
ウクライナ民族主義
政治的立場 :中道右派から右派
ヨーロッパの所属:欧州人民党(オブザーバー)
スローガン :困難な時期を乗り越える強いチーム
公式サイト : nfront.org.ua
概要
2014年に全ウクライナ連合「祖国」に所属していたアルセニー・ヤツェニュクとオレクサンドル・トゥルチノフにより結成された[1][2]。他のメンバーはアバコフ、国家安全保障・国防会議の元書記パルビイ、ジャーナリストで内務大臣の補佐官のチョルノーヴォルなどで、暫定政権発足以降のヤツェニュク内閣の閣僚が中心となっている[3]。2014年11月の議会選挙以降、引き続きペトロ・ポロシェンコ大統領とビタリ・クリチコが率いるペトロ・ポロシェンコ・ブロックとともに連立内閣の主軸となっている。その他、人民戦線党は、内務省や国防軍の地域部隊の隊長が参加する「軍事会議」を有している。
政策
親欧米路線の民族主義・保守主義とされる。また、自由党のような極右政党とは一線を画すものの、ペトロ・ポロシェンコ・ブロックよりも、ロシアへの対抗路線を強調する点が特徴。支持者は西部・中央部に多い。
最終更新 2023年2月9日 (木)
(英語版)↓
軍事評議会
軍事評議会は人民戦線の特別機関であり、ウクライナの防衛システムを強化するための提案を作成します。
この評議会は、党の政治評議会および調整評議会とともに2014年9月10日に設立された。評議会は党大会で結成され、評議会の構成も承認された。評議会のメンバーには、党参謀長で最高会議議長のオレクサンドル・トゥルチノフ氏、内務大臣のアルセン・アバコフ氏、ブログ「情報抵抗」のコーディネーターのドミトロ・ティムチュク中佐、大統領府の元長官代行で復活した国家親衛隊 の共同創設者のセルヒー・パシンスキー氏、ウクライナ国家安全保障防衛会議の元書記、ユーロマイダン司令官でマイダン自衛部隊 の組織者アンドリー・パルビー氏が含まれていた。
評議会は、領土防衛大隊の主要指揮官によって構成されている:アゾフ大隊指揮官アンドリー・ビレツキー、ドニプロ大隊指揮官ユーリー・ベレザ、アルテミフスク大隊指揮官コスチャンティン・マテイチェンコ、チェルニーヒウ大隊指揮官ロマン・ピツキ、ミロトヴォレツ大隊指揮官アンドリー・テテルク、キエフ-1大隊指揮官エフヘン・デイデイ、ゾロティ・ヴォロタ大隊指揮官ミコラ・シュヴァリャ、アイダル大隊中隊指揮官イーゴール・ラピン、国家親衛隊副大隊指揮官セルヒー・シドリン、キエフスカ・ルーシ大隊兵士 ミハイロ・ハヴリルク。
最終更新日は 2024年8月19日 (火)(英語版)
強力なウクライナ 2014~
ウクライナ語:Сильна Україна
ローマ字:Sylna Ukraina
英語:Strong Ukraine
ウクライナ労働党またはウクライナ労働党と混同しないでください。
リーダー : セルヒー・ティヒプコ
設立 : 2014年4月23日
(再設立) 1999年6月19日
イデオロギー : 社会自由主義
政治的立場 : 中道から中道左派
所属 : 野党ブロック (2019年)
最高会議の議席: 0 / 450
地域 : (2015年)0 / 158,399
ウェブサイト : silnaukraina.com
1999年6月19日にウクライナ労働党として設立。
2006年の選挙では、「ボリス・オリニクとミハイロ・シロタ連合」の一員として議席を獲得できなかった(連合は0.08%の票を獲得した)。
2007年の議会選挙では、同党はリトヴィン・ブロック連合の一員となり、450議席中20議席を獲得した。
イデオロギーと立場
ティヒプコ氏:「愛国的だが国家主義的ではない」 。
「国を統一したい」。
ドンバス戦争に関して、ティヒプコは2014年8月5日に、ヤツェニューク政権は2014年3月と4月に交渉による紛争解決の機会を無駄にし、2014年8月初旬にはもはやこの選択肢はなくなったと述べた。彼はまた、国東部の「テロリスト」とその支持者は「後戻りできない地点」を過ぎたと述べた。彼は、紛争が国内の他の地域に広がるのを防ぐためにプロのウクライナ軍を支持している。親ロシア派戦闘員と直接交渉するのではなく、欧州の仲介者を通じてロシアと交渉することで紛争の平和的解決を求めている。
last edited on 19 April 2024
国民の僕 2018~
ウクライナ語:Слуга народу
ローマ字: Sluha narodu
英語:Sluha narodu(SN),
人民の奉仕者(スルーガ ナロドゥ)
※ゼレンスキーの党
党首 :オレーナ・シューリャク(ウクライナ語版、英語版)
ウクライナ大統領:ウォロディミル・ゼレンスキー
議会のリーダー :ダヴィド・アラカミア
創設者 :イヴァン・バカノフ[
成立年月日 :2017年12月2日
登録済み :2018年3月31日
先行 :決定的変化党
本部所在地 :ウクライナ・ キーウ ・Novoselytsʹka7、
ユースウィング :Ze! Molodizhka
女性部門 :Ze! Women
政治的思想 :自由主義
ポピュリズム
親欧州主義
政治的立場 :中道政治[1]
ヨーロッパの所属:欧州自由民主同盟党
会員数 :500~1,000(2020年推定)
最高会議の議席 :236 / 450
地域 :6,400 / 43,122
公式サイト :sluga-narodu.com
国民の僕(こくみんのしもべ、国民のしもべ、ウクライナ語: Слуга народу, ラテン文字転写: Sluha narodu, SN )は、ウクライナの中道政党。2017年に設立され、登録された政党「決定的な変化」を基に2018年3月31日に正式に登録された。党名はウクライナの大ヒットテレビシリーズ『国民の僕(人民の奉仕者)』にちなんでいる。2019年の国会選挙では全国政党リストで124議席、130選挙区議席を獲得。2019年の大統領選挙でウクライナ大統領になったウォロディミル・ゼレンスキー(ドラマ『国民の僕 (テレビドラマ)』で主演)はこの党のメンバーである。
法的には、2016年4月から存在し、ユージン・ユルディガが設立した「決定的な変化」(ウクライナ語: Партія рішучих змін)の後継党である。
最終更新 2024年1月14日 (日)
(英語版)↓ (表の一部はこちらから)
「2019年の大統領選挙と議会選挙で勝利した政党」の項
2019年7月19日、新勢力運動党のミヘイル・サアカシヴィリ*党首は支持者に対し、議会選挙で人民の奉仕者党に投票するよう呼びかけた。
最終更新日は 2024年8月29日 (火)
@サアカシビリ(1967-) とその党:
*サアカシビリはグルジア(ジョージア)大統領だったが、汚職で国から追放された後、ウクライナに渡り、知名度を生かして政治家をしていた。(が汚職は続いた)
最終更新 2023年10月31日 (火) (日本語版)
↑ のページ ”その他” の項より 参考映像 ↓ (2009年)
最終更新日は 2024年8月27日 (火) (英語版)
(ウクライナ語版)↓
第3代ジョージア大統領:2004年1月25日-2013年11月17日
2014年 ジョージアで有罪判決 →
2015年 ~ ウクライナ国籍
2021年9月 ジョージアに戻り、そこで逮捕された。
ウクライナでの役職
ウクライナ国家改革評議会執行委員長:
2020年5月7日 — 2021年9月27日
長 :ヴォロディミル・ゼレンスキー
先代 :確立された地位。それ以前は、実行委員会のリーダーシップは共同委員長によって行われていました。
ウクライナ大統領顧問:
2015 年2 月 13 日 — 2016 年11 月 9 日
長 :ペトロ・ポロシェンコ
後継 :マリア・ガイダル
オデサ地方州行政長官:2015年5月30日 — 2016年11月9日
長 :ペトロ・ポロシェンコ
先代 :イホル・パリツァ
後継 :ソロミヤ・ボブロフスカ(演技)
マクシム・ステパノフ
最終編集は 2024 年 6 月 12 日
↓ ↓ ↓
因みにサアカシビリの党は 下参照
新勢力運動 党 2017~
(番外)
ウクライナ語:Рух нових сил、
ローマ字:Rukh Novykh Syl ルク・ノヴィフ・シル
英語:Movement of New Forces
2015年2月11日に「調和的発展党」として設立され、
2017年2月にミヘイル・サアカシュヴィリによって改名
会長 :ミヘイル・サアカシュヴィリ
創設者 :ミヘイル・サアカシュヴィリ
設立 :2017年2月23日
本部 :ムゼイニィ通り4番地 01001キエフ
会員数 :3,000 (2018年2月)
イデオロギー :自由主義(右翼リベラリズム、国家リベラリズム)
親欧州主義
反腐敗(反汚職)
政治的立場 :中心
味方とブロック:”Воля”ヴォーリャ(意思)
Webサイト :rns.org.ua
最終更新日は 2024年7月3日 (火)
(フランス語版)↓
政治的立場:
2017年4月、党首サーカシビリは「ウクライナの残りの地域に集中する」ために、分離主義者のドネツク人民共和国とルハンシク人民共和国から「一時的に孤立させる」ための「大きな壁の建設」を提案した。サーカシビリは、これらの分離主義地域がウクライナ政府の管理下に戻ることに自信を持っているが、それは「汚職を克服し、急速な発展を始めた後」に限られる。
最終編集日は 2024 年 6 月 14 日
ー ー ー
Wikiその他の主な政党
↑の「Template:ウクライナの政党」ページからの
↓”その他の主な政党”抜き出し
禁止された党を含む (12の政党)
ウクライナ共産党 は次の3項目
ウクライナ共産党(1918~1991禁止)
ウクライナ共産党(更新)(2000年11~2015年禁止)
ウクライナ共産党 (1993~2022禁止)ウクライナ社会党 (1991~2022年禁止)
同盟(en:Soyuz (political party)) (1997~
地域党 (1997~2023年禁止)
ウクライナ社会民主党 (1998~2022年禁止)
(ウクライナ、前進!)
↓↓↓
結成年に並べ替え済み
ウクライナ共産党(1918~1991)1991年に禁止
ウクライナ語:Комуністична партія України
ローマ字: Komunistychna Partiia Ukrainy
英語:Communist Party of Ukraine
(1918~1991)
創設者 :ウラジーミル・レーニン
イデオロギー :共産主義
マルクス・レーニン主義(ソビエト)
最終更新日は 2024年4月16日 (火)
ウクライナ共産党(更新)(2000年11~2015年)2015年に禁止
ウクライナ語:Комуністична партія України (оновлена)
ローマ字: Komunistychna Partiia Ukrainy
英語:Communist Party of Ukraine (renewed)
(2000年11~2015年)
イデオロギー :共産主義、
マルクス・レーニン主義
政治的立場 :左派
最終更新日は 2024年3月20日 (火)
ウクライナ共産党(1993~2022)
ウクライナ語:Комуністична партія України、
ロシア語:Коммунистическая партия Украины
英語:Communist Party of Ukraine
略語:KPU / КПУ
一等書記官 : ペトロ・シモネンコ(英語版)
二等書記官 : イーゴリ・アレクセーエフ(英語版)
議院代表 : ペトロ・シモネンコ(英語版)
成立年月日 : 1993年6月19日
解散年月日 : 2015年12月16日(裁判所による解散命令)
2022年7月6日(裁判所で禁止が支持)
本部所在地 : ウクライナ・キエフ
最高議会 :0 / 423 (0%)(2014年11月27日[1])
党員・党友数 :11万1千
14万(2001年)
政治的思想・立場:共産主義[2][3]
反資本主義[2]
反民族主義[2]
マルクス・レーニン主義[3]
ソビエト愛国主義
親露(ロシア愛国主義[ 5 ])
社会保守主義[ 6 ]
左派ポピュリズム[4]
機関紙 : Газета Комуніст[5] 共産党員(2000年以降)
ユースウィング :ウクライナのコムソモール
公式サイト : http://www.kpu.ua/
КПУ Официальный сайт КПУ
1918年にロシア共産党の一派として創立。
1990年ウクライナ最高議会選挙で第一党、1991年にウクライナが独立を勝ち取ると非合法化。
1993年、ドネツクでのウクライナ共産党大会で、シモネンコらが再び創立。1994年ウクライナ最高議会選挙や1996年ウクライナ最高議会選挙でも第一党で、2002年ウクライナ最高議会選挙ではユシチェンコの選挙ブロックに敗れるも政党別では最大の議席を獲得。ウクライナの東部・南部を中心に支持率を得ている。社会主義の他に、ソ連の再建、ロシア連邦との協力、ロシア語の国語化など[6]。
2000年にはクチマ大統領支持のサヴェンコらが離脱、ウクライナ共産党 (革新)(ウクライナ語版)を結成。2001年ヤコヴェンコらが離脱して労農共産党(ウクライナ語版)を結成。
2007年ウクライナ最高議会選挙で27議席を獲得。親露派の地域党と手を組みヤヌコビッチ政権の与党。2012年ウクライナ最高議会選挙では32議席を獲得[7]。
2014年ウクライナ騒乱による親欧米政権が誕生し、親欧米諸党派は共産党を議会から締め出し、2014年7月24日にトゥルチノフ最高議会議長が共産党の議席を没収することを勧告、共産党は全議席を失った[8]。
2014年10月26日議席を得るために必要(阻止条項)な5%以上の得票率を得られず、議席獲得はならなかった。
2015年4月にウクライナの脱共産主義化推進のため「共産主義・ナチズム宣伝禁止法」など4つの法律が成立、共産党は一切の政治的権利を剥奪され、12月16日にキエフの行政裁判所により解散命令[9][10](サヴェンコの「革新」、労農共産党も同年9月30日に解散命令)。共産党は告訴、翌2016年1月ウクライナ最高裁判所は命令を認めた。共産党は欧州人権裁判所に提訴[11]、ウクライナの行政控訴裁判所にも控訴。
2019年2月、ウクライナ中央選挙委員会は、「共産主義・ナチズム宣伝禁止法」違反を理由にウクライナ共産党の指導者シモネンコの2019年ウクライナ大統領選挙の候補者としての登録を拒否したと発表。
2022年ロシアのウクライナ侵攻後の2022年5月16日共産党の控訴が却下、解散命令を命じた判決が確定[12]。7月6日、ウクライナ政府はウクライナ共産党を恒久的に禁止し、党の資産は国有化[13]。指導者のシモネンコは3月にロシア軍の援助によりベラルーシへ逃亡[14]。
最終更新 2024年7月24日
(英語版)↓ (表の一部はこちらから)
最終更新日は 2024年7月12日 (火)
ウクライナ社会党 1991~2022
ウクライナ語:Соціалістична партія України、
英語:Sotsialistychna Partiya Ukrainy
党首 :オレクサンドル・モロズ
成立年月日 :1991年
解散年月日 :2022年6月
先行 :ウクライナ共産党(ソビエト連邦)
新聞 :トヴァリシュ
本部所在地 :キエフ
最高会議の議席 :0 / 450 (0%)(2010年)
政治的思想 :社会民主主義、
社会主義
政治的立場 :中道左派から左派へ
国際組織 :社会主義インターナショナル(1994年 - 2011年まで)
スローガン :社会主義は愛国心に満ちている
ウクライナには民主社会主義に代わるものはない
公式サイト :socpartia.com
http://www.spu.in.ua/
社会主義・社会民主主義政党。1991年創設。
当初はウクライナ共産党の合法部門、共産党の活動再開に伴い社会民主主義政党として、1994年には社会主義インターナショナルにも加盟。
2004年のオレンジ革命では親欧米派、その後は親露の地域党に近い。ヴェルホーヴナ・ラーダ(ウクライナ最高議会)の選挙では毎回、議席を獲得していたが、2007年の選挙で全議席を失い、党勢が衰え、2010年大統領選挙にモロズ党首が立候補したが、わずか0.38%の得票。
最終更新 2023年2月9日 (木)
(英語版)↓ (表の一部はこちらから)
最終更新日は 2024年8月27日 (火)
人民党 1996~
ウクライナ語:Народна Партія、
ローマ字:Narodna Partiya
英語:Narodna Partiya
リーダー :ヴォロディミル・リトヴィン
設立 :1996
イデオロギー:農業主義
政治的立場 :中央から中央左派
議席 :0 / 450
地域(2010) :136 / 3,056
Webサイト :http://narodna.org.ua/
前身:ウクライナ農業党(Аграрна партія України)
1998年のウクライナ議会選挙で得票率3.68%、2議席(小 選挙区)獲得
2002年 統一ウクライナ同盟の一員
2006年 リトヴィン人民ブロック選挙区の一員
2007年 リトヴィン・ブロック同盟の一員で、同盟は450議席中20議席を獲得。(2010年ウクライナ最高議会のリトヴィン派は人民党派に改名)
2012年のウクライナ議会選挙で2議席を獲得(リトヴィンは単独で参加、派閥なし)
2019年リトヴィンは選挙区、議席を失った
2020年地方選挙では、同党は13人の議員(全議席の0.03%)を獲得
last edited on 12 March 2024
同盟 / ソユーズ党 1997~2014
ウクライナ語:Партія "Союз"
ロシア語:Партия "Союз、
ローマ字:Soyuz
英語意味:Union (連合・同盟)
リーダー :レフ・ミリムスキー
設立 :1997年6月11日
本部 :キエフ
イデオロギー:クリミア
地域主義[ 3 ]
ロシア愛好主義
政治的立場 : 大きなテント
議席 : 0 / 450
クリミア最高評議会:5 / 100(2014年まで)
サイト :mir.im
ウクライナの親ロシア派政党であり、 2014年まで主にクリミア半島に拠点を置いていた。
レフ・ミリムスキーが1997年に設立、スビトラーナ・サフチェンコが党首。
2004年の大統領選挙ではヴィクトル・ヤヌコビッチを支持。
2014年3月のロシアによるクリミア併合後、党首ミリムスキーと家族はキエフに移住。
2017年4月27日ミリムスキー氏(享年57歳)は心臓発作で急死。
政治的立場:
ウクライナがユーラシア経済連合に加盟することを望み、ロシア語を国語として復活させることを主張。ウクライナのNATO加盟、 UNA-UNSOからのナチス思想とその支持者の復活、「官僚の全能性と腐敗に反対」。
2009年、同党のクリミア支部は、2009年から2010年にかけてロシア国民に請求される価格でクリミアとセヴァストポリに天然ガスを供給するようロシアに要請。
党首レフ・ミリムスキーも2014年のロシアによるクリミア併合に反対する発言を公にしており、併合後、党は反併合の立場をとった。
last edited on 27 July 2024
設立の瞬間から、ウクライナをロシアおよびベラルーシとの国家間連合に組み込むこと、ウクライナの連邦土地構造、およびウクライナ語とロシア語の同等の地位を確立するという目標を宣言した
最終編集日は 2024 年 6 月 6 日 (ロシア語版)
地域党 1997~2023
ウクライナ語:Партія регіонів、ローマ字: Partiia rehioniv
ロシア語: Партия регионов、ローマ字: Partiya regionov
英語:Party of Regions
総裁 : ミコラ・アザロフ
リーダー :集団的リーダーシップ
事務局長 :ボリス・コレスニコフ
創設者 :ミコラ・アザロフ・
ユキム・ズビャヒルスキー
ヴォロディミル・ルイバク
成立年月日 :1997年10月26日
禁止 :2023年2月21日
後継者 :野党陣営(主に)
本部所在地 :ウクライナ・キエフ
最高議会 :0 / 423 (0%)(2014年10月30日)
党員・党友数 :140万
新聞 :ヴレミヤ地方
ユースウィング :若い地域
政治的思想・立場:中道主義[1]
地域主義[1][2]
社会民主主義
汎スラヴ主義
親露[3]
包括政党[4][5][6]
欧州懐疑主義[1][7]
同盟 :統一ウクライナのために! (2001)
ヨーロッパの所属:社会民主進歩同盟(協力、2014年まで)
オリガルヒ協会 :ドネツク一族[ 17 ]
スローガン :強い地方、強い国、豊かな人!
(ロシア語: «Сильные регионы, крепкая страна, богатые люди!» )
(ウクライナ語 : «Сильні регіони, міцна країна, багаті люди!» )
公式サイト :partyofregions.ua «Партия Регионов»
1997年10月26日に創立。第2代ウクライナ大統領レオニード・クチマを支援で創設、2002年の議会選挙で政党連合「統一ウクライナ」に加わった。党員にはソ連系の官僚や国家公務員、ウクライナの東南部の実業家、地方自治体の行政官とその子孫が多い。総裁はアザロフ。ウクライナ東部のロシア系住民が主な支持基盤、親露的な外交政策を主張。
2014年ウクライナ騒乱の反政権デモの混乱で2月22日に地域党からは数十人の国会議員が離党、連立を組んでも過半数を維持できず、野党に転落。2月23日、地域党はウクライナから逃亡したヤヌコーヴィチ元大統領について「卑怯な逃亡」「人命の損失、尽き果てた国庫、莫大な債務、ウクライナ国民と世界から見た恥」と決別を宣言。
2014年ウクライナ最高議会選挙に参加せず、事実上の活動停止状態。一部の議員は野党ブロック党や強力なウクライナ党などを立ち上げたり、無所属として活動。
2023年2月21日、行政控訴裁判所は法務省とSBUの申請を認め、活動を禁止。
内政
外交
最終更新 2024年4月8日 (月)
(英語版)↓ (表の一部はこちらから)
最終更新日は 2024年8月21日 (火)
(ウクライナ社会民主党 →)”ウクライナ、前進!” 1998~2022
ウクライナ語:Україна – Вперед!、
ローマ字:Ukrajina – Vpered!
ロシア語:Украина — Вперёд!
英語:Ukraine – Forward!
social democratic political party
党首 : ナタリヤ・コロレフスカ
成立年月日: 1998年 (ウクライナ社会民主党として)
分割 :ウクライナ社会民主党 (統一)から
前身 :ウクライナ社会民主党
会員 :約86,000(2010年)
本部所在地: キエフ
最高議会 :0 / 450 (0%)(2012年11月11日)
政治的思想・立場: 中道左派
社会民主主義国際組織
社会主義インターナショナル
所属 :ユリア・ティモシェンコブロック(2001–2012)
野党ブロック(2014–2018)
野党プラットフォーム - 生涯(2018–2022)
公式サイト:http://ukraina-vpered.com/
ウクライナ社会民主党公式ホームページ
1998年にウクライナ社会民主党(ウクライナ語: Соціал-демократичної партії України)と人権党(ウクライナ語: Партії прав людини)の合併によりウクライナ社会民主党(ウクライナ語: Українська соціал-демократична партія、Ukrayins’ka Sotsial-Demokratychna Partiya)が成立し、2012年に現在の党名に変更した。
初代党首オノペンコは1999年大統領選挙に立候補し 0.47% 獲得。2006年11月にコルニーチュクが党議長(党首)に選出。コルニーチュクは、現在、ウクライナ政府の第一司法次官[1]。
2002年、2006年、ウクライナ最高議会選挙において、政治ブロックユーリヤ・ティモシェンコ・ブロックに加わる。
2007年ウクライナ最高議会選挙でティモシェンコ・ブロックは156議席を獲得。
最終更新 2021年3月16日 (火)
英語版 ↓
ユリア・ティモシェンコ・ブロック (2001–2012)
野党ブロック (2014–2018)
野党プラットフォーム - 生命のために (2018–2022)
2012 年、ウクライナ社会民主党は「大統領政権および与党政権への協力」の疑いでユリア・ティモシェンコブロックから除名
2018年から、同党は親ロシア派の政治同盟である野党プラットフォーム・生命ブロックのメンバーとなったが、禁止されたため現在は存在しない。
last edited on 22 March 2024
統一センター /アンドリー・バロハのチーム 1999~
ウクライナ語:Команда Андрія Балоги、
英語: Komanda Andriya Balohy、旧称United Centre
リーダー :アンドリー・バロハ
設立 :1999年9月24日(私有財産党)
/2008年3月27日(統一中道派)
本部 :キエフ(英語版)
本部 :ムカチェヴォ市議会 (ウクライナ語版)
イデオロギー:ポピュリズム
親欧州主義
中心主義
地域主義
中道主義
会員 :100,000以上
議席 :1 / 450
最高議会の議員数
:1/422
ザカルパッチャ州議会:7 / 64
地域 :194 / 43,122
Webサイト :http://komandaa.org.ua/
1999年 私有財産党 ↓
2008年 統一センター ↓
2020年 アンドリー・バロハのチーム
Our Ukraineから分派した政党。
法的には、アンドリー・バロハのチームは私有財産党(ウクライナ語:Партія приватної власності ; Partija privatnoi vlasnosti )の後継、1999年9月24日に法務省に登録。2008年3月に統一センターに名称変更。2020年アンドリー・バロハ(ムカチェヴォ市長)のチームに改名。
統一センター党として、2012年のウクライナ議会選挙で3議席を獲得。2013年2月、党員のパブロ・バロハ氏が選出された小選挙区の選挙結果が「信頼できない」と、ウクライナ高等行政裁判所に議員の地位を剥奪。2014年の議会選挙で議席なし。2019年の議会選挙でヴィクトル・バロハ氏が最高会議に選出、1議席を獲得。
last edited on 2 May 2024
(ウクライナ語版)↓ (表の一部はこちらから)
最終編集は 2023 年 7 月 25 日
我らのウクライナ 2005~
ウクライナ語:Наша Україна,
ローマ字: Nasha Ukraina、
英語:Our Ukraine
この記事は、 2005年に設立された「我がウクライナ・ブロック」の中核政党に関するものです。 2005年以前に同様の名前を持っていた別の政党については、「改革秩序党」を参照してください。
リーダー :集合体
設立 :2002年ブロックとして
2005年3月5日 党として
リーダー :ヴィクトル・ユシチェンコ
設立 :2005年3月5日
本部 :キエフ
イデオロギー:国民民主主義
国家自由主義
経済的自由主義
リベラル保守主義
保守主義
親欧州主義
政治的立場 :中道右派
地域(2010) : 53 / 3,056
国際的 :EPP
(オブザーバー、2005 ~ 2013 年)
味方と同盟 :パーティーのメンバー
クーン (2012)
UNP (2012)
以前は以下に含まれていました:
ブロック「私たちのウクライナ」 (2005-2007)
ブロック「私たちのウクライナ - 人民の自衛」 (2007-2012)
独裁制に対する抵抗委員会 (2011-2012)
国際協力 :UNM (ジョージア州)青年組織青年同盟、私たちのウクライナ会員数 :約400
サイト :http://www.msnu.org/
razom.org.ua
旧称:「我々のウクライナ」人民連合
Народний Союз «Наша Україна»、
Narodnyi Soiuz «Nasha Ukraina»(ローマ字)
People's Union "Our Ukraine"
2005年前大統領ヴィクトル・ユーシチェンコ支持。
西ウクライナに地域的代表。”我々のウクライナ”は、2012年のウクライナ議会選挙以来、国政選挙に参加していない。
2013年3月2日、キエフでの党大会の一つで、ボンダルチュークが党を解散させようとした。 党の他の部門はこの大会は違法であり、本当の党大会は2013年5月18日に開催されると主張。人民連合「我々のウクライナ」は、いかなる公式な地位にも登録されていなかったが、バトキフシチナ政党のプレスリリースによると、欧州人民党のオブザーバーから削除された。青年連合「我々のウクライナ」は、党の青年組織である。
last edited on 12 July 2024
(ロシア語版)↓ (表の一部はこちらから)
最終編集は 2024 年 3 月 25 日
国民ポジション党 (市民の立場党) 2005~
ウクライナ語:Громадянська позиція
ローマ字: Politichna party ”Gromadianska Position”
ロシア語:Гражданская позиция
英語:Civil Position
国民ポジション党 (市民の立場党) 民事上の地位
リーダー :アナトリー・フリツェンコ(元国防大臣)
設立 :2005年3月
イデオロギー :保守的自由主義
経済的自由主義
中道主義
親欧州主義
政治的立場 :中心
ヨーロッパの所属:欧州自由民主党同盟(ALDE)
味方とブロック :
同盟:『民主同盟』 (2014)
党のメンバー:「ウクライナの党」
以下に含まれる:全ウクライナ協会「祖国」 (2012-2014)
KSD (2011)
モットー :「活動的な国民から指導的な国家へ」
新聞 :「市民の立場報」
議席 :0 / 450
地域 :135 / 43,122
Webサイト :gp.org.ua
2005年3月~2010年「強大なウクライナ」(Могутня Україна )。
初代党首:オレクサンドル・チュバテンコ
2010年2月、「市民的立場」に改名
2014年 ドンバスで進行中の戦争に関しては、武力行使による紛争の終結を主張している。
2016年6月4日に欧州自由民主同盟(ALDE)に加盟
last edited on 17 May 2024
(ロシア語版)↓ (表の一部はこちらから)
最終編集日は 2024 年 3 月 25 日
ウクライナ・インターネット党 2009~
ウクライナ語:Інтернет партія України
ロシア語:Интернет-партия Украины
英語:Internet Party of Ukraine
党首 : ドミトリー・ゴルボフ
副党首 : ダース・アレクセーヴィチ・ベイダー
成立年月日: 2009年4月24日[1][2]
本部所在地: オデッサ
最高議会 :0 / 423 (0%)
思想・立場: 電子政府
公式サイト: www.ipu.com.ua
ウクライナ・インターネット党
「官僚に対抗する電子政府」をスローガンに掲げるインターネット政党。
2006年~2007年、ウクライナのハッカーであるドミトリー・ゴルボフ(ウクライナ語版)が設立を提唱、2007年10月1日に結党大会が開催。2009年3月1日にオデッサで正式な党大会を開催。設立メンバーにはムエタイのスーパーヘビー級チャンピオンのデニス・グリゴリエフや弁護士のペトロ・ボイコ(ウクライナ語版)。
2012年ウクライナ最高議会選挙では候補者1人を擁立、落選。
2013年1月23日、キエフ地区行政裁判所から法律遵守義務違反を理由に政党登録を取り消される[6]。4月2日に控訴、9月17日にウクライナ最高行政裁判所は政党登録取り消しの無効を決定。
2014年3月にウクライナの政党登録ウェブサイトにウクライナ・インターネット党の情報が復元。
2014年ウクライナ大統領選挙では党内予備選挙を経て認候補となったダース・アレクセーヴィチ・ベイダー(本名:ヴィクトル・シェフチェンコ)を擁立するが、「身許が確認出来ない」という理由でウクライナ中央選挙管理委員会から出馬登録を拒否された[8][9][10][11][12]。そのため、ベイダーは大統領選挙には出馬出来なかったが、同日実施されたキエフとオデッサの市長選挙に出馬[13][14]。また、10月に実施された2014年ウクライナ最高議会選挙(英語版)でもスター・ウォーズ・シリーズのキャラクターを名乗るダース・ヴィクトロヴィチ・ベイダー、インペラトール・ヴィクトロヴィチ・パルパティーン、ステパン・ミハイロヴィチ・チューバッカ、パドメ・ニコラエヴナ・アミダラ、マスター・ウラジーミロヴィチ・ヨーダら17人の候補者を擁立するが0.36%の得票しか得られず、5%条項を満たすことが出来なかったため議席を得ることが出来なかった[15][16][17] [18]。
2015年10月23日には、ウクライナの共産主義解体(英語版)政策の一環として、ウラジーミル・レーニン像がダース・ベイダー像に作り替えられた式典にウクライナ・インターネット党員が出席している[19][20]。
主張:ウクライナの経済発展とインターネット技術の導入、
ウクライナの投資対象としての魅力の強化を目指す[21]。
電子政府の推進
汚職官僚の排除
事務処理のデジタルメディアへの移行
ウクライナ全国民へのパソコンの無料配布と外国語教育の実現
所得税25%の実施
付加価値税の廃止
遺伝子組換え生物製品の販売禁止
オフショア・ゾーン(租税優遇地帯)の設置
最終更新 2023年10月8日 (日)
ー ー ー
Wikiかつて存在した主な政党
↑の「Template:ウクライナの政党」ページから↓抜き出し
ティモシェンコブロック 2001~2010
ウダル党 ビタリ・クリチコのウクライナ民主改革連合 2005~
↓↓↓ (3政党)
結成年に並べ替え済み
※ ウダル党に関しては活動中の可能性。
2019年と2020年の選挙に参加している。
▽ ソビエト連邦共産党 (1992) →Wikiの間違いの可能性あり
※「Template:ウクライナの政党」内にもかかわらず、
場所も活動期間も明記されていない。
Wiki上のページに
英語・日本語・アラビア語・エストニア語のみで、
ウクライナ語も ロシア語も存在しない。
ロシア語:Коммунистическая Партия Советского Союза
英語:Communist Party of the Soviet Union
創設者 :セルゲイ・スクヴォルツォフ
設立 :1992
先行 :ソビエト連邦共産党
新聞 :ナロドナヤ・ガゼータ
イデオロギー:共産主義
マルクス・レーニン主義
政治的立場 :左派
サイト :http://www.kpss.org/
旧ソ連諸国で活動するセルゲイ・ スクヴォルツォフが率いる政党。
1992年にミハイル・ゴルバチョフを排除した29回目のいわゆる「ソ連復活会議」において設立。
旧ソ連共産党の後継政党であると主張し、ソ連の復活を目標として掲げた。公然組織として「クリル列島の防衛のための全ロシア委員会」「社会正義のための運動」「国際ストライキ委員会」が存在。
機関紙はナロードナヤ・ガゼタ(人民新聞)。
スクヴォルツォフは、機関紙の編集長であると共に党の第一書記を務めている。
最終更新 2022年11月20日 (日) 日本語版
最終更新日は 2024年4月15日 (火) 英語版
↓ ↓ ↓
* ソビエト連邦共産党(曖昧さ回避) 英語版
(以下はいずれもロシア内であり、Wikiが間違っている可能性が高い)
ソビエト連邦共産党は、ソビエト連邦の創設および統治政党であった。ソビエト連邦共産党は、以下の政党を指すこともある。
ソビエト連邦共産党(1992年)、旧ソ連共産党の系譜を主張するロシアの政党
共産党連合 - ソビエト連邦共産党、1993年に結成された政党グループ(モスクワ)
ソビエト連邦共産党(2001年)、共産党同盟から分裂したロシアの政党(モスクワ)
最終更新日は 2016年9月27日 (火)
※ (ウクライナ共産党は、”その他の主な政党” ↑で説明済み)
ユーリヤ・ティモシェンコ・ブロック 2001~2010
ウクライナ語:Блок Юлії Тимошенко、略称:БЮТ、
英語:Blok Yuliyi Tymoshenko、BYuT
ティモシェンコ・ブロック/ティモシェンコ連合
※参照:ページ ↑上の大見出し「ウクライナ最高議会に議席を持つ政党」内で既出の”全ウクライナ連合「祖国」(バトキフシチナ )”の総裁として ティモシェンコが1999年7月9日から就任している事を確認できる。
かつてウクライナに存在した政党連合(政治ブロック)。
「ティモシェンコ・ブロック」や「ティモシェンコ連合」とも。
党首 :ユーリヤ・ティモシェンコ
第一副官 :オレクサンドル・トゥルチノフ
議会リーダー:アンドリー・コジェミヤキン
創設者 :ユリア・ティモシェンコ
存在期間 :2001年2月9日 - 2010年3月2日
先行 :国家救済委員会
後継者 :独裁抵抗委員会
党本部所在地:キエフ
政治的立場 :社会自由主義、
親欧州[1]
連帯主義[2]
ナショナリズム
(英語版で↓)
イデオロギー:保守主義
ポピュリズム
市民ナショナリズム
連帯主義
国民民主主義
親欧州主義
政治的立場 :ビッグテント
国際提携 :欧州人民党(オブザーバー加盟)[3][4]
ウェブサイト:http://www.ibyut.com/
(この同盟には、異なるイデオロギー的見解を持つさまざまな政治グループが含まれていた)
選挙ブロック・政治ブロック・会派としての2002年、2006年、2007年 の「ユーリヤ・ティモシェンコ・ブロック」が、選挙後に ヴェルホーヴナ・ラーダ(ウクライナ最高会議)の院内会派として形成した
「ユーリヤ・ティモシェンコ・ブロック」
ユーリヤ・ティモシェンコ・ブロックのウクライナ国内における主な支持基盤は西ウクライナのウクライナ人住民である。一方で全国的に支持を伸ばしており、クリミアからリュドミラ・デニソワ (Lyudmyla Denisova) [5]、東部ウクライナのルハンシク州から、ナターリア・コロレフスカ (Natalia Korolevska) [6]などが選出されている。
2002年選挙:
2002年3月30日、ウクライナ議会総選挙に自由主義、ウクライナ民族主義 (Ukrainian nationalism) 政党が選挙ブロックとしてティモシェンコ・ブロックを結成した。:
祖国党(「祖国」、または全ウクライナ連合「祖国」 (All-Ukrainian Union "Fatherland") )
ティモシェンコ・ブロックは、2004年ウクライナ大統領選挙でヴィクトル・ユシチェンコを支持し、オレンジ革命において大きな役割を演じた。
2006年選挙:
2006年3月26日、ウクライナ議会総選挙で22.27%、129議席を獲得し第2党となった。この選挙では地域党が33%で第1党、ユシチェンコ大統領の「われらのウクライナ」は14%で第3党。
(2006年7月9日、ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ率いる地域党とウクライナ社会党、ウクライナ共産党 (Communist Party of Ukraine) の3政党が連立交渉で合意に達し、ヤヌコーヴィチ内閣が成立した。選挙後の最高会議議長には社会党のオレクサンドル・モロズ (Oleksandr Moroz) が選出された。)
2007年選挙:
2007年総選挙では、以下の党派がブロックを構成した。
この選挙で
ウクライナ共和党会議は、ティモシェンコ・ブロックから離脱、
→ユシチェンコ大統領派のわれらのウクライナ・人民自衛ブロック (Our Ukraine–People's Self-Defense Bloc) に合流し、
→ウクライナ共和党は地域党と合併。
2007年9月30日、ウクライナ議会選挙で、ティモシェンコ・ブロックは156議席に議席を増やした[7]。2006年選挙と2007年選挙を比較すると得票率において8.24パーセント、議席も27議席増。
2007年10月15日、われらのウクライナ・人民自衛ブロックとティモシェンコ・ブロックは、最高会議第6回議会で連立与党を組むことで合意[9]。11月29日連立協定を締結し、両党45パーセントの議席を占めることとなった[8]。2007年12月18日、ティモシェンコは両党の支持を得て、再び首相となった[10]。
しかし、2008年9月、グルジア情勢や大統領権限の縮小をめぐり、ティモシェンコ・ブロックと われらのウクライナ は対立、連立を解消。
2008年12月9日、ヴォロディーミル・リトヴィン (Volodymyr Lytvyn) が最高会議議長に選出され、リトヴィン・ブロック (Lytvyn Bloc) とわれらのウクライナと[12][13][14]、12月16日に三党は連立に合意[15][16][17][18][19]。
2010年2月7日の大統領選挙でティモシェンコは敗北確定を認めず、首相辞任も拒否していたが3月2日、「われらのウクライナ」がブロックの離脱を宣言、リトヴィン議長が会派の不成立を宣言し、ブロックは事実上崩壊[20]。
最終更新 2021年3月16日 (火)
(英語版)↓ (日本語版より詳しい)
ティモシェンコ・ブロック崩壊後:
2010 年 11 月 16 日、ByuT 派は正式に「ブロック ユリア・ティモシェンコ・バトキフスキーナ(祖国)」に改名された。
最終更新日は 2024年7月12日 (日)
※ティモシェンコ姓はウクライナ人の夫から。本人はユダヤ系でもある。
@ユリヤ・ティモシェンコ(1960-)
最終更新 2024年7月10日 (水)
(英語版のWikiでは詳しく、写真も多い) ↓
最終更新日は 2024年8月30日 (火)
UDAR (ウダル党) / ビタリ・クリチコのウクライナ民主改革連合2005~(2015?)~
ウクライナ語:«УДАР» ”Український демократичний альянс за реформи Віталія Кличка”
英語:Ukrainian Democratic Alliance for Reform
※「Template:ウクライナの政党」ページに「かつて存在した政党」で紹介されているが、2019年・2020年の選挙に参加している。→活動は続いていたか、復活したのかは不明。
党首 :ビタリ・クリチコ( 2010 年以降)
ロマン・ロマニュク( 2009 — 2010 )
レフ・パーツハラゼ( 2005 — 2009 )
成立年月日 :2005年
設立 :2010年4月24日
登録済み :2005年3月14日(”欧州首都”として)
先行 :欧州首都
ビタリ・クリチコ ブロック
廃止 :2015 年8 月 28 日(ロシア語版による)
本部所在地 :キエフ
政治的思想・立場:中道右派
自由主義
市民国家主義
反汚職
欧州統合主義
欧州大西洋主義
市場経済の発展のため
国際組織 :欧州人民党/EPP(オブザーバー)
味方とブロック :連合:
VO「ファーザーランド」/全ウクライナ協会「祖国」 (2013-2014)
VO「フリーダム」/全ウクライナ協会「スヴォボダ」 (2013-2014)
同盟国:
ヨーロッパの連帯
パートナーシップ:
「クリチコ兄弟財団」
国際パートナーシップ:
EPP ( EU )
CDU (ドイツ)
IRI MRI (米国)
NDI NDI (米国)
UNM (ジョージア州)
ANP (オーストリア)
市民プラットフォーム (ポーランド)
スローガン :個人の成功から国の成功へ
会員数 :約10,000
最高議会 :41 / 450 (9%)(2012年11月11日)
最高議会 :0 / 450
地域 :183 / 43,122
キエフ市議会 :30 / 120
公式サイト :UDAR
udar.party
http://klichko.org/
hitar.party
ドイツキリスト教民主同盟と協力
ビタリ・クリチコのウクライナ民主改革連合(ウクライナ語: Український демократичний альянс за реформи Віталія Кличка)は、ウクライナの政党。別名はUDAR(ウクライナ語: «УДАР»、意味は「一撃」)。
党首は、ウクライナを代表するプロボクサーであるビタリ・クリチコ[1]。ウクライナ国内におけるクリチコの人気を利用して、ウクライナの西部、中部、北部および首都キエフを中心に支持を得ている。党員は、若者や政党連合「我がウクライナ・人民自衛ブロック」から離脱したものが多い。
政策
汚職の撲滅を訴え、憲法・裁判・税金・年金の制度などの改革を主張している。
外交的には欧州連合への加盟を唱え、親欧路線をとっている。2012年ウクライナ最高議会選挙では40議席を獲得した[2]。
2014年 ”ペトロ・ポロシェンコ・ブロック” と協力関係
( ”ペトロ・ポロシェンコ・ブロック” 参照)
最終更新 2023年1月20日 (金)
(英語版)↓ (表の一部はこちらから)
最終更新日は 2024年7月30日 (火)
(ロシア語版)↓ (表の一部はこちらから)
最終編集は 2024 年 7 月 25 日
(ウクライナ語版)↓ (表の一部はこちらから)
最終編集は 2023 年 11 月 26 日
ー Wiki [テンプレート:ウクライナの政党] はここまで ー
これより有名でない党は、この日本語Wikiの ”Template” には含まれていない。
多数の党が乱立していて、全部ここに並べるのは難しい。
↓ この下は
その他 4党と、
禁止された23党から、既出以外のWikiにページがある党を解説。
ー ー ー
その他の党
4政党
・強さと名誉党/政党「力と名誉」/権力と名誉 2009~
・グロイスマンのウクライナ戦略党 2015~
・シャリー党 2015 / 2019~2022
・ホロス(声)党 2019~
↓↓↓
結成年に並べ替え済み
強さと名誉党/政党「力と名誉」/権力と名誉 2009~
ウクライナ語: Сила і Честь
ローマ字:Syla i Chest'、SiCh
英語:Strength and Honor
リーダー :イゴール・スメシュコ
設立 :2009
本部 :キエフ
イデオロギー :保守主義
立憲民主主義
財政保守主義
経済自由主義
親欧州主義
政治的立場 :中道右派
議席 :0 / 450
地域 :575 / 42,500
Webサイト :www.sylaichest.org
最終更新日は 2024年5月2日 (日)
イホル・ペトロヴィチ・スメシュコ(1955年8月17日、ウクライナ・ソビエト連邦チェルカースィ州クリスチニウカ生まれ )は、ウクライナの軍人および政治家であり、「力と名誉」党の党首である。
彼は2019 年の議会選挙で「強さと名誉」党の選挙人名簿のトップを務めた。
グロイスマンのウクライナ戦略党 2015~
ウクライナ語:Українська стратегія Гройсмана、
ローマ字: Ukrains'ka stratehiia Hroismana、USH
英語:Ukrainian Strategy of Groysman
リーダー :ヴォロディミル・グロイスマン
設立 :2015年1月14日
本部 :キエフ、ウクライナ
イデオロギー:親欧州主義
政治的立場 :センター
議席 :0 / 450
地域 :680 / 43,122
ヴィーンヌィツャ州議会 :40 / 84
サイト :strategy.ua
最終更新日は 2024年1月25日 (火)
2024年3月25日 (露語版)
所属政党 :ペトロ・ポロシェンコ・ブロック
2019年4月23日、ペトロ・ポロシェンコ派「連帯」を離脱
政党
「私たちのウクライナ」、«Наша Украина» (2004 ~ 2014 年)
BPP 「連帯」、БПП «Солидарность» (2014 ~ 2019 年)
グロイスマンのウクライナ戦略(2019 年以降)
最終編集は 2024 年 8 月 4 日 (露語版)
シャリー党 2015/2019~2022
ウクライナ語:Partія Шарія、
ロシア語:Partія Шария、
PSh
英語:Party of Shariy
前回 取り上げた ”シャリー党”
リーダー : アナトリー・シャリー
設立 :2019年6月6日(現在の形態)
2015年2月3日(統一ウクライナとして)
禁止 : 2022年6月16日(控訴中)
2022年9月6日
(ウクライナ最高裁判所により最終控訴棄却)
本部 : ハリコフ
イデオロギー : リバタリアニズム
電子民主主義
ロシア愛国主義
欧州懐疑主義
(露語版): 統括政党、リバタリアニズム、
電子民主主義、地域主義
ロシア主義、
欧州懐疑主義、ポピュリズム
最高会議 : 0 / 450
地域 : 0 / 158,399
オデーサ州議会: 6 / 84
ウェブサイト : sharij.com.ua
last edited on 12 July 2024,
(ロシア語版)↓ (表の一部はこちらから)
最終編集は 2024年8月5日
YouTubeチャンネル:(言語は主に ロシア語とウクライナ語)
ホロス(声)党 2019~
ウクライナ語:Голос、
英語:Holos(translated as Voice or Vote)
リーダー :キラ・ルディック
副リーダー :インナ・ソブスン
派閥リーダー:オレクサンドラ・ウスティノワ
創設者 :スヴャトスラフ・ヴァカルチュク
設立 :2019年5月16日;
5年前先行 :イニシアチブのプラットフォーム
本部 :キエフ、ウクライナ
会員 :(2021年頃)500?
イデオロギー:リベラリズム
汚職防止、親欧州主義
政治的立場 :中道右派
欧州の所属 :欧州自由民主同盟 (2020年)
国際提携 :リベラル・インターナショナル(オブザーバー)
スローガン :真の変化をもたらす党
議席 :20 / 450
地域 :335 / 43,122
Webサイト :goloszmin.org
ホロス(ウクライナ語:Голос)は、声や投票と訳され、ウクライナのリベラルで親欧州の 政党であり、 2020年3月までウクライナのミュージシャン、スヴャトスラフ・ヴァカルチュクが率いていた。この党は2019年の議会選挙で20人の国会議員を獲得し 、現在のウクライナ議会では野党となった。
分離
2021年6月、同党の20人の国会議員のうち10人が、ジャスティス(正義)(ウクライナ語:Справедливість、Spravedlyvist)という別の団体を設立、派閥リーダーはヤロスラフ・ジェレズニャク。
2021年7月下旬に分裂し、7人の国会議員が党から除名された。 2021年9月現在、最高会議(国会)における同党の20議席のうち、党に忠実な議員が占めているのは9議席のみである。残りの11議席は、ジャスティス(正義)と呼ばれる分派グループを結成した議員によって占められている。
last edited on 17 April 2024
ー ー ー
禁止された23の党(Wikiウクライナ語版より)
これはウクライナの禁止された政党のリストです。
活動が禁止されている団体:23政党
※上で既出の8党は (↑で説明済み) と記載し、重複を避けている
禁止順:
◇ 1991年 まで
ウクライナ共産党 (1918—1991) 、ウクライナ SSR のソビエト連邦共産党 (CPSU) の共和党組織 ( 既出↑)
◇ 2014年 まで
4月30日 ロシア統一 2008~2014
5月13日 ロシアブロック 2001~2014
◇ 2015年 まで
12月1日 労働農民共産党 2001~2015
12月1日 ウクライナ共産党 (更新) ( 既出↑) 2000~2015
◇ 2022年 まで
6月 8日 野党連合 /野党ブロック ( 既出↑) 2010~2022
6月13日 社会主義者 2014~2022
6月13日 正義と発展 (記述なしの為 不明)
6月14日 ナーシ(私達の) 2015~2022
6月14日 デルジャヴァ (「国家」「権力」) 1999~2022
6月14日 ヴォロディミル・サルドブロック 2019~2022
6月15日 ウクライナ社会党 ( 既出↑) 1991~2022
6月16日 左派野党 2015~2022
6月16日 シャリー党 (既出 ↑) 2019~2022
6月17日 左翼連合 / 左派勢力連合 2007~2022
6月20日 野党プラットフォーム — 生涯 (既出 ↑) 2018~2022
6月23日 ウクライナ進歩社会党 1996~2022
6月24日 統一ロシア (統一 ルーシ) 2003~2022
7月 5日 ハッピーウクライナ (「幸福な国」「成功した国」) 2011~2022
7月 5日 ウクライナ共産党 ( 既出↑) 1993~2022
7月12日 ウクライナ労働党(マルクス・レーニン主義) (記述なしの為 不明)
◇ 2023年 まで
2月21日 地域党 (既出 ↑) 1997~2023
◇ 2024年 まで
6月19日 私たちの地域(我が祖国) 2011/2014~2024
※(2022年3月20日に活動停止となった政党のうち、ウクライナ進歩社会党と野党プラットフォーム・フォー・ライフのみがその禁止に積極的に反対した。) ~ ”ナシ(私たちの)党” の解説文より
(23政党 うち8政党は既出↑)
ここでは15政党(うちWikiページなしが2政党)を掲載
↓↓↓
禁止順
◇1991年
ウクライナ共産党 (1918—1991) (”その他の主な政党”↑で説明済み)
◇2014年
ロシア統一 2008~2014
«Руская єдність», Русское единство(露語), Russian Unity(英語)
会長 :セルゲイ・アクショーノフ
創設者 :マクシム・コヴァレンコ
設立 :2008年10月28日
解散 :2014年5月5日
合併 :統一ロシア
本部 :27th Building, Kirova Avenue, Simferopol ,
クリミア共和国、ロシア/
クリミア自治共和国、ウクライナ
ユースウィング:「ロシア統一のための青年」
( Молодые за Русское Единство )
イデオロギー :ロシア民族主義
ロシア民族回復主義
ロシア保守主義 ロシア
愛好主義政治的立場右翼
Webサイト :russ-edin .org (非アクティブ)
russkoe-edinstvo.com
2014年のクリミア危機では、ウクライナからの分離とロシアへの編入を支持するようになり、その後、ロシアの政党「統一ロシア」に合併した。
党首セルゲイ・アクショーノフは2014年2月27日にクリミアの首相に任命され、クリミアの自治権に関する住民投票を求めた。 3月11日にクリミアは独立宣言を採択し、3月17日に2014年クリミアの地位に関する住民投票を実施し、2014年3月21日にロシア連邦によるクリミアの併合が行われた。
2014年8月、同党はラトビアのロシア政党であるラトビア・ロシア連合と「ロシア世界の団結を強化する」ための協力協定を締結した。
この党は2014年5月5日に解散し、統一ロシアに合併された。
last edited on 1 August 2024,
ロシアブロック 2001~2014
Руський блок ローマ字: Russkyi blok ,
露語:Русский блок , 英語:Russian Bloc
リーダー :ゲンナジー・バソフ
設立 :2001年3月
禁止 :2014年6月17日
イデオロギー:ロシア化
汎スラヴ主義
ロシアとの連邦
Webサイト :http://rusblok.net/ (ロシア語)
ウクライナ法務省は2014年4月23日、キエフ地区行政裁判所に同党の活動禁止(およびロシア統一党の活動禁止)を求める訴訟を起こした。 2014年3月20日、オデッサで同党の地方指導者ヴァレリー・カウロフが2014年のウクライナ親ロシア紛争中に分離主義の疑いで逮捕された。
2014年5月13日、キエフの地方行政裁判所は「憲法秩序の転覆の呼びかけとウクライナの領土保全の侵害に関連して」同党を禁止した。同党は判決に対して控訴したが、2014年6月17日、キエフ控訴裁判所は判決を確認し、同党を解散させた。
last edited on 1 August 2024
◇2015年
労働農民共産党 2001~2015
ウクライナ語: Комуністична партія робітників і селян、
ローマ字:Komunistychna Partiya Robitnykiv i Selian、KPRS
ロシア語:Коммунистическая партия рабочих и селян (КПРС)
Communist Party of Workers and Peasants
党首 :ヤコヴェンコ・オレクサンドル・ミコラヨビッチ
フラッハ・レオニード・イワノビッチ
設立 :2001.03.30
本部 :キエフ
禁止 :2015年9月30日
分割 :ウクライナ共産党
イデオロギー:共産主義
マルクス・レーニン主義
Webサイト :www.kprs-ua.narod.ru
2015年5月、ウクライナでは非共産主義化が施行され、共産主義のシンボルの使用やソ連国歌「インターナショナル」の歌唱が禁止された。これらの法律により、ウクライナ内務省は2015年7月24日に同党の選挙参加権を剥奪した。同党はこの禁止に異議を唱えなかったため、2015年9月30日にキエフの地方行政裁判所によって党は解散させられた。
最終更新日は 2023年11月19日 (火)(英語版)
最終編集は 2024 年 1 月 20 日 (ウクライナ語版)
ウクライナ共産党 (更新) (”その他の主な政党”↑で説明済み)
◇2022年
野党連合 =野党ブロック
(”ウクライナ最高議会に議席を持つ政党”↑で説明済み)
社会主義者 2014~2022
ウクライナ語: Політична партія «Соціалісти»、
英語:Socialists
リーダー :エフヘン・アノプリエンコ(最後)
創設者 :ヴァシル・ツシュコ
本部 :キエフ
設立 :2014年8月1日
2015年1月28日(現名称)
禁止 :2022年9月23日
分割 :ウクライナ社会党
イデオロギー:社会主義
社会民主主義
政治的立場 :左翼
Webサイト :socialisty.com.ua
イデオロギー
この党は左翼かつ社会主義的であるが、政治評論家は、この党は社会民主主義の方向性からは程遠く、むしろ共産主義に傾いていると指摘している。
社会主義者はウクライナの完全な地政学的中立を支持し、ウクライナのEUおよびNATO加盟に反対している。同党の元指導者であるワシル・ツシュコもオレンジ革命を非難した。
最終更新日は 2024年8月19日 (火)
(ウクライナ語版) ↓
政治的綱領 (より一部)
同党は社会市場経済には賛成だが、市場に従属する社会には反対。
この国の合法性の分野で最も重要な方向性は、経済・政治制度と国民生活の両方に及ぶ汚職の克服である。
「社会主義者」党は、ウクライナ国民によるウクライナ語およびその他の言語の自由な開発と使用を主張しています。
同党は、ミンスク合意を履行し、スペインの「モンクロア協定」の例に基づいた国民和解法に署名する必要性を支持している。 「社会主義者」は、クリミア共和国に住むウクライナ国民の利益のために、平和的手段によるクリミア共和国に対する国家主権の回復を主張している。
最終編集は 2023 年 7 月 15 日
× 正義と発展 (記述なし)
ナーシ (私たちのもの) 2015~2022
ウクライナ語:Політична партія «НАШI»
ローマ字:Nashi
英語:OURS
会長 :エフヘニー・ムラエフ
設立 :2015年2月19日
禁止 :2022年6月14日
分割 :生涯にわたって
本部 :ハリコフ
イデオロギー:社会民主主義
社会保守主義
地方分権
地域主義
ロシア愛好主義
現実主義的ユーラシア主義
政治的立場 :中道左派
ブロック :野党ブロック(2019)
スローガン :我々の時代が来た!
(ロシア語: «Нале время призло!» )
(ウクライナ語: «Нал час настав!» )
地域(2020年):6 / 43,122
Webサイト :nashi.ua
2019年のウクライナ議会選挙では、同党は野党ブロック - 平和発展党、復興党、信託行為党の政党と統一党名簿に参加
2020年、地方選挙に地域選挙ブロック(ケルネス・ブロック、サクセスフル・ハリコフ、トラスト・ディーズなど)の一員として参加
2022年
2022年1月、英国政府はロシアが軍事力でウクライナ政府を転覆させ、おそらくムラエフ氏が率いる親ロシア政権に置き換えようとしていると非難した。
ムラエフ氏はロシアの制裁を受けているためこの発言を拒否。
ロシア外務省は英国の非難は「ウクライナ周辺の緊張を高めているのはアングロサクソン人が率いるNATO諸国であることの証拠」だと述べた。
ウクライナの政治アナリスト、ヴォロディミル・フェセンコは、「ムラーエフは親ロシア派ではあるが、特に(ヴィクトル)メドヴェドチュクと比べると、クレムリンに非常に近い人物ではない」と書いている。
ロシア軍によるウクライナ侵攻の間、ナシ党の幹部数名がロシア軍と協力し、ロシア占領地域の軍民行政を率いた。
2022年6月14日、第8行政控訴裁判所はナシ党を禁止した。同党とその全支部の財産は国に譲渡された。
(2022年3月20日に活動停止となった政党のうち、ウクライナ進歩社会党と野党プラットフォーム・フォー・ライフのみがその禁止に積極的に反対した。)
最終更新日は 2024年8月26日 (火)
※ナシ党は、既出の、大見出し ”ウクライナ最高議会に議席を持つ政党” 内 の ”野党ブロック*2 ” でも触れている。
政治家ムラエフの活動期間
「Veche」 (2006-2010)
「地域党」 (2010-2014)
「野党連合」 (2014-2016、2019-2020)
「For Life」 (2016-2018)
「OURS (ナシ党)」 (2018 年以降)
英国からの情報で
2022年1月、英国外務省は、ロシア連邦が モスクワに対して前向きな姿勢を持つウクライナ指導者を権力の座に就かせようとしているという情報を受け取ったと報告した。ムラエフ氏はジャーナリストとの会話の中で、ロシアとの関係に関する英国外務省の声明を「ある種の愚かさ」と呼び、2018年以来同氏は「メドヴェチュク氏との紛争のため」ロシアの制裁を受けていると述べた。:
ロシアのウクライナ侵攻後
侵攻初日、彼はフェイスブックに戦争勃発の原因はウクライナだと非難する投稿を公開した(「長年にわたり、我が国の政府は戦争とともに生き、戦争を中心に政策全体を構築してきた、そして今、戦争は目前に迫っている」これらは私たち一人一人の間違った愚かな決断の結果であり、誰もがそれを解決しなければならないだろう」)、いかなる形でもロシアを非難したり言及したりすることはありません。
2月25日、同氏は自身のフェイスブックに「大統領と政府高官は交渉を呼びかけ、妥協する用意があると表明している」と投稿した。そして一般的に、これは殺人と破壊を止める正しい決断です。ただ、それはもはや妥協ではなく、降伏だ。8年前にはすべてが合意できたはずだし、この8年間に何度も合意できたはずだ」とこの投稿は後に削除された。
2022年5月22日、ムラエフはウクライナを離れ…。
2022年11月30日、ムラエフはSBUによって捜索され、大逆罪(ウクライナ刑法第111条)と、彼が管理するNASHテレビチャンネルを通じてウクライナの情報セキュリティを侵害した疑いが持たれている。
最終編集は、2024 年 6 月 30 日
デルジャヴァ (「国家」「権力」) 1999~2022
ウクライナ語:Держава
ロシア語 :Держава
英語:Derzhava 「国家」 「権力」
リーダー :ドミトロ・ヴァシレツ
設立 :1999年1月11日
禁止 :2022年6月14日
本部 :キエフ、ウクライナ
イデオロギー:社会主義
左翼ナショナリズム
社会保守主義
政治的立場 :左翼
Webサイト :derzhava.org.ua
2006年のウクライナ最高会議選挙には、選挙ブロック「国家労働同盟」の一員として参加。
このブロックのスローガン:「信仰、良心、国民、団結!」「精神性、労働、正義!」など。
国家労働同盟の主張:ロシアとの経済関係の維持、ウクライナの非同盟国の地位の維持、ロシア語をウクライナの第二公用語として承認、教会財産を正教会に返還。
イデオロギー (部分)
ロシア語をウクライナの第二の公用語として認める。
非共産主義法の廃止と
「ナチスと協力した人物や協力者を称えること」の禁止。
「伝統的な家族の価値観の発展」。
文化的アイデンティティと「先住民族」の憲法上の保護。
NATOとEUへの加盟はウクライナ憲法で禁止されるべきで、加盟はウクライナの主権を侵害することになると主張。
国際通貨基金との協力や関与も非難:ウクライナは新自由主義と緊縮財政改革の圧力から守るために同組織との接触を断つべき。
ウクライナ国民全員に「無料の医療の保証」、民間医療は国有化。
ドンバスとクリミアは、本来ウクライナの一部。両地域に広範な自治権。ウクライナは自治を保障するミンスク合意の義務を果たさなければならない。
最終更新日は 2024年8月20日 (火)
ウクライナ語版では:
政治的イデオロギー:社会主義、
プーチン主義
ウクライナ恐怖症
人種差別
ロシア主義
ウクライナから入国を禁止されている親ロシア左翼政党。
ロシア連邦の条件によるミンスク合意の履行、特にORDLOへの「特別な地位」の付与、地方選挙の実施、DPRのテログループの「代表者」の昇進を主張。LPRはウクライナ最高議会へ。
党員の中の協力者やウクライナ嫌い:ヘルソンの協力者 キリーロ・ストレムソフ、党委員長のドミトロ・ヴァシレツ、党政治委員会のヴィクトリヤ・シロバ、党員のオレクサンドル・セムチェンコ。
プログラムは次のとおり:
・「国際主義、地球上の平和、調和のとれた共存の基礎としてのスラブ民族の包括的統一」。
・ロシア語に「第二言語」の地位、あるいは「国際コミュニケーション」の言語の地位を与える。
・ノンブロッキング。
・海外から資金提供を受けたNGO(非営利団体)の活動の禁止。
・ウクライナの国際義務と「ミンスク協定」の履行。
・一部の教会に対する国家財政の「禁止」。
・非共産化に関する法律の「取り消し」。
・ナチスの協力者や人物の名誉を「禁止」する。
・ウクライナの農地を私有地に「売却」することの禁止。
・ウクライナ憲法を主要文書である「独立宣言法」および「国家主権宣言」と一致させることにより、ウクライナのNATOおよびEUへの加盟を「阻止」する。
・外国の資金や国々によって組織された組織(特別汚職防止裁判所 等)の 排除による法執行機関の垂直性を回復。
・計画経済への「移行」など
最終編集は 2023 年 9 月 26 日
*ORDLO (ウクライナのロシア占領地域2014~)とは
(日本語版あり)
ヴォロディミル・サルドブロック 2019~2022
ウクライナ語:Блок Володимира Сальдо、
ロシア語:Блок Владимира Сальдо、
略称БВСまたはBVS
Volodymyr Saldo Bloc
略語 :BVS
リーダー :ヴォロディミル・サルド
会長 :イリーナ・クルニク
設立 :2019年4月3日
禁止 :2022年3月20日(一時停止)
2022年6月14日(禁止)
分割 :私たちの土地
合併 :統一ロシア
本部 :ヘルソン
イデオロギー:ヘルソン 地域主義
地方分権化
ロシア愛好
政治的立場 :中心
Webサイト :Facebookページ
最終更新日は 2024年8月1日 (火)
ウクライナ社会党 (”その他の主な政党”↑で説明済み)
左派野党 2015~2022
ウクライナ語:Ліва opposозиція、ローマ字: Liva opozytsiya、
ロシア語:Левая opposозиция、ローマ字: Levaya oppozitsiya
英語:Left Opposition
2015年6月に設立されたウクライナの社会政治組織および政党の親ロシア連合 → 2022年3月19日、戒厳令下、国家安全保障防衛会議によりこの政治団体の活動は停止
共同議長:ペトロ・シモネンコ
ナタリヤ・ヴィトレンコ
ヴァレリー・ソルダテンコ
ルドルフ・ポヴァルニツィン
ヘオルヒー・クリュチコフ
設立:2015年6月15日
禁止:2022年3月20日
イデオロギー:ロシア愛好主義
左翼ポピュリズム
左翼ナショナリズム
ユーラシア主義
汎スラヴ主義
政治的立場 :左翼から極左へ
メンバー :KPU
PSPU
スラブ党
RPU
新しい力
この協会には 5つの政党、13の公的機関、6人の個人が参加している。
・ウクライナ共産党(2015年12月15日に禁止)
・ウクライナ進歩社会党(2022年3月20日に禁止)
・「キエフ・ルーシ」党
・ウクライナ労働者党
・ウクライナ・スラヴ党
・新パワー党(2015年9月24日入党)
公的機関:
・ウクライナ反ファシスト委員会
・全ウクライナ労働組合
・全ウクライナソビエト将校連合
・全ウクライナ女性組織「生命の贈り物」
・ユーラシア人民連合
・「ウクライナ、ベラルーシ、ロシア連合のための」協会(ZUBR)
・「ウクライナ知識人社会主義協会」
・ウクライナ・レーニン主義共産主義青年同盟
・ウクライナ労働会議
・ウクライナ・スラブ委員会
・ウクライナ正教会女性大聖堂
・共産主義学生会
・ウクライナ正教同胞団連合
また、ウクライナ共産党に近いキエフ・ペチェールシク大修道院の副総督パベル(レベジ)府主教もこの運動に参加すると発表された。
イデオロギー
組織の政治理念:
・2014年2月の出来事は、ウクライナの経済的、政治的独立の喪失をもたらした「クーデター」である。
・ウクライナの内政・外交政策は「アメリカ合衆国と国際金融寡頭政治によって決定されている」。
・ウクライナはロシアやベラルーシと「共通の歴史、文化、精神性、文明的価値観によって結ばれている」が、米国やEU諸国とは結ばれていない。
・ウクライナの領土保全と独立は、「我々の国(ウクライナ、ロシア、ベラルーシ)と兄弟民族」の統一という条件の下でのみ維持される。
・組織は共産主義イデオロギーを非難する法律を非難する。
・同組織はウクライナとヨーロッパの統合に向けた動きを非難している。
目標:
・ロシアとの関税同盟への加盟;
・ロシア語を第二公用語とする
・ロシア連邦およびベラルーシとの「善隣、平等かつ互恵的な関係の回復」
last edited on 20 August 2024
シャリア党 (”その他の主な政党”↑で説明済み)
左派勢力連合 2007~2022
ウクライナ語:Союз лівих сил、ローマ字: Soyuz livykh syl 、SLS
ロシア語:Союз Левых Сил За новый социализм
Union of Left Forces
略語 :セルス
リーダー :マクシム・ホルダーブ
創設者 :ヴァシル・ヴォルハ
設立 :2007年12月8日
禁止 :2022年6月17日
2022年9月29日(裁判所の上告棄却)
分割 :ウクライナ社会党
本部 :キエフ
イデオロギー:社会主義
社会主義ポピュリズム
反大西洋主義
地方分権
政治的立場 :左翼
Webサイトsls.org.ua
2008年11月、党本部が放火の標的となった。
2021年12月18日 「新社会主義のために」と党名変更は決定されたが正式に再登録されなかった。
2022年2月18日、2022年のロシアのウクライナ侵攻の前触れとして、ホルダーブは米国と英国の大使館を通じてこれらの国の指導者に「彼らによって引き起こされた軍事パニックにより我が国の経済に生じた損害を補償するよう」訴えた。ホルダーブは2022年の本格的なロシアのウクライナ侵攻の開始時にキエフから逃亡し、ウクライナに対する戦争を公に支持した。
同党の主な提案は、ウクライナ経済の「社会化」。
左翼勢力連合は、ウクライナのNATO加盟にも反対し、中立を主張。
ウクライナ政府が実施した、ソ連と共産主義に関連するすべてのシンボルを禁止、撤去する非共産化法に反対。
ロシア語をウクライナの第二公用語として認めることである。
同党のユニークな提案は、ロシアと欧州連合の両方を含む「共通の安全保障空間」を創設し、ウクライナも参加できるようにすることである。
また、地方分権化を主張しており、ウクライナは連邦制国家になるべきだと考えている。連邦制国家では、特に文化政策の定義に関して、地域に広範な自治権が与えられる。
党首によると、これにより、ロシア語圏の東部地域だけでなく、カルパティア・ルーシ、ポレシア、クリミアなど、独自の文化を持つ地域も受け入れることができるようになるという。
また、ウクライナが地域言語と少数民族言語の欧州憲章を実施すべきだと主張している。
last edited on 12 July 2024
(”ウクライナ最高議会に議席を持つ政党”***↑で説明済み)
ウクライナ進歩社会党 1996~2022
ウクライナ語:Прогресивна соціалістична партія України
ローマ字:Prohresyvna sotsialistychna partiia Ukrainy
ロシア語:Прогрессивная социалистическая партия Украины
ローマ字:Progressivnaya sotsialisticheskaya partiya Ukrainy
英語:Progressive Socialist Party of Ukraine (PSPU)
リーダー :ナタリア・ヴィトレンコ
設立 :1996
禁止 :2022年3月20日
2022年9月27日(裁判所の上告棄却)
分割 :ウクライナ社会党
本部 :メリトポリ
ユースウィング:PSPUの若き衛兵
イデオロギー :国家ボルシェヴィズム
左翼ポピュリズム
汎スラヴ主義
ユーラシア主義
強硬な欧州懐疑主義
ロシア愛好症
反米主義
政治的立場 :極左
所属 :左派野党
国際提携 :ユーラシア青年連合
全ロシア人民戦線
Webサイト :vitrenko.org (アーカイブ)
新共産主義とみなされており、ウクライナの産業の国有化と労働者民主主義の回復を望んでいる。
同党は親ロシア派、ウクライナとロシア、ベラルーシの「戦略的パートナーシップ」を訴え、欧州連合やNATOとの協力を否定。
西部地域では最も人気が低かったが、南ウクライナではかなりの支持を得ていた。
ウクライナ進歩社会党は、EUの代替としてユーラシア経済連合を支持
ウクライナ教育者党(ウクライナ語:ПартіяОсвітянУкраїни)を含むナタリア・ヴィトレンコ・ブロック連合を結成
イデオロギー (一部)
反資本主義、反市場、反NATO
ウクライナのユーラシア経済共同体(関税同盟を含む)への全面的な加盟、
ウクライナの非同盟国の地位の保護、
ウクライナにおけるNATOの演習の廃止、
ウクライナ語に次ぐ公用語としてのロシア語の地位の主張、
ステパン・バンデラとロマン・シュヘヴィチにウクライナ英雄の称号を授与したヴィクトル・ユーシチェンコ前大統領の法令の無効化を支持した。
同党は、IMFがウクライナを植民地化したと非難し、ウクライナから西側の顧問全員を追放すべきだと主張している。
この党はユーラシア青年同盟およびその指導者アレクサンドル・ドゥーギンと密接な関係にある。
last edited on 16 July 2024
* 非同盟運動 (NAM )1961年~ とは
いかなる主要勢力ブロックとも正式に同盟を結んでいない、あるいは対立していない120カ国からなるフォーラムである。冷戦の対立という文脈において、発展途上国の利益を促進する目的で設立された。国連に次いで、世界最大の国家グループである。
・・・↑ 今回 この存在を
知りました…
統一ロシア (統一 ルーシ) 2003~2022
ウクライナ語: Русь Єдина
英語:One Rus
*既出の”ロシア統一” ↑ とは別
(英語版とウクライナ語版から)
設立:2003年
本部:キエフ
党首:
共同議長:
オレクサンドル・ウラディスラヴォヴィチ・ヒッチコ・
オレクシー・イヴァノヴィッチ・レメニュク
名称:
・スラブ人民愛国同盟 (2003 年 6 月 — 2005 年 11 月)
・プーチン大統領の政党 (2005 年 11 月 — 2009 年)
・統一ロシア (2009 年以降)
バフチサライ*にある第10選挙区では同党候補が5.15%の票を獲得し、シンフェロポリにある第2選挙区では2.10%、エフパトリア にある第4選挙区では0.83%の票を獲得した。
last edited on 3 October 2021
* バフチサライはクリミアタタールの中心地といえる場所
→「クリミアタタールはロシアを支持していない」と盛んにTVでは誘導していたはず・・・。
(ウクライナ語版)↓
最終編集は 2024 年 4 月 29 日
ハッピーウクライナ 「幸福な国」または成功した国 2011~2022
ウクライナ語:«Щаслива Україна» (旧: Успішна Країна)
ロシア語:«Счастливая страна» 又は Успешная страна
リーダー :アレクサンダー・クリメンコ、アンドレイ・ゴルベフ
設立 :2011 年 7 月 26 日
禁止 :2022 年 7月 5 日
本部 :キエフ、ウクライナ
モットー :混沌から秩序へ、秩序から成功へ
Webサイト:uspishnakraina.com
クリメンコ氏は、2014年からロシアに住んでいる。(ロシア語版参照)
2014年のマイダン(尊厳)革命後、党の公的行事はユーロマイダンの支持者によって反対された。 2016年5月にドニプロで党フォーラムが中断され、6月にはムィコラーイウで党フォーラムが中断された。
イデオロギー:
大企業の利益を擁護。
党の綱領は、ウクライナの寡頭政治家、元ウクライナ・エネルギー・石炭産業大臣ユーリ・ボイコの執筆によって提示され、2004年にまとめられた。
ウクライナが成功した国になることを許さない主な理由の一つとして、オレクサンドル・クリメンコ党名誉委員長は「当局の汚職と非専門性」を挙げている。
最終編集は 2023 年 2 月 26 日
ウクライナ共産党 (”その他の主な政党”↑で説明済み)
× ウクライナ労働党(マルクス・レーニン主義)(記述なし)
◇2023年
地域党 (”その他の主な政党”↑で説明済み)
◇2024年
私たちの地域(我が祖国)2011/2014~2024
ウクライナ語:Наш край ,
ローマ字: Nash krai,
英語:Our Land
リーダー :オレクサンドル・マズルチャク
アントン・キッセ
セルヒー・シャホフ
設立 :2011年 8月23日 ブロック党
2014年12月20日 我が祖国
禁止 :2024年 6月19日
先行 :地域党(一部、2014年から)
本部 :キエフ
イデオロギー:社会民主主義
地域主義
地方分権主義
ロシア愛国主義
政治的立場 :中道左派
Webサイト :nashkray.org
政治学者のヴァディム・カラショフ氏によると、「わが国」党は親ロシア派ではない。2020年に同党は支持率を下げるために、政治的ライバルから不当な批判と親ロシア的との非難の対象となったという。
(2019年のウクライナ議会選挙で、第9回ウクライナ最高会議の選出された人民代議員の代表4人:アントン・キセ、ヴァレリー・ダヴィデンコ、セルヒー・シャホフ、アンドリー・デルカチ の中の1人)、ダヴィデンコは2020年5月23日に事務所のトイレで射殺されているのが発見された。
2022年のロシアによるウクライナ侵攻の際には、地元の政治家を含む「我が土地」党の多くの党員が占領地でロシア軍に協力した。
親ロシア派の地域党にルーツを持つにもかかわらず、「わが国」は2022年のロシアによるウクライナ侵攻に対するウクライナの軍事行動を支持してきた。
2024年6月19日、第8行政控訴裁判所の最終決定により、同党はウクライナで禁止された。同党とその支部およびその他の組織体の財産、資金およびその他の資産は国有化されました。
last edited on 22 July 2024
この党は 2011 年にオデッサ地域の人民代表アントン・キッセによって設立。当初の名前は「Block Party」。
(ロシア語版) 最終編集は 2024 年 7 月 21 日
政党「われらの土地」は、主に閉鎖的な親ロシア地域党の子孫から結成されたウクライナの元親ロシア政党。
(ウクライナ語版) 最終編集は 2024 年 6 月 23 日
ーーーーーーーーーーーーーーー
あとがき
多くの”ウクライナ民族主義”を含む政党があり、
その中のいくつかが、危険なネオナチ極右団体でもある。
戦前や戦時中だけ存在したかと思われた
・OUN / ウクライナ民族主義者組織
・UPA / ウクライナ蜂起軍
これらの団体が政党として形を変えて今でも存在しているという事が分かる。当時のリーダーや参加者の子孫が関わっている例も多い。
例:
「ウクライナ最高議会に議席を持つ政党」にある
ネオナチ政党「右派セクター」英語版の ”起源”の項にある
ユーリー・シュヘヴィチ(写真挿入済み)は
UNA-UNSO(ウクライナ国民会議‐ウクライナ人民自衛隊)という極右組織を率いていた。
その父親は、ポーランド民間人の犠牲者が数万人に上る”ヴォルィーニの虐殺”に実行犯の1人でもあった(”右派セクター”の項で解説済み)。
OUN と UPA (その前段階の UVO )は
現在の状況を理解するためには知るべき重要な事柄であり、知らなければ正しく理解することは出来ない。
念の為、以前に調べた
・UVO /ウクライナ軍事組織
・OUN / ウクライナ民族主義者組織
・UPA / ウクライナ蜂起軍
そして
・ヴォルィーニの虐殺
・重要人物のステパン・バンデラ
のページを下に挙げておく。
UVO/ウクライナ軍事組織
OUN / ウクライナ民族主義者組織
UPA / ウクライナ蜂起軍
ヴォルィーニのポーランド人虐殺
ステパン・バンデラ
OUNの重要人物であり、”ヴォルィーニ虐殺”にも関与したバンデラの名は上で紹介した政党の説明文の中にもあり、現在はウクライナ国民の一部に英雄として崇められている。子孫はカナダに移住していて、ウクライナのディアスポラたちによって活動は続けられていた。