クリミア半島 、 言語

90年代前半に1カ月程ウクライナを旅したことがあり、
クリミアにも10日前後滞在した。
現地の言語はロシア語であり、話しをした沢山の人達の中で
海水浴に来ていた1人のウクライナ人だけ母語がウクライナ語だった。

後にウクライナ政府はロシア語を禁止した。

1,

クリミア半島


クリミアは1783年にエカチェリーナ2世によってロシア帝国に組み込まれた。

2014年のクリミアのロシア編入以来、NHKがロシアについて話すとき、
必ず次のような冠詞をつけていた;
「”一方的にクリミアを併合した”ロシア」…と。


これは住民投票の結果である。
住民投票の結果が出た直後、NHKでの報道は事実を直接伝えていた。
2,3日後で急に否定的な報道を始めた。


2,

2014年クリミア住民投票


2014年クリミア住民投票(2014ねんクリミアじゅうみんとうひょう)は、2014年3月16日にウクライナクリミア自治共和国ならびにセヴァストポリ特別市で実施された、ロシア連邦への編入の是非が問われた住民投票である。投票の結果、クリミア、セヴァストポリともにロシアへの編入に賛成する票が全体投票数の9割以上を占め[4]、同年3月18日、ロシア連邦は両者の編入を宣言するに至った。」


「結果
投票は即日開票され、クリミア自治共和国ではロシア編入への賛成が96.77%、反対が2.51%で、無効票は0.72%となった。投票率は83.1%であった[4][53][54]。またセヴァストポリ特別市では、ロシアへの編入賛成が全体の95.60%にのぼった[55]

事前の観測ではクリミア・タタール人など現状維持を主張する親ウクライナ派の人々が多数ボイコットするともみられていたが、80%を超える高い投票率となった。クリミア自治共和国のアクショーノフ首相は、タタール人の約40%が住民投票に参加し、その半数がロシア編入に賛成したとし[56]、ロシア人以外の民族からも一定の支持を得たとみている。」



「2014年3月11日に自治共和国議会とセヴァストポリ市議会はクリミア独立宣言を採択[3][4][5]した上で、3月16日にはウクライナ内の自治共和国に留まって自治権(離脱権を含む)を拡大するか、ロシアに編入されるかを決める住民投票を実施した。その結果、ロシアへの編入が賛成多数となり、翌17日にはクリミア共和国としてセヴァストポリとともに独立し、主権国家としてロシア連邦と権限分割条約を結び、ロシアの連邦構成主体として編入されることを求める決議を採択した。」




3,

クリミアの戦争

1783年にエカチェリーナ2世によってロシア帝国に組み込まれた。
1853年から1856年に、クリミア戦争。

1941年9月から1942年7月、
1944年のクリミアの戦いではソ連軍が勝ち取った。



4,

エカチェリーナ2世

無能なロシア皇帝だった夫を倒して、
ロシア帝国を統治した元ドイツ人の女帝。
政治だけでなく文化や技術も発展させた。

(皇帝がロシア人でなくても問題なし。)


5,

言語 ロシア語 ウクライナ語

ウクライナにおけるロシア語

ウクライナにおけるロシア語は、ウクライナドンバス地方、クリミア地方で最も一般的に使用され、東部や南部の大都市でも多くの人々によって使用されてきた言語である[1]。マスメディア、政治、ビジネス、科学の分野において特に浸透している[2]。ロシア語を話す人の割合は概して東南部で高いが、明確な地理的境界線が存在するわけではない[3]。ウクライナにおけるロシア語の広い使用状況は、ロシア語話者の入植、独立国家の喪失、ウクライナ文化の抑圧、教育の転換、都市化などさまざまな経緯から生じたものである[4]。」


スルジク

スルジクウクライナ語ロシア語: су́ржик (IPA: [ˈsurʒɪk])、英語: Surzhyk)は、特定のウクライナの地域や周辺地域で使用されているさまざまなウクライナ語ロシア語社会方言が混じった口語混合言語を指す。統一した特徴はなく、何人かの学術研究者によれば「標準ウクライナ語とロシア語文法の、規範破り、不従順、若しくは非認識」に使われる用語だという[2]

スルジクはウクライナの語で、混合されたどのような言語でも指すことがあり、必ずしもウクライナ語やロシア語を含む必要はない。その用語がウクライナ国内の非ウクライナ語話者に使用される場合は、多くの場合ウクライナ語とその他の言語の混合を指し、必ずしもロシア語との混合とは限らない。ロシアで使用される時は、その用語はほぼいつでもウクライナ語とロシア語の混合を指す。

ウクライナロシアと地続きであり、東部・中部にはロシア語生活者も多く、こうした言語生活の素地となっている[3][4]

ウクライナ生まれのロシア文学者であるニコライ・ゴーゴリも『ディカーニカ近郷夜話』などでスルジクを記述している。」


6,

ロシア語禁止令

「ゼレンスキー政権の前、ポロシェンコ大統領の2017年、初等教育における非ウクライナ語教育が禁止され、その後、プライベートな会話ならびにミサなどの宗教上での会話以外は、ウクライナ語が強制される法案が成立しました。」

 ↑ ロシア語禁止令に関して、web上で探すのは困難。
 いつか書かれているのを見つけたのはこれだけ。



もしソ連ではウクライナ語が禁止だったという話があれば、
それはプロパガンダである。
70年代のウクライナ南部の(小)学校で
ウクライナの授業があったのは確認済み。


6,

Wikipedia

ちなみにwikiをwikiで見るとこの説明が出てくる。

「基本的に専門家による査読がなく、不特定多数の利用者が投稿するというシステムゆえに、情報信頼性信憑性公正性などは一切保証されておらず(Wikipedia:免責事項)、ウィキペディアの方針に沿わない利用者の編集により問題が起こることもあり、いくつかの問題や課題も指摘されている[15](詳細は問題点の節を参照)。

また米国において、ネット上での組織的情報工作が行われウィキペディアもその対象となっていたことが報じられている。USA Todayの記者と編集者の仕事上の評判を落とすため、ウィキペディアやTwitterを使用し大量の批判コメントなどが組織的に書き込まれ情報工作として行われたことが報じられた。この工作活動は、米国が他国へのプロパガンダ活動を担う情報作戦チームが、米国人を標的に活動した可能性があるとして報じられた[16]。」


書いてあることは誰でも書き換えできるし、
信用するかどうかはご自由に、という事らしい。

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