日記という習慣の効能
自分の考えが変わっていく
というより、成長している。
一年にも満たない過去からそんな印象をうけました。
ワタクシ日記をつけ始めて2年になります。
人に公開しない記事というものは何でもかけるからスラスラといくらでも書けると考えていたのだが、実際は結構頭をひねりながら書いてたりする。
まずその日にあったビッグトピック。
BBQやったとか、旅行いったとか。
でもね、サラリーマンなんてものはほとんどが同じことの繰り返しなんですよ。
その中で「捻り出す」ことが日記というものの本質なんだな。
何もない日常を「今日も何かあった」日にするのは自分次第。
なんのためか。もちろん自分のため。
「日記かくぞ〜」って始めたら1週間続けられる人がどれだけいるだろうか。おそらくは1〜2割ぐらいではないかと。
その他8割はどうして続かないか。
そう、書くことがないのです。
起きた、出勤した、仕事終わって帰った、晩飯は○○だった。
こんな内容だとさすがに続ける必要性を感じられない。
(今夜抜いた動画の内容とかの感想は書かないだろう)
そもそも文章を書く気力が残ってない。
こんな偉そうに日記を語っているワタクシでさえ、気力のない日があり日記を飛ばすこともあるのだから。(翌日に1〜2行だけ書くが)
自分の続けやすいスタイルを確立することですな。
半年でも続けてみたら、半年前に書いた内容が愛おしく感じますよ。
そこに自分の成長を感じるのであり、客観視することができる。
十把一絡げにするつもりではないが、
お金も、人間関係も、勉強も、健康も、
小さな積み重ね(しっかりとした土台)の上に成り立っているのです。
やはりプロセスをすっ飛ばすとよくないことが起きる。
おいしい投資話でサクッと騙されたり、効果の真偽が怪しい健康食品に高額な費用払ったりね。
あとは速読とかも。
近道はない。とは言わない。
ただ近道を通るにはそれなりの装備(知識)と、体力(メンタル)が必要だということ。
日記というものはそのプロセスと現状が書き記された世界に一つの「じぶん」という書籍だと思う。
ペンとノートがあれば誰にでも使える魔法。それが日記。