教育とはなんだろうか
本来ガンガン肉体労働をすべきである土日。
財を成す道半ばであるワタクシに休んでいる暇はございません。
が、二日酔いというものは容赦ないですね。
「お前が呑んだのだから、仕方なかろう」
と言わんばかりに、内臓全体をうっすら握ってきます。
ついでに頭も痛い。
我々ニッポン人というものは、
アルコール分解能力が低い民族故である。
曰く、一切の分解能力を持たない者もいるそう。
アメリカ人のほとんどは酒に強い。
(というより日本人が弱すぎる)
やはり人種によって与えられた条件が違うのだ。
アングロサクソン人は膵臓が強く、
いくらでも炭水化物を吸収できる。
地中海に住む人種は赤血球の形が異なり(鎌形)、
マラリアにかからないという。
ただ、日本人もいいとこたくさんあるんです。
・海苔(生)を分解できる
・熱帯でのウイルス感染に耐性がある
・勃起したち◯こがカチカチになる
などなど、調べれば他にもたくさんあると思います。
(いま思いつくのはこれぐらい、、、)
そういった角度から見ると、人間というものは
全然といっていいほど平等じゃない。
同じ人種でもたくさんの違いがあり、正直いって優劣もある。
美男美女、肥満体型、身長、筋肉量、内臓のスペック
1億人いれば、1億通りの人間がいる。
これを個性というのでしょう。
学校や会社というものは、この個性をどう見てるか。
表面上は「個性を生かす」とかいう文句が散見されるが
実際のところは「個性」の本質さえ理解できていないのではないかと思う。
わたしたちは人間は平等である(でなければいけない)という、
ある種洗脳のような教育を受けてきた。
そこに疑問を持つこともなく、なんとなく大人になった。
会社に入った。結婚した。子供ができた。
また「人間は平等だ」といって周囲と同調し、
「はみださない人間」に育てようとする。
時には大声で叱りつけることまでする。
教育とはなんだろうか。と考える。
洗脳ではないことは確か。
しかし我々が育った環境は洗脳だらけの教育だったことは間違いない。