本当のことは「言ってはいけない」
知れば知るほど、人に言いたくなる。
レイザーラモンRGの「あるある言いたい」的な。
ワタクシ、ここ数年でかなりの知見を得ることができました。
それまでの積み重ね(読書)が功を奏したのか定かではないが、
あるタイミングでいきなり吸収力が上がった感覚があった。
それからはスポンジのように新しい知識を吸い込んでは実践し、
境遇の近い人物にアウトプットする。そして血肉となる。
そんなことを続けてもう1年以上経過する。
自分が変化したことは当然だが、周囲との関わりも変化した。
自分の身の回りに全力で話合えるひとがいない
例えばという「共産主義の対義」である「資本主義」がある。
われわれ日本人はこの資本主義の真っ只中、ど真ん中を突き進んでいるのにもかかわらず、いまいちルールを理解できていない。
先に観念論が出てくる。というかそれで終わり。
根本の理屈まで辿り着かないのである。もちろん説明しても理解してくれない。
確かに自身も繰り返し、あらゆる角度から「資本論」をインプットしているというベースがある。そう簡単に理解できる観念ではないのかもしれない。
他には「ウインドウズ2000」というスラング。
窓際に追いやられたおじさんサラリーマンが年功のみで年収2000万円という実在するおとぎ話。
自身の周りにはそれほどハイスペックな勤め人はいないので、そんな現実をうまく理解できないのだろう。
ワタクシとしても資本主義を理解していなければ「へー」ぐらいの感想であまり真に受けることもなかったと思う。
でも現実である以上、無視はできない。
なぜそんなことが起きるのだろうか。身近なところに似たような事例はないだろうか。そんなことを瞬時に考える。
いくら小さな会社でも、そこそこ儲かっていれば仕事しなくても年功だけで高い給料がもらえる。というかそのためにみんな辞めない。
若者は将来の自分を美徳化し、おじさんは現在の自分を美徳化する。
ほんとうに、つまらない。
わかっているが、わかっていないフリをする。
認めたら負け。自分を否定することになるから。
どんな反論があれど、ルールを理解していないのならそれは取るにならない意見となる。
夢中で勉強していたらいろんなことを知ってしまった。
パンドラの箱である。
知識という武器は使い方によっては危険だ。
安易に垂れ流していると、知らず知らずのうちに周囲の誰かを精神的に追い込んでしまうこともある。
知っていても、言ってはいけない。
受け入れないのなら、受け入れていただかなくて結構。
そんなスタンスで生きていこうと思います。