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劣等感のかたまり、ふたたび。

「あの人はこんなに活躍しているのに、それに比べて自分は……」

Twitterのタイムラインを追いながら、じわりと焦りの感情が浮かぶ。

自分のなかにその感情が滲んだことに、わたし自身がとても驚いた。

なぜならこの焦りと劣等感の手触りが、随分と久しぶりだったから。

かつてのわたしは、劣等感のかたまりだった。

画面に浮かぶ知人の活躍を見ては、そちら側・・・・になれてない自分に落ち込み、華やかな日々を過ごす友人達の投稿は、地味なわたしの冴えない日々に影を落とした。

「あの人はすごいのに、それに比べて自分は」

誰かの人生をものさしに、自分の幸福度を測る毎日。

会社員の頃も、フリーランスになってからも、ずっと、ずっと、わたしは誰かの活躍が眩しくて、それに比べて自分は劣っていて、だからもっと頑張らなきゃいけないと焦っていた。

そんなわたしが劣等感を抱かなくなったのには、はっきりとした理由がある。

その時がきたのは、2021年12月。それまでのライター業やWebディレクター業をぜんぶ辞めて、じぶんジカン専業になったときのことだ。

じぶんジカン専業になった途端に、なぜ、誰かと比べて落ち込むことがなくなったのか。それにはふたつの理由がある。

ひとつは、誰かと比べる暇すらないほど、じぶんジカンを育てるのに必死だったこと。

そしてもうひとつは、この道が「自分しか歩いていない道」だったこと。特にこれが、大きかったと思う。

わたしが進むことを決めた道は、何のレールも敷かれていない獣道のような、開拓されていない荒野だった。広い草原をぽつりと自分だけが歩いているような感じ。

つまり「自分オリジナルの道」であり、比べる対象がいなかった。いわゆる競合が、いなかったのだ。

ここには「わたし」と「わたしが進みたい道」しかない。集中すべきは自分の一歩。ものさしとなる他人はいない。

自分で進む方角を決め、歩みを重ねることにエネルギーを注ぐ。

こうしてわたしは、いつの間にか劣等感を忘れた。誰かと比べる機会もなく、ひたすら自分の道を楽しく突き進んでいたから。

そんな劣等感を忘れた日々のなかに、突如として再びじわりと滲んだのが、冒頭の「この人はこんなに活躍してるのに、それに比べて自分は……」だった。

画面を見つめながら湧き出た感情に気づいて、ハッと我に返る。

「あ、わたし今、自分オリジナルの道から外れちゃってるのかも」

ひとりで道を突き進むうちに、じぶんジカンは健やかに育ち、狭かった視野も少しずつ広がった。それは喜ばしいことでもあるけれど、一方で、やはり他人をものさしにしてきたわたしは広がった視野に入ってきた「誰か」や「何か」に簡単に引っ張られ、それまで独走していた足がとまり、「やっぱり "ふつう" はこうだよね…?」と、ふらふらとオリジナルの道から踏み外していたのかもしれない。

スマホを手放して、ソファに身をあずける。カーテンがふわりと風になびく。その隙間からのぞく窓に、空が広がった。

わたしは、誰かと競争して生きたいなんて、思ってないんだって。

誰かに劣らないように、なんて考えても楽しくないんだって。

だから、わたしの道に戻ろう。

「ふつうはこう」や「セオリーとしてはこう」なんて、ぜーんぶ手放してさ。

見上げた空は綺麗で、雲はのびのびと自由に浮かび、わたしはまた、誰もいない「自分だけの道」に戻れそうな気がした。


おわり


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じぶんジカン松岡
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