自分の夢と、誰かの夢と、わがままと。
先日、Instagramでこんな質問をもらった。
わたしにはこの視点、実はまったくなくて……!だから「なるほど、そう思う人もいるのか」と勉強になった。
きっと自分の夢を叶えようとすることで、周りの人に負担をかけたり、我慢をしてもらったりすることがあるから申し訳なく感じる……ということなのかな。
それで言うとたしかに、わたしも自分の「やりたいこと」をやろうとすることで、特に夫や家族に負担をかけてきたと思う。
例えば20代で「フリーライターとして生きていこう」と決めた時、駆け出しの頃は収入も少なく、夫にかなり支えてもらった。そして今も、「実店舗を持つ」という挑戦に際して、一気にお金が出ることを心配した親族からたびたび支援してもらっちゃっているので、この歳になってもなお、「親に負担をかけている」とも言える。また店舗を持つための引越しにともなって、夫はいくつかの仕事を辞めたりもした。
書き出してみると、「いや、かなり負担をかけているな!」と自分でも笑ってしまう。けれどわたしは、それによって申し訳なさを抱えたり、迷惑をかけたくなくて何かをあきらめたりすることは無い。
どうしてそんなに強気なのだろうか。はじめて、じっくり考えてみた。
理由を考えている中で、わたしは自分の「やりたい」を叶えることに妥協をしないけれど、同じように大切な人達(=夫や家族など)の夢を叶えることにも全力で取り組むなあ、と気づく。
例えば夫が転職する時。それまでの職場があまりに激務だったので、夫は転職活動を始める前に会社を辞めた。つまりは次の職場が決まるまでの人生の夏休み期間は、わたしが家計を支えられたらと思った(貯金も含め、なんとかギリギリ支えられた)。
また今つくっているお店も、夫のやりたいことのひとつである「いつかゆったりとしたカフェを開きたい」を叶えられたらと、コーヒーを提供する喫茶室として店づくりをしている。他にも夫には「本屋さんをやってみたい」という夢もあるので、今年開設した本屋さん用Instagramアカウントの投稿を一緒に考えたり、動画を作ったりして、わたしにできることは協力したいと思っている。
つまりわたしにとっては、「自分の夢を叶えること」と「大事な人(=今回の例だと夫)が夢を叶えること」の間に、大きな差がない。どちらも全力で取り組むし、その過程も楽しい。
自分がそんな感じだから、自分の夢を叶えようとすることに対して、申し訳なさを感じないのかもしれない。
問題なのはおそらく、「自分の夢を叶えること」と「大事な人が夢を叶えること」がぶつかり合ってしまう時だろう。
例えば、わたしはお店を持つために引越しをしたいけど、夫はそのために仕事を辞めたくないとか。夫は転職活動に専念するためにいったん会社を辞めたいけど、わたしが家計を支えるのが難しいとか。
片方の希望を通すことが、もう片方の大きな不利益になるのだとしたら、双方が納得できる妥協点を探ることになると思う。ただ我が家の場合、今まで大きく「自分の夢」と「相手の夢」がぶつかった経験がないので、ここはあくまで「そうなったらこうするかなあ」というイメージでしかないのだけど。
自分の夢を叶えることを「わがまま」だと感じてしまう人が、けっこういる気がする。でも「自分のやりたいことをやること」自体は、全然わがままなんかじゃないと思っていて。
むしろ夢を描くことも、叶える過程も、実現してからの世界も、自分も含めて周りの人達と一緒に楽しめたら、それはとても幸せなことだと思う。自分の夢だけでなく、誰かの夢もそうやって一緒に楽しめるとしたら、人生の楽しみは何倍にもなるはずだ。
そんな風に考えているので、自分がやりたいことも、家族の夢も、友達や仲間の夢も、ぜんぶ同じ「人生のお楽しみ」として、楽しんでいけたらいいなと思う。
おわり
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