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「やりたいことを何でも実現してる人」という誤解
「やりたいことを何でも実現してる人」だと思われがちである。
たしかに、自分のブランドを立て、好きな人達と楽しく働き、ついに念願のカフェまでオープンさせたという字面だけみると、そう思われることもあるだろうなと納得する。
しかし、これは謙遜ではなく、全っ然そんなことはないのだ。
一見「華々しく夢を実現してる人」のようにみえるかもしれないけれど、叶えられなかったことや、今のところ難しそうだなーと思うことだって、いっぱいある。
例えば、カフェ運営。
最初に描いたイメージは、オーシャンビューで、東京からも気軽に行ける鎌倉のような場所で、もっと都心にあるようなモダンな店内で……と考えていた。
けれど自分の財力と照らし合わせたら、最初に思い描いた立地・建物・内装は到底無理で。「じゃあ自分の可能な範囲はどこなのか」を考えた上で「こんなカフェをやりたい」と改めて描きなおして実現したのが、今のじぶんジカン喫茶室なのである。
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つまりわたしが実現したのは、「やりたいこと」あらため「やりたいこと(改訂版)」だ。
たぶん人から見て「夢を叶えている(ように見える)人」や「やりたいことを実現している(ように見える)人」は、多くの場合「やりたいこと(改訂版)」をつくるのが上手いんじゃないか、と思ったりする。
例えばわたし自身、心に余裕がない時には夢を叶えていく人が輝いて見えて、眩しすぎて、何だか気落ちしてしまう時もあるのだけど、実はそういう人達も日常は意外と泥臭く「改訂版」をつくる日々なのだと思うと、納得感があったりする。
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そもそも、「やりたかったけど実現できなかったこと」なんていっぱいある。
就活の第一希望の会社には入れなかったし、社会人になってからは「会社員として上手くやれる自分」を描いていたけど無理だったし、退職してすぐは予備校講師として人気の先生になる夢を描いたけど無理だったし(林修さんみたいな人気講師になる予定だったんだよ)。
最近だって、もっと良い家に住みたいし(今の住居は木造アパートで隣人の鼻歌の曲名までわかる)、もう何年もカメラ買い替えたいし(お金が足りない……)、叶ってないことを言い出したらキリがない。ただ、これらは今後「やりたいこと(改訂版)」をつくりながら、叶えていけたらいいなとは思うけど。
わたしはあきらめが悪いので、「やりたいこと(改訂版)」をつくるのは上手い方かも。無理だとか、できなさそうとかで終わらせずに、ちいさくても実現するには?を考えてそれを行動に移していくから、他人から見ればたぶん「やりたいことを実現してる人」に見えたりもするのだろう。
結局は、自分ができることをしていくしかないなと思ってる。
叶わなかったことや、自分には選べなかった道なんて、たくさんありすぎる。それらに固執するよりも、自分が持っているものや、できること、選べる道のなかで「いいじゃん!」と思うものを探して選び取っていく。
理想はアップデートするもので、やりたいことは「改訂版」をつくりながら実現していくもの。それがきっと自分のスタイル。
おわり
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