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ダメな日の過ごし方

1週間ほど前、「ぜんぜんダメな日」が数日間つづいた。

トラブルが起きたり、良くないことが立て続けに起こったり。

そういう時って定期的にあるから、普段だったら「ああ、今はそういう流れなんだな」と、ただ思う。

そして、なるべく、じいっとしている。

最低限のことだけして、美味しい紅茶を淹れるとか、ケーキを食べるとか、ちょっとだけ自分を甘やかして、それだけ。必要以上にもがこうとしない。「前向きにがんばろう!」とか「どうにかして "ダメな日" を良い1日にしよう!」とかも思わない。それは大抵空回りに終わって、自分をもっと追い詰めるだけだから。

ただ、そんな調子が数日間つづいたら、「あれ?」と思いはじめる。

これはどうやら「そういう流れ」っていうわけじゃないぞ、何か動かないと抜け出せないヤツだぞ、って。

「ぜんぜんダメな日」が1日や2日あったりするのは、そんなに珍しいことじゃない。でも、3日や4日つづくのだとしたら、それはひょっとしたら「自分にあってない進み方をしている」ことで引き起こされてるのかもしれないなあと思う。

自分にあっていないこと。

例えば、自分の許容量を超えること、自分のペースで動けないこと、自分の信念を貫けないこと、などなど。具体的には、仕事を多く抱えすぎたり、無理のあるスケジュールで動いていたり、あわない環境に身を置いていたり。

そういうものは、ひとつひとつは小さくても、積もり積もって自分の身体を重くしていく。そうして、少しずつ歩みが遅くなり、本来間に合うものごとに間に合わなくなり、ちょっとずつ「ダメな日」が出来上がっていく。

そのことに、なぜだか自分は気づけないものだったりするのだけど、わたしはもう何度もこうして「ダメな日」を経験していて、さすがに気づくようになったのだった。

そして「何か自分にあわないことを抱えていないか」を考える。

どれだけその時が忙しくても、スケジュールに追われていても、いったん立ち止まる。このまま、「ダメ」なまま走っていても、たぶん何も良くならないから。

ということで、しっかり立ち止まって(加えてしっかり睡眠もとって)みたら、うーんやっぱりなかなか、いつの間にか、自分が進みたい方向からちょっとずつズレてきていたんだなあと思った。

特に、これは今回に限らずなのだけど、わたしは「素敵なものをつくりたい」と思い込んでしまう癖がある。Twitterで流れてくる「素敵なもの」もしくはお気に入りの雑誌などを見て、「こういう素敵なものをわたしもやりたい」と思ってしまう。

思うこと自体は、別にいい。人によっては、それが創作の源になったりもすると思う。

ただ、わたしの場合は違う。

わたしの自己分析によると、わたしが得意なのは「言いにくい本音を言葉にすること」であって、間違っても「見た目が素敵なものをつくること」ではない。

わたしが「素敵なものをつくる」をやってしまうと、なんとなくふわっと雰囲気がいいけれど、何も言っていないような、誰にも届かない、無論自分自身にも響かないものが出来上がってしまう。

今回の「ダメな日」はこれだけが原因というわけではないけれど、これもまたひとつの原因だったのかも知れない。小さなズレは、大きな歪みを生み出してしまう。例えば進む方向が半歩分ズレただけでも、進んでいけば大きな違いになる。もともと行く方向だったところとは、全然違う場所に着いてしまう。

ここ最近、いろんな場所で、ちょっとずつズレていたんだなあ。そんなことに気づいて、軌道修正をすこしずつ。


おわり
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じぶんジカン松岡
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