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時間に追われない暮らしのはじまり
伊豆高原に移り住んで1年。カフェ『じぶんジカン喫茶室』をオープンしてからは、もうすぐ3カ月が経つ。
建物のセルフリノベーションやカフェの運営にも慣れ、ようやく暮らしのリズムが穏やかになってきた。
それに加えて、つい最近夫が固定のクライアントワークを卒業した。毎週何時から何時までと決まっていたオンラインの仕事を手放したことで、わたし達の日々に「時間に縛られる」という要素がほとんどなくなった。
何時に出勤しなきゃいけないとか、何時までに終えなきゃいけないとか、そういう決まりがほとんどない。あるのは自分達で決めた「ここまでに何をどこまで進める」という意思だけ。
朝起きて、急ぐ必要もない。日中も予定や締め切りに追われることがない。工房から家は徒歩で行けるので、電車の時間を気にする必要もない。
時間に縛られない生活が、こんなにも心地よいとは。
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わたしは人一倍、「時間の余裕」に対する意識が強いと思う。
時間に追われたり焦ったりするのが苦手で、子どもの頃の夏休みの宿題も、大人になってからの締切のある仕事も、だいぶ早めに提出するような人間だ。待ち合わせに遅れるぐらいなら30分前に到着しておきたいし、分刻みのスケジュールにならないよう余裕を持って予定を入れたい派。
つまりは、常に時間を気にして、勝手に疲弊してしまうのである。まわりの人達を見ていると、みんなそんなに時間を気にしていなかったり、すぐ後ろに予定があっても直前まで気にしないでいられるのだと感じる。その点わたしは本当に気にしすぎで、時間に縛られすぎて、自分を生きているのではなく「時間を生きている」という感覚におちいってしまう。
それがとても苦しかったので、自分が時間に縛られなくて済むように、少しずつ「時間に追われること」を手放してきた。定時のある会社勤めを辞め、時間単価の働き方は選ばず、自分でスケジュールを立てられる今の働き方に行き着いた。
そうしてようやくつい最近、「時間に縛られずに生きられているな」と実感できた。
朝、カーテンから入る光とともに目覚めること。のんびり歩いて工房に出勤すること。疲れたら仕事を切り上げて帰ること。陽が落ちたら就寝の準備をすること。そう言えば、時計を見る回数も格段に減った。太陽の動きや自分の調子とともに、わたしのリズムで日々を刻む。
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ただもちろん、完全に時間に縛られなくなったわけではない。
いま最もわたしが時間を意識するのは、朝のゴミ出し。家も工房も、8時半までに出さねばならない。家は大丈夫だけれども、工房のゴミを8時半に出すには逆算して動かなければならず、ゴミの日だけ、朝の時間との戦いである。
「……いや、それだけ?」と、読んでくれた方は思っただろう。わたしもそう思う。たった週に2回のゴミの時間だけ。
日々の中には誰かとの打ち合わせもあるし、カフェの開店時間も決まっているけれど、それらは追われる必要のない時間帯に設定してある。予定を詰め込むこともないので、普段の生活においては時計を見ながら焦ることもない。
わたしのリズムで生きる日々に、こんなにも「自分を生きている」という実感が得られるとは、思いがけない発見。
やっと自分の中のリズムと、日々の流れが一致した、そんな感覚。
おわり
「じぶんジカン」では、自分と向きあう時間をつくるノートをお届けしています。もっと心地よく自分を生きるための一歩目に、よかったらどうぞ。
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