素直に生きるために
どうしてこうも、難しく考えてしまうんだろう。
自分のなかに浮かぶ考えに対して、「でも」「だって」「そうは言っても」の連呼。自らどんどん鎖を被せて、出口の見えない知恵の輪のようにしてしまう。
そうしているうちに、自分の「素直」は、どんどん埋もれていく。
自分の感情のはずなのに、いろいろなものに覆われて見えなくなっていく。
複雑にねじまがって、認められるために飾って。
素の自分って、どんな感じだっけ?
せっかく「自分」が生きているのだから、素直に生きる。
そんなことを考えるようになったのは、「素直な自分」がわからなくなり、自分が自分でないような感覚に陥ったときだった。
「でも」「だって」で自分の本音を潰すことが得意中の得意で、自分を消して「こうあるべき自分」に修正することに夢中になっていたと思う。
根本には「自分には価値がない」という自己肯定感の低さがあって、それゆえに「自分」を信じられず、打ち消して、周囲にあわせていくような。
ただ、そうしている間ずっと、わたしは毎日が楽しくなかった。
毎日否定の連続で、どれだけ頑張っても状況は好転しない。
っていうか、そもそもこの生き方って、「自分」が生きていると言えるのか?
自分として生まれたのに、自分の人生を生きていないなんて、それってどうなの?
なんかもう、どうせこうやって頑張っても上手くいかないなら、素直に楽しく生きた方がいいのかも?
素直に生きると決めて、やった4つのこと
ということでわたしは「もう、素直に生きよう」と思った。
というよりは、社会に適合しようと努力するのをあきらめた。
素直に生きる、つまり、まるごと自分のままで、丸腰で生きるような。
それはとてもラクであり、一方で「人とあわせること」を良しとする社会においては「異質」扱いされることもあるので、なかなか茨の道でもあるのだけど。それでも。
もともと頑張って武装して「社会に適合するための自分」をつくろうとしていたわたしが、「素直に生きる!」と決めてから、やったことを少し書いてみる。
1)自分の興味関心を押し殺さない
2)気のりしなければ正直に断る
3)おもしろくないときに笑わない
4)ムカついたときはちゃんと怒る
1)自分の興味関心を押し殺さない
「やりたいな」と思ったら、やってみる。「やりたくないな」と思ったら、やらない。それだけのこと。
とはいえこれが難しい。難しい理由は、「自分以外の人がどう思うか」が頭の中に入り込んでくるからだと思う。
でもわたしは「素直に生きるんだ!」と決めたので、自分の感情を優先する。自分の中に芽生えたものを、踏みつぶさないこと。
2)気のりしなければ正直に断る
嫌だな、やりたくないな、気のりしないな、と思ったら正直に断るようになった。
ちなみに、わたしは「断る」がとても苦手だった。
相手が嫌な気持ちになるかも、嫌われるかも、だったら自分が我慢した方がいいかも…と、どうしても思ってしまうから。
でも、今はちゃんと断れるようになった。自分の気持ちを尊重すると決めたから。嫌みを言われたり、あの手この手で引き留められたりもするけれど、それでもちゃんと断れた自分を誇らしく思うようになった。
あと、話すのが苦手なわたしは、なるべくテキストで断ることにした。つまり、メールやLINEなど。文字は考えてから送れるし、断ったときのあの気まずい空気を体感しなくてすむから、いくぶんラクだと思う。
3)おもしろくないときに笑わない
以前のわたしは、愛想笑いが多かった。
それゆえに「よく笑う子」として認識されることもあった。自分が笑えば周囲の人、特に上司など年配の人が「明るくて話しかけやすい」と喜んでくれた。
ただ、笑顔は引きつり、その場が終わった後に「ああ、疲れたな」と自分が老け込んでいく感覚もあった。
それで、おもしろくないときには笑わないことに決めた。
不愛想なやつだと思われてもいい、というか、もしそう思われるとしたら、わたしは元来不愛想なやつだったんだろうから、それでいい。みんなの期待に応える自分になろうとしなくていい。
そう割り切って、おもしろいときだけ笑うようになったら、意外にそれでも問題ないことがわかった。
しかも、周りの人たちも、あまり笑ってない(!)。なーんだ、わたしだけ頑張ってたんだな、なんてこともわかった。気持ちがスっとラクになった。
4)ムカついたときはちゃんと怒る
嫌なことがあったとき。自分をないがしろにされたり、自分の大切なものを傷つけられたりしたときに湧く「怒り」を、空気を読んだり良い人ぶったりして我慢するのはやめた。
とはいえ、その怒りを相手にぶつけるかどうかはケースバイケースで、多くの場合はその場が終わったあとに紙に書き出して「こんちくしょう!」と叫んだり(心の中で)、夫や友達に「こんなことがあって今日はとても疲れました!頑張ったので美味しいもの食べます!」と発露することが多い。
そういえば、星野源さんがエッセイでこんなことを書いていた。
怒りを吐き出す行為というのは、それをぶつける相手の気持ちを大きく揺り動かすほどに負のエネルギーが強い。しかし、黙って自分の中だけに留めておくと、次第に自分の心は不安定になり、体の具合も悪くなっていく。だからなるべく楽しく面白く吐き出すことが必要である。
――『いのちの車窓から』(星野源・KADOKAWA)※強調追加
まだそんなレベルには達していないのだけど、ムカつく出来事も最終的にコメディに変換できたら、自分の心も軽くなりそうな気がする。
素直に生きると、どうなったか?
こんな感じで、だいぶ素直に、正直に、自分のまま丸腰で生きるようになったと思う。以前に比べれば。
それで、どうなったか。言うまでもなく、めちゃくちゃラクになったのだった。
やりたいことをやる。好きな人に好きだと言う。おもしろいときに笑う。やりたくない仕事、行きたくない場所、気のりしない人間関係は断る。嫌なときはちゃんと怒る。自分にとって、一番の理解者となる「自分」の誕生。
そんなわたしを見て、離れていく人も当然いる。「空気が読めない」「ノリが悪い」「変わってる」このあたりは定番の捨てゼリフだ。でも、それでいい。
わたしは、わたしが大切にしたい人達をちゃんと大切にして生きられればそれでいい。
どうでもいい人から何を言われようが、関係ない。当然そのときは傷つくし、悲しいし、怒ることもあるけれど、結局は「あの人はわたしの人生における重要人物じゃないから」とバッサリ切り捨てて考えるようにしている。
だから、素直に生きたって、大丈夫。
そんなに難しく考えなくても、何重もの鎧で武装しなくても、もっと軽やかに生きたって大丈夫なんだよって、忘れずに生きたい。
おわり
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