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「自分で考える」を大事にしたくて

頭の回転が遅いよなあと、思うことが多々ある。

急に話題を振られて返事をするとか、突然の質問に答えるとか、そういう時にするりと言葉が出てくる人を尊敬する。わたしは、まったく出てこないタイプだから。

「考える」に時間がかかる。ゆっくり咀嚼して、自分の脳内を巡らせ、出てきた感情や思考の輪郭を捉えるような言葉を選びたい。でもそんなことをしていると、会話のテンポはすこぶる悪くなる。だからすぐに答えねばならない人前で話すシーンなどは、しっかり考えることも、自分の考えを言葉にすることもできず、だいたい後から「ちゃんと話せなかったなあ」と反省することになる。

友達と話していても、会話の中では受け取るのに精一杯なので、バイバイした後で話したことをゆっくり反芻したりする。その後何日も話したテーマについて考えたりもする。

先日のこちらのnoteで、カウンセリングが苦手だったということを書いた。

たぶんこれも、相手が自分の返事を待っているという差し迫った状況の中で、本音を言葉にするのが難しいということもあったのだと思う。それと相手の期待に沿おうとする気持ちがあいまって、相手の誘導に乗ってその場の雰囲気を壊さずやり過ごそうとする。

そんなわたしだからこそ、自分のペースで考えて言葉にできる「ノートを書く」がフィットした。誰にも邪魔されず、何を書いても許される。誰かの顔色をうかがって言葉を選ぶ必要もないし、答えを急ぐ必要もない。ゆっくりと思考を巡らせて、自分のペースで言葉にすることが許された聖域。

「自分を見つめるためのノートを作っているんです」と言うと、半分くらいの人からは「自分を見つめるなら、人と話す方がよくない?」という感じのリアクションが返ってくる。

もちろんわたしも人と話すことで景色が変わった経験はいくつもある。ただわたしのような人間にとって、人と話すよりも前に、「いったん自分だけで考える」が必要で。

自分がどう思っているのか、何を考えているのか、どうしたいのか、知ること。そのためにノートを開き、まず自分で考える。「人と話す」が効いてくるのは、自分の中を整理してからなのだ。わたしの場合はね。

「自分で考える」はエネルギーの要ることだし、わたしの場合は時間もかかるので、コスパはとても悪い。

けれど「自分で考える」を手放し、誰かの言うことを鵜呑みにしたり、用意された正解をなぞったりしても、心地よく生きられないことなんてもうわかってる。

だから、考える。

ノートを開き、ゆっくりと、じっくりと。答えが出なくたって、考える。「考える」ことそのものが、わたしを心地よいこれからへと、連れていってくれるから。


おわり


じぶんジカン」では、自分と向きあう時間をつくるノートをお届けしています。もっと心地よく自分を生きるための一歩目に、よかったらどうぞ。


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じぶんジカン松岡
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