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病気から癒えるために、動物的自分を取り戻そう!【健康エッセイ】


・意思を持たない方が、体には良い?



不随意運動(ジストニア)と向き合っていると、考えることがある。

自分って何なのだろう、と。

自分に不随意運動を合わせようとすると体が嫌がるのを感じるし、不随意運動に自分を合わせようとすると
体が喜ぶのを感じるから。


この体の主人は自分だと思っていた。

けれど、違うのだろうか。

自分の意思を持たない方が、体にとっては幸せなことなのだろうか。




・症状を自由に出させてあげると、体が喜んだ



最初に疑問を感じたのは、いつだっただろう。

顎位調整の治療をした頃だろうか。

その頃はまだ、はっきりと
「自分と症状の関係について」
考えていたわけではない。

けれど、ぼんやり考え始めたきっかけとしては、ここら辺が始まりだと思う。

その治療を受けるまでの私は、症状をこらえようと思えばできていた。

けれど、治療を受けるようになったら、全身に強く不随意運動が現れた。

最初は怖かった。

けれど、その一方で、何となく体が喜んでいる感じもあった。

何が正解かわからなかった。

症状をこらえないで自由にさせることが良い気もした。

けれど、症状が強く出ることは、悪化を意味しているのでは、とも思ったから。

その後、首のカイロプラクティックの先生や、今の治療院の先生から言われるようになった。

「自分に体を合わせるのではなく、
自分を体に合わせるように」
と。

やはり、症状をあえて出すと体が喜ぶ感覚は、正しかったのだと思った。

ただ、そうなると疑問はますます強まっていった。

自分を体に合わせてしまったら
自分がなくなるのではないか?





・動物的自分と人間的自分


けれど、今は思う。

自分って、もしかしたら一人ではないのかもしれない。

考えたり、判断したり、感情を言葉で表現できる自分だけが、自分ではないのかも。

自分の中に、もう一人、自分がいる気がするから。

それは、動物的な自分。

私たちが普段意識しているのは、
人間としての自分だ。

社会の中で生きていくために必要なルールを身につけ、生活している。

一方、動物的な自分とは、生まれた頃や子供の頃に近いのだと思う。

本能にもっと忠実に生きていた頃の自分。

本能が喜べば素直に喜び、本能が嫌だと思えば、それも素直に表現していた頃の自分。

人間的な自分と動物的な自分。

そういう、ふたつの自分が、体の中には存在しているように思う。

きっとどの人も、元々は動物的自分が強かったはず。

だた、成長し、社会のルールを身につけていくとそうだったころを忘れやすくなるのだろう。

これは、人として生きていくためには、自然な流れなのかもしれない。

けれどそれが、病気につながっていくのだとも思う。




・病気から癒えるために、動物的自分を取り戻そう!


不調や病気って、体がバランスを崩したときに現れると言われている。

特に、生まれたころから発病している場合を除けば、人は人間的な自分に強くバランスが傾いた時に病気になるのではないだろうか。

病気は、その崩れたバランスを整えるために存在していると思う。

そうであるならば、病気から癒えるためには、逆に人間的自分よりも動物的自分を強く意識する必要がある。

そう考えると、自分に不随意運動を合わせるのではなく、不随意運動に自分を合わせると体が喜ぶ感覚があるのも、当然のことだと思える。

だから、かつての自分に伝えたい。

体に自分を合わせることは、人間的な自分に偏りすぎていたバランスを
より動物的自分に戻すためのひとつの治療
なんだよ。

自分がなくなるわけではなくて、
あくまでも自分を最高の状態に戻すための、バランスの調整なんだよ、と。


※ヘッダー写真は、クリエイターさんの画像をお借りしています。
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頑張りたい理由がある人へ | ジストニア体験者・研究家 永松ひさこ
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