私が心の内を話せるようになったのは
私はジストニアになる前も、なってからも、心の内を人に話すことはほとんどなかったように思います。
ジストニアについては話せました。それに伴う悩みごとや困りごとも話せました。
でも、心の奥を明かすことはしませんでした。
なぜ話さなかったのだろう。
●幼い頃からの気持ち
私は幼い頃から、何となくいつも不安を覚えていました。不安と感じるか感じないかの、本当に居心地の悪い不安。何か変という感じです。
理由が分かっていれば、対処することができたかもしれません。不安にさせる物事を撤去するとか、それから離れるとか。でも、何に不安なのかが分からない。
だからずっと性格の問題だと思っていました。ジストニアになってからも。
そんな私がとった対処法は、調教でした。自分に厳しくして心を鍛えようとしたのです。
弱音は吐いてはいけない。
悩んでいる素振りも見せてはいけない。
前向きな言葉しか使ってはいけない。
常に自分を監視して、鞭を打つ準備をしていました。
●気持ちの変化
でも昨年、日記を振り返っていて気づきました。私の体は、土台自体が不安定でぐらついていたんだ!
土台が不安定な家と、その家から一歩も出たことがない自分を想像してみました。
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生まれた時から、その家に住み続けている私。いつも、なんか不安だなと感じている。でも土台が不安定だと気付けていないから、そして教えてくれる人もいないから、なぜ不安なのか分からない。
電話越しで話すお隣さんたちは、いつも元気で、楽しそうで、笑っている。なのに、自分はいつも不安で、曇った顔。この差は何なのだろう。
自分は小さなことにいちいち反応する、神経質な人間なのだろうか。
自分は今の暮らしに満足できない、欲張りな人間なのだろうか。
自分は日常を楽しむことができない、つまらない人間なのだろうか。
それとも、もしかして? もしかして、お隣さんたちもみんな実は不安を感じているのかもしれない。でも、元気で、楽しそうなのはそれを何てことなくさらっと押し隠せるくらいの心の強さがあるからかもしれない。
それなら、自分も強くならないと。もっと、もっと、もっと。お隣さんたちのように……。
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私は、これと同じ状況に何十年も陥っていたようです。
●心の内を話さなかった理由
これまで心の内を人に明かさなかったのは、あえてそうしなかったのではなく、できなかったから。
話してしまうと、お隣さんたちと自分との埋められない差を認めることになってしまう。心に鎧をつけて生きてきた私にとっては、絶対にあってはならないことでした。
それに、そもそも何に不安を感じているのか分かっていないわけです。だから、言葉にすること自体できなかったのだと思います。
でも、今は不安定な家を外から眺められています。ずっと不安に思って、当然だったんだ。そう思えたから、こうやってブログにも書けるようになりました。
自分に優しくなって、治るスピードまで一段上がってきた気がします。
自分と向き合うってすごく体力がいることです。心も身体も弱っている時なら、なおさら大変なこと。でも、それでも少しでも今より体調が良くなりたい。少しでも自分を好きになりたい。
そう願っている人が自分と向き合うことができるように、その手助けができるように、ブログを書いています。
よろしければサポートをお願いします!いただいたサポートは、今後の活動に使わせていただきます。私の目指す世界は、ジストニア患者さんが一人でも減ってくれること。もっと言えば、生きるのが楽になったと思える人が、増えてくれること。そうなるよう、これからも大切に記事を書いていきます!