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友達ってなんぞや?


 みなさん、友達はいますか?私は、ずっと「いない」と言い続けています。なんだか、友達がたくさんいると言ったら、自慢しているような気がして。でも実際、本当にずっといないと思っていました。理由は以下の通りです。

・話す人がいない

・遊ぶ人がいない

・心の居場所がない

 話す人がいない、と言うのは、例えば学校。休み時間や給食の時間にたいていみんな遊んだり話したり、グループができていました。私はその時間、話す相手が一人もいませんでした。話そうともしなかったのですが。自分が話しかけたら嫌がられる気がしたからです。でもそんなの実際に行動してみないと分からないのですが。

 遊ぶ人がいない、と言うのは、話す人がいない、と似ていますが、例えば休日の話です。1日中する事がなかったり、誰かに話したい、相談したい事があったり思った時、誘える人がいなかったのです。スマートフォンで友達一覧を一人一人確認しても、この子は忙しいだろう、この子は誘うほどじゃない、断られるだろうな、と言われてもいないことを想像して誘う事ができませんでした。

 心の居場所がない、と言うのは、上記の相談したいと思った時にさらけ出せる人がいないと言う事です。私は相談をするとしたらほとんどが家族です。でも、家族の事について相談したいと感じたら抱えなければなりません。
「ちょっと話を聞いて欲しい」
と言える相手がいないのです。それはそれは孤独を感じました。

 これらの3つの理由から、

「私、友達いないから」

と口にするようになりました。
 しかし、本当にそうなのか?友達がいないと口にする相手は誰なのか?一緒に2人でご飯を食べに来た人。2人で遊びに来た人。え?その相手は友達じゃないのか?自分の中で友達という定義が厳しすぎるのではないかと思いました。自分の素を出せてなんでも話せる相手が友達。そう思っていました。友達の範囲を自ら狭めてしまっていたのです。

 今日、私は先輩とご飯に行きました。先輩は友達なのか?今、悩んでる事です。友達という関係の方が楽で楽しい。でも、先輩だから一線は引かないといけない。先輩は友達と言ってくれました。
 友達の矢印は相互に向いているわけではありません。私が友達と思っていても、相手は思っていないかもしれない。私は友達ではないと思っているけれど、相手は友達と思ってくれている。しかしそんなことを確認することなどありません。ただ、私を友達と思ってくれていると知ると、私も友達と思っていいのだと安心できます。そこで私は思いました。

「自分が友達と思えたらそれは友達」

それは特別人が対象でなくても良いのです。音楽、本、人形、おもちゃ…。私が心を打ち明ける事ができる物で、それを自分は友達と思えるのならば、それは友達なのです。「私、友達いないから」
は、
「私、友達と思える人や物が無いから」
なのではないでしょうか。人の友達がいなくて悩んでいたら、1人でいいから自分が友達と思えるようにしよう。私はそう考えるようにしました。友達の明確な定義はありませんから。

お読みいただきありがとうございます。私はこんな考え方で少し楽になれました!

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