信じるとは、 「少しも疑いも持たずにそのことが本当であると思う。」 インターネットで検索するとそう出て来た。 私が信じたことは、友人の言葉。私が大切な相談をして、彼女は誰にも言わない、と何度も私に行った。いつも相談にのってくれる大切な友人。信じる?当たり前だ。私がなぜ信じるかは、私が信じていなかったら相手が不快な気持ちになるからだ。彼女とずっと友達でいたい。そのためには自分も相手のために出来ることは精一杯にしたい。ましてや、信じるということは難しいようで難しくない。私の気持
何かをきっかけに穴にハマることはありませんか? 例えば、穴にピッタリとハマったお金。私の好みにピッタリとハマったアイドル…。色々な意味で穴にハマると抜け出せなくなることってあると思うんです。 私は、ネガティブの穴にハマると抜け出せません。一度自分の悪いところを見つけると何乗にも増えていきます。私、一生懸命やっているつもりなのに、上手く行かないんです。そんなのみんな同じだと思います。でも、授業で実験やら実習やらをやる時に、まず先生の話を一生懸命聞くんです。でも、いざやり始
私は自分が真面目だとは思わない。だけど、周りの人にはよく、真面目真面目と言われる。家に帰れば勉強もせずにぐうたらするし、きつい事から逃げたくもなる。そんな人が真面目なのだろうか?もちろん、ルールとかは守るし、並外れたことはしない。それは当たり前のことで、やらないと怒られたり、目をつけられたりするからそれを避けるためにやっているだけ。でもそんな行動が真面目だと言うのだ。 では仮に、自分が真面目だとしよう。まあいくつか損する場面に出会う。例えば、大学の出欠。友達は授業をサボっ
人間はちっぽけだってよく言うけど、そりゃ宇宙とか地球とかに比べたらちっぽけだ。でも、君や私が1人いないだけで、その存在はちっぽけなんかじゃないと気づく。 1人いないだけで、世界は大きく変わる。テレビの向こう側にいる推しがいなかったら、あなたは推しがいなかったかもしれない。渋沢栄一がいなかったら、今の一万円札は無い。おじいちゃんやおばあちゃん、父や母がいなかったら、私はいない。あなたがいなかったら、あなたのお母さんが出産を経験する事もない。君がいなかったら、私は君と話してい
みなさんは、絶対に譲れないものはありますか?絶対に譲れないもの、つまり最も自信を持てるものだと私は思います。 私にとって絶対に譲れないものは、人に優しくすることです。これは自分を棚に上げている訳ではありません。人に優しくすることに自信がある、というだけです。実際に優しく出来ているかは、また別の話です。周りからは、優しいよね、とよく言われますが、それには理由があるのです。きっとよく聞く話かとは思いますが…。 優しくする理由 ①嫌われたくない ②自分を守る ③優しくする自
人の本性は私が決めるのではなく、友人と答え合わせをすることで知ることが出来ると思う。もちろん、最後の決断は自分でする必要がある。しかし、自分のみの固定概念で、他人を決めつけることは正解とはいえない。正解自体がないとも思えるが、共通点を見つければそれは限りなく正解に近づく。近似値的な。 例で言うと、私が最近よく連絡を取る後輩の男の子がいるとする。彼は連絡を取る中で、私が会話を終わらせても、また会話を始める。発する言葉もどことなく私をキュンとさせる。そこから彼を意識するように
私達は毎日、少しも休むことなく呼吸をしている。酸素を取り入れては二酸化炭素を排出する。その酸素を取り入れる過程でさまざまなにおいを感じると思う。 例えば、みなさん一度は友人や知り合いの家を訪れたことがあるでしょう。その際に、その人の使っている柔軟剤の香りが家中に広まり、玄関の扉を開けた瞬間に前方から風が吹くようにその香りが押し寄せる。その香りは家でなくてもその人のそばにいたり、すれ違うだけでも香ってくる。何度も同じ香りを感じることで、同じ香りを嗅いだ瞬間にその人を思い出す
将来作詞作曲をしてみたいと思っています。そこで歌詞にできたらな〜という思いを書かせていただこうと思います。自己満ですが、、。 『今更でも』 幼い頃から 英語やっていれば 塾に行っていればなぁ 頭が良くなっていたのに 幼い頃から ピアノ弾いていれば ダンスを踊っていればなぁ 憧れの場所に立てていたのに 今更後悔したって過去は戻らない 今から変えることさえ出来ない 憧れのあの人は才能があるから 私になんか、、 幼い頃は ただ食べていた ただ遊んでいたなぁ 未来など知らな
今の私に未来のためにできることなんてない。 「未来のためにできること」 というテーマを見てそう思った。なぜなら、未来に私はいないし、未来の世界など想像もできないから。私には才能もなければ知識もない。身につけようと努力さえしてこなかった。唯一努力をしたのは中学校、高校での部活。私は剣道部に所属し、暑い日も、寒い日もそれはそれは苦しみに耐えながら努力した。あの頃の私は、心も体も表情もいきいきとした揚げたてポテトフライのようなものだった。 しかし高校を卒業して、大学では剣道サー
今私は、9/18の0:00にこの記事を書いている。0:00は9/18か9/19か?0:00は日付がまわったと言うから9/19なのだろう。でも、私はまだ寝ていないから感覚的には9/18。この時間に友人と連絡を取る時、一番意思疎通が難しい。私が今日と言ったら、相手は何日だと思うだろう。私が9/18の感覚で今日と言ったら、相手は0:00をまわっているから9/19と思うかもしれない。でも、私と同じ感覚であれば9/18と思うかもしれない。それはわからない。実際に私も友人から連絡が来た
1人の時間が欲しい。でも、孤独が嫌い。1人は寂しい。誰かと遊びたいし会いたい。ああ、なんてわがままなことでしょう。私はいつもそんな自分に嫌気がさします。特に一番悩んでいるのは、遊ぶ約束をして楽しみにしていたのに、前日になって面倒になったり、行きたくないと思ってしまうことです。ああ、なんて自己中なことでしょう。この精神状態は一体何なのでしょうか。会いたくないわけではないんです。でも、行きたくないんです。何か理由をつけて断ろうと考え始めます。相手に失礼とわかっていながら。わかっ
よく、こんな言葉を耳にします。 「人って変わるんだね〜」 「人ってやっぱ変わんないよね」 皆さんはどう思いますか?私は、人は変わらないけど私は変わると思います。人ってあまりに範囲が広いと思いませんか?あなたという意味かもしれないし、会ったこともない他人を含めた全人類のことかもしれない。でも、私は人と言われたらそれは、人という生物だと思います。私はそう考えるからこそ、人は変わらないと思うのです。人という生物が変わることすなわち、進化です。進化もしているのかもしれませ
みなさん、友達はいますか?私は、ずっと「いない」と言い続けています。なんだか、友達がたくさんいると言ったら、自慢しているような気がして。でも実際、本当にずっといないと思っていました。理由は以下の通りです。 ・話す人がいない ・遊ぶ人がいない ・心の居場所がない 話す人がいない、と言うのは、例えば学校。休み時間や給食の時間にたいていみんな遊んだり話したり、グループができていました。私はその時間、話す相手が一人もいませんでした。話そうともしなかったのですが。自分が話し
私はてんかんになって、辛い事や悲しいことが増えたと思っていた。しかし、5ヶ月経った今、運命を引き寄せている気がした。 私の周りの友達が病気を持っているとか、抱えている事があるとか、改めて聞いたことなど無かった。しかし、自分がてんかんになって、お世話になった人に打ち明けてみると、意外にも周りにはてんかんの人がいるし、身近な人もてんかんだった。中学校の同級生。彼はいつも明るくて元気で、悩みなど一つもなさそうな優しい子。そんな彼はてんかんだった。当時は私はそのことを知ることもな
私は、一度に、一つの事から何倍もの数の事を考えてしまう。 例えば、友人と遊ぶ時。まず一番最初が一番心の力を使う。どんな表情で会えば良い?相手が嬉しくなさそうな顔をしたら?とりあえず自分だけでも明るい表情をしなくちゃ!私が先に着くか、相手が先に着くか。何をして待っているか、相手は何分くらい待ったのか、、、。これ以上に考えることは沢山。友人には会いたいけど、会ったらとんでもない体力を使う。心の。楽しむはずの日も疲れてしまう。でもそれって、すごく自己中で相手に申し訳ないと思う。
私は日記を書こうと思っても、長続きしない。その意味とは何か? 8/13〜8/16。この間はお盆に当たる。私はいつもお盆には、祖父母の家に帰る。幼い頃はとりあえずお盆に帰るという認識しかなかった。それがいつで何のためにあるかも知らずに。しかし、今年のお盆は違った。大学生にもなると、日付や意味について気になるようになった。 お盆はご先祖様をお家にお呼びする日。脚の速いきゅうりの馬と、たくさんの供物を乗せてゆっくりと歩くナスの牛を作ってお仏壇にお供えする。天ぷらや他の食べ