1995年の中国出張(3)
初めての海外、中国出張生活が始まりました。
毎朝ホテルで朝食をとった後、7:30頃にホテルのロビーに集合、15分ほどオンボロバスに揺られて工場に出勤し、8:00から12:00まで午前の仕事。昼食は日本人専用の社員食堂で中華料理、13:00から17:00まで午後の仕事、残業がない人は17:30のオンボロバスでホテルに帰り、基本的にグループ全員揃って夕食の後解散。といった流れです。
19:30にもバスがあるので残業の場合には19:00頃を目処に上がります。これ以上遅くなる場合でも、タクシー利用は厳禁で総務部門に車のアレンジを依頼するルールでした。
今でも中国の運転事情はなかなかハードですが、当時の中国は今とは比較にならないほどひどい有様で、絶対的な車の量は今とは比較にならないほど少なかったものの、自転車の数が非常に多く朝晩の出勤・退勤の時間帯は大げさではなく大河のように押し寄せてくる感じでした。
道路の状況もひどいもので、謎の大穴が空いていたり、壊しているのか直しているのか、はたまた作っているのか、全く謎な道路工事、結構な頻度で見かける故障車などなど障害物だらけ、低速のトラック・バス・自転車の間を、身軽なバイクやタクシーや商用バンがクラクションを鳴らし蹴散らしながら走り回っている状況でした。
ホテルの前は片側4車線上下8車線の幹線道路で、向かいにはちょっと程度の良いスーパーマーケットがありました。
早く帰ってきた日はこれといった用事もないので、暇つぶしに買い物に出かけるのですが、この道路を横断する必要がありました。歩行者を見ても全く速度を落とす気配がなく、故障でライトがつかない車も多数走っている状態でも、中国人は平気で横断していきます。私も何度か挑戦をしましたが、結局渡れず仕舞いでした。
中国人のスタッフにコツを聞いてみると、
「行きたいの気持ち、強いほうが勝ちます」
歩行者が一歩も引かず渡り切る覚悟で足を踏み出せば、ビビった運転手はブレーキを踏む。
運転手の先に行きたい気持ちが強ければ、迫りくる車にビビった歩行者が足を止める。
真理だとは思いますが、試す勇気はありませんでした。
2週間の滞在でしたが、最後の会食で総経理から声をかけられました。
「あなたはまだ若いのによく頑張ってくれた。実はここに常駐してくれる制御系のエンジニアと、現地エンジニアの統括管理者を探している。香港の本社採用、東莞勤務、住む場所は今のホテルの部屋を会社で用意する。月給20万円で来る気はないか?」
当時の中国の現地従業員の月給は5000円程度。缶コーラが50円程でしたが、目立つから昼休みに現地従業員がいる場所で飲むなと言われていました。
それを考えると、20万あればホテル暮らしで贅沢三昧の生活が出来たかもしれません。そして月20万は当時まだまだ小僧っ子の自分が日本で貰っていた月給よりも高かった。ただし、香港人のベテランエンジニアに払っている報酬よりはかなり安い、絶妙な金額だったと思います。
そして当時は航空券もそれなりに高かったので、年一度の帰国も危うい金額です。今では当たり前のインターネットも、当時はやっとNiftyなどがサービスを開始したばかりで中国ではもちろん繋がらず、携帯電話・スマホもなく、通信手段は手紙か、国際電話のみ。
次回(2週間後にもう一度の予定でした)訪問までに返事をくれと言われましたが、その場で丁重にお断りしました。
その出張先の工場は、今でも健在です。あの時オファーを受けていれば、中国のシリコンバレー発展の波に乗り、大成功していたかもしれませんし、今頃香港で一連の民主化デモに参加して投獄されていたかもしれません。
さて、今回はここでおしまい。次は何処まで書けるかな?
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