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三国志② さくっとストーリー編

どうも!ハリーです。3回にわたる「三国志」の2つ目です。

今回は「ストーリー編」です。「印象に残った作戦」も載せるつもりなのでご覧ください!では参りましょう!

時代は王朝 後漢の衰退時です。地方が荒れて、民間宗教が強くなっていきました。これに対抗した後漢は曹操・劉備・孫堅を筆頭に制圧させます。制圧はされましたが後漢はもうすでにジリ貧。地方の有力者 袁紹が反乱したり、董卓(とうたく)が呂布を利用して政治を牛耳りました。

袁紹は曹操・孫堅を誘って董卓に挑みますが呂布の前に敗北。しかし呂布は董卓を裏切り、殺してしまいました。

負けた袁紹は地方を統括し、ぐんぐんと力をつけ始めます。

主人を裏切った呂布は曹操と長期戦を強いられます。勝者は曹操。曹操はそのまま皇帝と共に政治を始めました。

呂布は劉備の領地を取りに行きますが、曹操と劉備によって返り討ちに遭い、死にます。

そんな曹操を危険視した皇帝は劉備と共に曹操を暗殺しようとしますが、失敗。劉備は最愛の部下 関羽を置き去りにして袁紹のもとへ逃げることを選びました。

袁紹は曹操と対決することを選びます。曹操は劉備の部下 関羽に助けられ、袁紹を見事打ち倒しました。曹操は関羽を劉備のもとへ帰してあげるのでした。

曹操の勢いは止まりません。袁紹に次いで劉備にも勝利しました。劉備は部下 張飛を殿に逃げ延びます。

劉備は軍師を求めて諸葛亮のもとを3度尋ねます。最初は留守と伝えられますが誠意をもって参ります。仲間となった諸葛亮は孫権と手を組むことを推奨。また風向きを読み、火の手を活用することで曹操に勝利しました。これが映画化され「レッドクリフ」と呼ばれました。

この戦いを経て、劉備が南東 蜀を、孫権が北西 呉を、曹操が北 魏を支配する三国の世が幕開けました。

呉の宰相 陸遜によって関羽は罠にはまり、戦死してしまいます。関羽の亡骸は曹操が埋葬してあげました。

魏では曹操が亡くなり、後継者は息子 曹丕が継ぎました。曹丕によって学者や宰相の待遇が良くなり出します。これが魏の滅亡の1歩となってしまいます。

関羽を亡くした劉備は我を忘れ、陸遜に挑みますが敗北してしまいます。張飛は部下の裏切りによって死去。劉備は病死してしまいました。残った諸葛亮が蜀を引っ張ることになります。彼は呉と共に魏を討つことを決定しました。

一方魏では宰相として待遇が良くなった司馬懿が諸葛亮のライバルとして魏を引っ張ります。

諸葛亮と呉の連合軍と司馬懿率いる魏は何度も争いますが、司馬懿は強く賢く、呉が先に白旗を振り、諸葛亮の勢いも衰退していきました。全滅とまではいかなかった蜀ですが、諸葛亮の死去により一層厳しくなりました。

魏では司馬懿と曹操の一族とが対立していました。司馬懿は彼らをつぶし、政治を牛耳るようになります。その後、魏は蜀を滅ぼしてしまいます。

司馬懿の一族内でも権力争いが絶えなかった魏は内部崩壊し、司馬炎によって西晋が建国されました。これにより三国の世は消えてなくなってしまいました。

残った呉も内部争いしている隙を西晋に狙われ、滅亡させられてしまいました。その後、西晋は北部の民族侵入により衰退しますが、なんとか生き延びた王族によって東晋が建国されます。

今回は以上です。中国の歴史は争い→統一→争いの連続です。魏と呉は内部崩壊。蜀は我を忘れた劉備の計算違いによって滅びました。

かなり省略した部分もあるので詳細が気になった人は僕のインスタへ↓↓↓
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