殭屍(キョンシー)の備忘録

歴史が好きな殭屍。 「殭屍の史林堂」という名前でYouTubeに歴史解説動画をあげてます。

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歴史が好きな殭屍。 「殭屍の史林堂」という名前でYouTubeに歴史解説動画をあげてます。

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八奈見「小鞠ちゃん、吃音を治したいんだって!」

小鞠『ふざけるな!あたしが、どんな気持ちでっ…!』 八奈見「……というわけで、温水くんにペットボトルを投げつけたことを後悔していると。」 小鞠「さ、さすがに水をかけてしまったのは、わ、悪いと思っている。」 八奈見「まぁ、でも温水くんはそんなこと気にするタイプじゃないでしょ?それに小鞠ちゃんも、あの後謝ったんだしさ。」 小鞠「そ、それはそうだけど…。」 小鞠「た、ただ、部長として、あの場所で話すのはあたしのはずだったし、そ、それが出来なかったから、文芸部のみんなにも、迷惑か

    • ドキュメンタリー番組「囚人A(原題:prisonerA) “戦犯”と呼ばれた女

      199×年。南東欧の連邦共和国で起きた内戦は、数々の戦争犯罪を引き起こしました。 人口の約4割を占める民族が、他の少数民族が暮らす地域を武力で併合しようとしたのです。それに抵抗した少数民族の武装組織と、鎮圧しようとする政府軍の間で、住民を巻き込むすざまじい攻防が繰り広げられました。 捕虜の虐待、処刑。民族浄化を目的とした強姦も組織的に行われました。 そのなかでも、海外のジャーナリストによって公開された、無関係な市民を小学校の倉庫に閉じ込め機関銃で掃射する凄惨な動画は、この

      • 意外と先進的!? 戦国「楚」の体制(後編)

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        • 意外と先進的!? 戦国「楚」の体制(前編)

          「楚は大国だが貴族が強く、そのため中央集権化に遅れた」 「巫風文化が抜けなかった楚と、法治に移行できた秦」 上記のような意見は楚の低迷と秦の躍進を説明したものとして広く言われています。確かに、大国として中原諸国に恐れられていた春秋時代と比べれば、戦国時代の楚はどこかパッとせず、内には改革を目指しても頓挫し、外には秦からの圧力に屈して首都を何度も東へ移しています。 春秋五覇に数えられた荘王が草葉の陰で泣いているぞ…。 ですが本当にそうでしょうか? 秦が中央集権化を達成し法

          noteはじめました。

          ダーチャーハオ! 不定期にYouTubeに歴史解説動画をあげている殭屍(キョンシー)です。 Twitterにも呟いたことになりますが、動画作成にあたって調べたことや考察をまとめる場所が必要だなと思って用意しました。さすがにTwitterだけじゃ把握しきれなくなってきたので。 というわけで、当noteでは ・動画の構想 ・メモや原稿 ・殭屍の仮説 ・参考資料   etc… として活用していきたいと思います。