“TRPGは人を殺せる” エモクロアTRPG「大悪党 地獄ケ原斬人」が素晴らしい理由
しまどりるさんのエモクロアTRPG「大悪党 地獄ケ原斬人」がとてもおもしろいシナリオなので、その理由をつらつらと書きます。また、その「地獄ケ原斬人」をまだら牛さんがしまどりるさんに回した「#大悪党原作者」が個人的にブッ刺さったのでその話もします。
エモクロアTRPG「大悪党 地獄ケ原斬人」は、むちゃくちゃおもしろいです。1時間程度のシナリオで、それでもハラハラドキドキ物語にぐいっとのめり込めるアイデアがあるし、しまどりるさんのイラスト素材がそもそもリッチでカッコいいし、現在のTRPGカルチャーにおいても重要な理由がたくさんあって...!!!みたいな話です。
「地獄ケ原斬人」は、TRPGがいまのコミュニティの枠を越えて、より外に広がっていくかもしれないとワクワクさせてくれるような、そんな素敵なシナリオです。
まず前提を話すと、2020年前後に、TRPGが配信文化と合流することで新たな変化がありました。そういった変化の中でシナリオ「カタシロ」が生まれ、配信文化と相性がよかったことで、TRPGがより外に広がるきっかけのひとつになりました。
個人的な感覚としては、「カタシロ」リスペクトのシナリオが今後もっともっと生まれることで、TRPGカルチャーがよりおもしろくて新しい発展をすると考えています。(もっというと、「狂気山脈」リスペクトなシナリオも同様に)
そう考えると、「地獄ケ原斬人」は「カタシロ」リスペクトで、その上でさらにしまどりるさんオリジナルな要素もあり、むちゃくちゃ素晴らしいんですよ!!!
(文化の発展は、表現の積み重ねによって生まれるモノだと考えています)
今回のトピック
①「カタシロ」との共通点
② イラストレーターがシナリオを書くということ
③「TRPGは人を殺せる」
以下、「大悪党 地獄ケ原斬人」と、別シナリオ「カタシロ」、しまどりる企画室に関するネタバレをガンガンしていくので、まだ観てないよーって方はまずそっちを観てください。
①「カタシロ」との共通点
「カタシロ」は、病院というワンシチュエーションで、1時間程度で終わって、プレイヤーの内面性を感じ取れるシナリオです。その性質が現在の配信文化に適していました。
「地獄ケ原斬人」も東京スカイツリー展望台というワンシチュエーションで、かつ、いきなり"事件から始める"という形式がむちゃくちゃいいです。
"事件から始める"は、導入をすっ飛ばすことで配信時間が短縮できるし、視聴者を「!!??」と驚かせ、そのライブ配信への興味を一気に獲得できます。
「カタシロ」も導入をすっ飛ばすタイプで、いわゆるクローズドシナリオ的な始まり方でもありますが、それにしたって「地獄ケ原斬人」はクライマックスがすぎる。
時限爆弾のカウントダウンも含めて、いきなり世紀の大悪党となって、今まさに犯行の真っ只中という驚きの舞台設定は、もう最高としか言いようがないです。
「このライブ配信はおもしろいぞ...!?」と一瞬で視聴者に思わせるグリップ力が最強です。
そして、さらに、「地獄ケ原斬人」も「カタシロ」も、“選択の物語”であることがむちゃくちゃ重要です。
TRPGにおいて、プレイヤーが物語の展開を"選択"(決断)することは、自由度が高いからこそ、その根本的な魅力のひとつだと思っています。
コンシューマーゲーなどでプレイヤーが、A or B or C といった限定的な選択肢から物語を選ぶことの重みとは全然違います。
「カタシロ」の醍醐味は、医者との対話を経て、最後には選択を迫られることにあります。
選択は、キャラクター(プレイヤー)の内面性の発露です。
プレイヤーがキャラクターを演じることで、プレイヤー(配信者)の内面性を感じ取って楽しむ側面があるからこそ、「カタシロ」やTRPG配信は人気を獲得していると考えます。
「地獄ケ原斬人」もその選択の魅力が、思考実験によるストーリーテリングや内面性形成ともまた違うかたちで、存分に発揮されています。
それは、物語終盤でプレイヤーに突きつけられる「おまえは誰だ?」という選択肢。
あるいは、いきなり銃口を向けられたとき。
警官や地獄ケ原斬人らしき一般人を殺すかどうかと質問されたとき。
「あなたはどうするか?」と問われる。
つまり、「地獄ケ原斬人」は、大悪党になりきって「人を殺す」という選択がありえるシナリオです。
いきなりわけもわからず修羅場に放り投げ出されたキャラクターに対して、刻一刻と進むカウントダウンは、いやがおうにもプレイヤーに選択を迫る。
そして、エモクロアTRPGの特徴である共鳴判定の活用方法がほんとに素晴らしくて、物語がどう転がっていくか、プレイヤーがどの選択肢を選ぶのか、それはダイスの出目で変化する。
共鳴判定は、クトゥルフ神話TRPGでいうところのSAN値チェックあるいはロストに近しいですが、そのシステムを生かして、地獄ケ原斬人(ロスト)を選ぶという選択肢がありえること。
ダイスのランダム性によっては、そっちを選ぶ可能性が生まれること。
(そして、それはエモクロアTRPGの魅力でもある)
「大悪党 地獄ケ原斬人」は、まさに選択の物語です。
「カタシロ」が提示したシナリオ構造・TRPGの魅力を、さらにオリジナルなアイデアによって更新してみせたおおよそ1時間ちょっとの配信向きシナリオ。
クリアまでに10時間以上もかかるシナリオを全人類が楽しむ未来もきてほしいですが、まずはその入り口として配信向きのシナリオがもっともっと増えてほしい。
その可能性への一手として、「カタシロ」をリスペクトして、新しい見せ方・おもしろさを提示し、更新した「地獄ケ原斬人」は、TRPGという文化の発展において非常に重要だと考えています。
②イラストレーターがシナリオを書くということ
「地獄ケ原斬人」が素晴らしい理由はまだあって、やっぱりシナリオ原作者のしまどりるさんがイラストレーターであることが大きいです。
TRPG制作キットとも称されるその特異性は、素材を大量に制作できるイラストレーターであるしまどりるさんらしさのあるシナリオとも言えます。
そして、もうひとつ、イラストカルチャーという視点からも、「地獄ケ原斬人」は新しい試みのひとつです。
現在のTRPG配信文化はYouTubeのメジャー化がひとつの要因だと考えていますが、YouTubeのメジャー化による文化への影響は、イラストレーターにおいても同様です。
ハウツー動画を投稿するさいとうなおきさんやVTuberとしても活躍するしぐれういさんなど、「イラストレーターがYouTubeで何をやるか?」は今後も注目すべきトピックのひとつだと考えています。
その上で、しまどりるさんが行なっている「しまどりる企画室」というライブ配信は、イラストレーターやクリエイターがYouTubeで遊ぶ方法として、新しい手法になりえる。
クリエイターたちの悪巧みをユーザーがコンテンツとして楽しむこと。
作品を生み出すというひとつの学びをライブ配信として楽しむこと。
それは、クリエイターによるYouTubeの遊び方として、むちゃくちゃ新しくておもしろい方法ですし、そこから”YouTube発の物語”が生まれたら最高だなって思います。
キャラクターIPをどうやって広げていくかというテーマで、ブラックロックシューターのhukeさんにインタビューをするとかもうYouTubeの企画として素晴らしすぎるのよ。
ライブ配信で大事なのは、予想だにしない驚き(アクシデント)だと思いますが、配信終わりに突如見せたあのイラストの数々は、ライブ配信としても完璧でした。
シナリオとしてある程度の筋書きを用意すれば、あとは即興で物語が綴られるという意味において、TRPGは物語を生み出すことのハードルがアニメや映画に比べると低いと感じていて、=シナリオライターじゃない人もTRPGのシナリオ作りに挑戦できると思っています(もちろん、すべての創作活動で発生する“生みの苦しみ”はつきまといますが)。
そういう意味でも、イラストレーターなしまどりるさんがシナリオ制作に挑戦されたことは非常に意義深いことだなあと感じています。
③「TRPGは人を殺せる」
さて、「地獄ケ原斬人」を語る上で、もうひとつ触れておきたいのが「#大悪党原作者」。
個人的な思想にぶっ刺さったのでこちらにも触れておきたいです。
ここからは「#大悪党原作者」に関するネタバレもガンガンやっていきますのでご注意を。
「地獄ケ原斬人」を一言で表現するなら、
”ヒトを殺す”という選択ができるシナリオです。
セッションの中で、ヒトを殺すという選択肢が薄っすらと脳裏にこびりつきまとうシナリオ。
それは「私はヒトを殺します」という選択・決断をプレイヤーにさせる可能性があるという、残酷さでもあります。
ただ、もちろん、TRPGは、
遊びでありゲームでありフィクションです。
どれだけ残虐非道な大悪党であっても、フィクションとして、物語のヒールとして、人気を博しているキャラクターは数限りなく存在します。
「地獄ケ原斬人」自体も「大悪党ができそうなことはなんでもできる」という、万能でとんでもなく、とてもファンタジーな設定になっています。
だけど、「#大悪党原作者」は、その残酷さを露骨に剥き出しにしようとする。
例えば、「#大悪党原作者」の技能〈大悪党〉は、
シングルで1人、ダブルで10人、トリプルで100人、ミラクルで望む人数の人間を殺すことができる
という、もともとの設定と大きく違います。
そして、その残酷さは、虐殺のために最適化された感情学習プログラム「エモクロアTRP」(Transcript RolePlaying system for Genocide)としても顕現する。
地獄ケ原斬人は、問います。
どんな条件であれば、おまえはヒトを殺すのか?と。
フィクショナルな物語・役回りの中であれば、ヒトはヒトを殺すかもしれない。だって、フィクションなのだから。
その「ヒトがヒトを殺す」という究極のシミュレーションを意地悪なまでに露骨に提示する。
TRPG配信という台本なしの即興で、そのシナリオが孕んでいた残酷さを突きつけられる原作者のしまどりるさん。
だけど、
その残酷さをあえて提示するまだら牛さんに対して、「ほんとのTRPGをしませんか?」と対話をするしまどりるさん。
ここがもう最高すぎるのよ。
1:43:05、カウントダウン残り12秒。
TRPGはフィクションであり、
遊びであり、Gameだ。
個人的には、フィクショナルな遊びを生み出す能力こそがヒトがヒトである魅力だと考えていて、
例えば、マジックサークルというゲーム用語がありますが、それはホイジンガの遊びの理論をもとに生まれています。
ホイジンガによる”遊び”の条件
① 自由な行為である
② 仮構の世界である
③ 場所的時間的限定性をもつ
④ 秩序を創造する
⑤ 秘密をもつ
つまり、ゲームは遊びだ。虚構だ。
この世界の残酷さを覆い尽くすために、フィクションは存在し、ヒトは"遊び"としてそれを他者と共有する。
遊びとは他者と虚構の何かを共有する場(マジックサークル)。
TRPGは、まさに虚構的な遊び場です。
しまどりるさんが生み出したフィクショナルな遊び場であるエモクロアTRPG「大悪党 地獄ケ原斬人」と、人を殺すというリアルであれば禁忌な行為をシミュレーションとして際立たせる「#大悪党原作者」。
GameとGenocideの対比。
それに対して、しまどりるさんは「ほんとの"TRPG"をしませんか?」と呼びかけることで、この物語の残酷さの象徴である「”エモクロアTRP for Genocide”(虐殺のために最適化された感情学習プログラム)」から、 Game(遊び)を取り戻した。
「大悪党 地獄ケ原斬人」が生まれた理由でもある、友人たちと遊びたいからという動機を大事にし、それをしっかりと言葉にするしまどりるさん。
これを台本なしのリアルタイムでやるのまじで天才としか言いようがない。
ほんとにむちゃくちゃスゴイしカッコいいし、最高にTRPGだな…!と激アツ展開なのよ。
クリエイターたちの本気の遊びが大好きマンなので、もう終始ニコニコが止まらんかったです。
遊びたい、他者と何かを共有して対話したい。
「カタシロ」リスペクトでシナリオを制作したり、「大悪党 地獄ケ原斬人」に触発されて「#大悪党原作者」が生まれたり、「#大悪党原作者」では『OVERЯOID』や過去のSF作品に関するオマージュがあったりっていう作品づくりも、広義の遊びであり、作品による対話(アンサー)だと考えています。
TRPGは、物語という原初的な創作物をベースとした対話の遊びでもあり、”遊び”の魅力が「ほんとのTRPGをしませんか?」に込められまくってて、なんかもうほんと個人的にぶっ刺さりまくりました...
まじで感謝しかないです...ありがとうございました...(?)