いつか”広告マン”と名乗りたい
広告マンの定義ってなんだと言われると、
正直自分でもよくわからない。
なんとなく自分の感覚で、
「俺は広告マンだ!」と自信を持って言えるようになったら
僕が広告マンになれた瞬間だと思っている。
だから、そんな瞬間を目指して働いたり勉強したりしている。
ただ、不思議なことに
広告を知れば知るほど広告マンへの道が遠くなっているように感じる。
変ですよね。
僕は野球部だったので野球の話に例えると、
素振りをすればスイングスピードが上がってヒットを打てる確率が高くなる。
ノックを受ければ守備がうまくなってエラーをする確率が低くなる。
つまり、やればやるほどうまくなって、
試合に勝ちたいという目標に近づくことができるんです。
広告の仕事をして、広告のことを勉強して、
確実に広告の知識は近づいているはずなのに広告マンの道は遠くなるように感じてるんです。
きっと、自分よりすごい人をたくさん知っていくからなんですよね。
自分よりすごいプランニングをする人
自分よりすごいクリエーティブを作る人
自分よりすごいデザインを描ける人
自分よりすごいコピーを書ける人
広告というものに携わる人達ですごいと思う人が知れば知るほど増えていく。
でもこれまた不思議な話で、悔しいという気持ちよりも、
「すごい!!!」という気持ちのほうが強い。
「こんなやり方もあるのか」「こんな表現思いつくのか」とか、
どちらかというと考え方の幅が広がることにワクワクしている自分がいる。
今の自分の広告のレベルってまだまだだなと思うのと、
こんな考えがあればもっと色々できるかもしれないという意味で、
また一歩遠くなったように感じるんだろうなと。
でも、遠くなったからと言って、
僕が進んでないわけではないんですよね。
ゴールまでの道のりが正確に見えていないので正しくない表現かもしれないけど、
ゴールが10kmだと思っていたら、実は15kmだった。
15kmだと思っていたら、実は30kmだった。みたいな。
一つ確実に言えることは、
たとえゴールの距離が何kmになろうが広告の仕事を好きでいる限り、
僕は広告マンというゴールを目指すだろう。
ここまで書いて感じたのは、
冒頭に「”広告マン”の定義はわからない」と書いたが、
”広告マン”に定義なんてないような気がしてきた。
広告に携わる色んな人の「すごさ」を知って、
そこにあまり悔しさを感じていないのは
それぞれの人が目指す”広告”で成し遂げたいことがあるからだと思う。
どの考えが良い・悪いではなくて、
それぞれの人が広告を通じて何かを目指しているのだから、
どの考えも良い。
人それぞれの”広告マン”という定義があって、
そのどれもが素晴らしい広告マンなのだと思う。
これも抽象的だが、
僕は広告の仕事を通じて世の中をHAPPYにしたいと思う。
だから、きっとこれを実現できたと感じるときが、
僕が広告マンだと自信を持って言えるときなのだろう。
僕は、僕が描く”広告マン”を目指したい。