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三国干渉について 〜ドイツ黒幕説〜

はじめに

 皆様は、三国干渉について学校でどう習ったでしょうか?
 おそらくですが、以下の様に勉強されたかと思います。

https://www.y-history.net/appendix/wh1403-003.html 

 そんな三国干渉ですが、実はドイツが黒幕なのではないか?という説があります。今回のノートでは、三国干渉ドイツ黒幕説について解説したいと思います。

1.何故か干渉に参加しているドイツと日本政府が出した結論

 まずそもそもですが、当時の外務大臣である陸奥宗光は三国干渉を予測していました。より正確に表現するならば、日清戦争後に列強、特にロシアが干渉してくるかもしれないと考えていました。なので、三国干渉自体には驚きませんでした。「やっぱり来たか。」程度の反応でした。
 陸奥を始めとした日本政府を驚かせたのは、ドイツがいることです。ロシアの介入は予測済み、そしてロシアの同盟国のフランスがいるのもわかります。同盟の誼だろうとすぐ推察できました。しかし、なぜドイツがいるのでしょう?ドイツは露仏のどちらとも同盟関係になく、日独関係も悪くないのに、何故ドイツが介入してくるのでしょう?日清戦争が始まった際も、ドイツは日本寄りの中立姿勢を見せていました。少なくとも、日本に敵対的ではありませんでした。
 そんなドイツが、なぜ三国干渉に参加しているのか?
 陸奥外相は考えました。「まさか、駐独公使の青木周蔵が何かやらかして、ドイツ政府を怒らせたのではあるまいな。」と。
 これにより、陸奥が青木公使を詰問する電報を送ります。青木公使がこれに対して「オレのせいではない。」に反論すると、更に陸奥は怒ります。「言い訳するな。」と。見かねた駐英公使の加藤高明が、青木公使を擁護する電報を打っています。まるで子供の口喧嘩です。
 しかし、ここで思考停止しないのが明治日本です。先述の青木公使や駐伊公使の高平小五郎、駐ロ公使の西徳二郎達が集めた情報を分析します。
 そして、日本政府は以下の様に考えました。
 ①露仏同盟を恐れたドイツが、ロシアの目を東アジアに向けるべく干渉に参加した。
 ②ドイツが参加を申し出たから三国干渉は実現した。
③ドイツは実質的に三国干渉の主唱者である。

 この3点、「蹇蹇録」や「三国干渉要概」に記されています。なぜこの様な結論になったのか?詳しく述べたいと思います。

2.対日干渉に乗り気ではなかったロシア政府上層部

 実を言うと、干渉賛成派は、当初は多数派ではありませんでした。
 事実、1985年の4/12に、ロシア政府内でウィッテが対日干渉を大臣会議で提案した際、賛成したのは陸相のワンノフスキーだけです。参謀総長オブルーチェフはかなり冷静な態度をとっていますし、外相のロバノフに至っては、何も言わずに黙っていました。時既に遅しと諦めていたのでしょう。
 もっと言うなら、ロバノフは同年4/7に、ロシア皇帝・ニコライ2世に対して「日本に対して敵対的な行動をとるべきではない」という主旨の上奏をし、ニコライ2世もそれに賛成しています。
 ロシアは、ロバノフが上奏した次の日に列強に対日干渉を提案してはいるのですが、上記のやり取りを見ると、その時点では、対日干渉の実行にロシア政府は乗り気ではなかった事が伺えます。

3.ロシアの対日干渉に対する各国の反応と日本のインテリジェンス

 次に、ロシアが対日干渉を提案した時の各国の反応を見てみましょう。
 フランスは手遅れだと考えていました。イギリスはロシアの提案前から不干渉を表明していたので、当然拒否です。
 ここで、ドイツが干渉参加を表明します。理由は、露仏同盟による挟撃を恐れたからです。ロシアの興味を東アジアに向けたかったのです。これにより、ロシア政府は少数意見だった対日干渉の実行を決定します。フランスも、露仏同盟の友誼を重んじて干渉参加を表明。こういった経緯で、三国干渉が実現したのです。
 以上の事を、日本政府は公使からの電報から把握しました。
 高平公使からのイタリアの外相との会談の電報、西公使からの機密電報により、ドイツが対日干渉に参加した理由と、ドイツが参加表明したから対日干渉が実現した事を推察したのです。
 青木公使は当初からドイツ黒幕説を主張し、その主張を言い訳と考えていた陸奥も、最終的には「露独仏三国干渉要概」にて、以下のように記しています。

是レ露國ヲ主トシテ他二國ノ干涉シ來リタル歴史ノ梗概ニシテ如何ナル形ニテ干渉シ來ルヘシトハ我等カ全ク豫期セサリシニモアラス然ルニ此三國ヵ聯合シ特ニ獨逸カ殆ト主唱者ノ如キ地位ヲ占メ三國聯合ニ關係シタルコトニ就テハ多少明記スヘキノ必要アリト思ヘリ  

「露独仏三国干渉要概」

 明治日本のお偉方は、三国干渉におけるドイツの役割を見抜いていたのです。他にも、西洋史の大家である中山治一先生や、法学博士の鹿島守之助博士、石井菊次郎元外相も、ドイツ黒幕説を提唱されています。

4.ドイツの史料に見る三国干渉

 ここまで、日本の史料や、専門家の見解を見てきました。では、ドイツ側の史料を見るとどうでしょう?
 当時の在清ドイツ公使であった、マックス・フォン・ブラントは1895年の4/8に、次のような意見書をドイツ政府に送っています。

「今日に至るまでロシア政府は、日清紛争の問題において完全な控へ目の態度を守つて来てゐる。これは、疑ひもなく、フランス政府をも含めての他の諸政府の此の問題に對する態度がロシア政府に判然と解つてゐなかつたからといふ理由に悲づくものであらう。(然るに)ドイツ側から興へた刺戦は、ロシア政府をして他の諸政府の意向を打診せしめるに至り、その結果は今や、旅順日の領有といふことが日本の清國及びヨーロッパ列強に對する關係に及ぼさずにはおかない結果について日本政府の注意を向けしめようといふシアの提案となつて現はれてゐるのである」 

(G.P.IX,S.265,Nr.2238)

 「ドイツ側から与えた刺激」により、「日清戦争には控えめの態度だったロシア」が、「三国干渉を他国に提案」するようになった。というのです。
 事実として、ドイツ政府はこの意見書の数週間前に、ロシア政府に次のような申し入れを行っています。

東アジアにおけるドイツの利害は、ロシアのそれと衝突するものではない。それ故ドイツ政府は、ロシアと意見の交換を行ひ且つ場合によつては共同にて行動すべき用意がある

 (G.P.IX,S.258ー259,Nr.2228) 

 ドイツ政府の申し入れと、ブラント公使の意見書から、
・ドイツがロシアの目を東アジアに向けるための布石を打っていた事。
・それが功を奏し、ロシア政府が対日干渉を提案してきたとドイツ政府が考えている事。
 以上の2点が考えられます。

5.結論

 日独露の史料から鑑みるに、三国干渉の黒幕はドイツであると考えて良いでしょう。日本政府はそう考えていましたし、何より、当のドイツが、自分の言動が対日干渉を誘発したと考えているのです。

6.参考文献

『三国干渉』
『日本外交の展望』(著者:鹿島守之助)
『外交随想 石井菊次郎遺稿』(著者:鹿島平和研究所)
『露独仏三国干渉要概』
『蹇蹇録』
『機密日清戦争 (明治百年史叢書)』(著者:伊藤博文 編)
『三国干渉と英独関係』(著者:中山治一)


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