毒親育ちが、まともな親育ちの人に驚くこと
19歳か20歳か若い頃、
一人暮らしの彼の家で、私はお茶をこぼした。
テーブルに転がるグラスと
残っていた少しばかりのお茶。
私はとっさに彼を見た。
『かからなかった?』そんな程度のことを
彼は言ったと思う。
たんたんとテーブルを拭く彼を呆然と見た。
私は聞いてみた。
お茶やお味噌汁や飲み物を、
テーブルにこぼして
怒られたり叩かれたりしたことはないのかと。
一度もないと彼は言った。
とっさに怒られると身構えた自分と
何てことはないと赦してくれた彼。
その彼は私の友人達から
神様と呼ばれる程の優しい人で
当時占い師には
前世でのあなたのお母様です、と言われた。
あの頃、全てを包み込み、
私のわがままも、突然くる大泣きも、
四六時中一緒がいいという束縛も、
いつも優しく受け入れてくれた彼がいなければ、
私はもっと酷いことになっていたかもしれない。
彼は、私を『育て直し』してくれた。
赤ちゃん返りしたような私を
同い年の男の彼が、ただただ受け止めてくれた。
理由なく大泣きする私をひたすらあやし、
いつもそばにいてくれた。
別れた時、彼は
『あなたの幸せは、いつも一緒に
いてあげることだと思ってた』と言った。
別れた理由は、
私がこの人なしでは生きていけないと
思ったからだった。
カウンセリング前は不幸癖があった。
彼は私の母をよく知っていた。
母は彼を気に入っていて、
色んなところに連れ出していた。
別れた後、占い師があなたを
前世の母親だと言ったと話した時には、
そうだよきっと、
お母さんの代わりに優しく出来るようにしたよと
彼は言った。
彼の母親は私の母とも今だに交流があるし、
私にも誕生日等、時々連絡をくれる。
しっかりと距離をとり、彼を心配し、
優しくて面白くて、息子に余計なことはしない、
素敵な母親だ。
私と彼には交流はないが、彼の母親から聞くに
彼は娘2人の最高のパパをやっている。
そんな事を思い出したのは
主人が先日お茶をこぼしたからだった。
主人もそんなことで怒られたことはないと言う。
数年前になくなった義母は
食べ方等には厳しく指導したらしいが
主人のすることをよく応援してくれたし、
優しかったという。
精神的に追い詰められるようなことがないのだ。
義姉や主人が、義母の葬式や法事で話すことも
いつも心温まる素敵な話ばかりだ。
我が家の葬式や法事といえば
映画を上回るほどの大喧嘩で大変なものだった。
いつでもどこでも誰かが喧嘩して
兄と私はいつも冷やかに見ては笑い話にしていた。
兄の葬式で、まさか私がその張本人となって
母と大喧嘩するとは思わなかったが。
兄はお空から、ほとほと呆れて見ていたに違いない。
義姉も主人も
優しくて面白くて距離感の良い人たちだ。
子どもをこよなく愛し、あたたかい。
精神的に追い詰められることがないのだ。
私は毒親に育てられ、
毎日精神的に追い詰められた。
肉体的にも精神的にもやられていて
心温まるエピソードがない。
それでも、カウンセリングを受けサバイバーとして
他者との境界線をしっかりひき、
他力本願や他罰的な幼稚な思考を捨て、
わざわざ他人を怒らせて自分への反応を見たり、
毒親の思い通りに不幸なままでいたり、
毒親に時々ほだされて連絡することをせず、
我が子を愛情深く育てている。
時々こうやってまともな親に育てられた人との違いに
羨ましくなったり驚いたり感動したりする。
夫が毒親育ちでなくて本当に良かったと思う。
母親を語るときの主人がとても好きだ。
私にはない無垢な愛情を家族に向けてくれる。
愛することに、
意気込むとか、気を付けるとか、
そんなようなことが全くない。
過去も育ちも変えられないが
今の自分と未来の自分は、
自分で変えることができる。
ふてくされて自堕落にすねて生きるのは幼稚だ。
もう私は自分の手で自分の機嫌をとり
機嫌の悪い人からはさっさと逃げ
自分のために美味しいご飯を食べたり
自分のために楽しく心地よいことを選択できる。
それこそが親として我が子に見せたい背中であり
その姿勢こそが我が子に
生きる勇気を与えるだろうと思う。
そんなことを意気込んでいる私を尻目に
先ほどまでお絵かきをしていた我が子は
次は警察官ごっこをしようと言う。
そうかと思えば苺を頬張り、
『ママ、血だよ!』と口の回りを赤くして
にたっと笑う。
次から次へと楽しいことを見つけて、
人を巻き込んだり自分一人でやったり、
親の状況はお構いなしだ。
我が子を見て、自分を鼓舞する。
我が子だって自分の幸せは何かを分かっている。
私にもそれがきっと分かるはずだ。