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ボクシング世界戦~リターンマッチ⑴

 今日の選手は、輪島功一元世界スーパーウェルター級チャンピオンです。
(当時は、ジュニアミドル級と呼ばれ、統括団体もWBAとWBCの2団体
しか無い時代です。)
小学高学年時に、テレビで観た試合は劇的でした。「炎の男」の異名を持ち、同級王座を3度獲得。
 1971年10月31日、WBA・WBCスーパーウェルター級王者カルメロ・ボッシに挑戦。変則スタイルの「カエル跳び」パンチを繰り出すなどして、15
回判定で王座獲得。それから、6度の王座防衛に成功する。
 1974年6月4日、7度目の防衛戦でオスカー・ショットガン・アルバラード
と対戦。最終15回にKO負けを喫し、相当なダメージから病院送りとなる。
一時は、医師から引退を進められるも現役続行。退院後、タイトル奪還の為
トレーニングを再開。
 1975年1月21日、王座陥落から7か月後にアルバラードと再戦。15回判定
で、見事に王座奪還を果たす。
 1975年6月7日、日本人キラーでWBA1位韓国の柳済斗と対戦。7回KO負けを喫し、同級王座陥落。この試合でも、かなりのダメージを負う。
しかし、輪島は諦めない。1976年2月17日に柳と再戦し、15回KOで2度目の王座返り咲きを果たす。この時、輪島はわざとマスクを付け、コンディションが悪そう姿を、トイレで柳済斗陣営関係者に見せている。とにかく何としても勝とうと相手を油断させる事まで考えていた。
 1976年5月18日、ホセ・デュランに14回KO負けを喫し王座陥落。それでも諦めない輪島は、1977年6月7日WBA王者エディー・ガソに挑戦。11回KO負けを喫し、3度目の王座返り咲きは叶わなかった。この試合を最後に
現役を引退することに。(この時、輪島は34歳だった。)
 とにかく、「炎の男」の異名の如く凄い選手だった。このような選手は、
現在でも現れていない。
 当時としては遅い25歳でプロデビューし、根性と努力で階段を昇りつめ、
28歳で最初の世界戦をものにしている。このクラスには、当時、輪島より有望と言われてた「カシアス内藤」や「竜反町」も居たが、精神面の脆さから
柳済斗に敗れている。
 なお、カシアス内藤については、沢木耕太郎著「一瞬の夏」にて、輪島の柳との再戦については、同じく沢木氏の「敗れざる者たち」で、知る事が出来る。

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