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「日本遺産フェス in 極上の会津」開催記念    福島県最大の経済都市・郡山のその昔は・・ 荒れ地だった!?

みなさんこんにちは。
昨日に続き、来たる10月26日(土)27日(火)に福島県で開催の「日本遺産フェスティバル in 極上の会津」にちなんで郡山市と猪苗代町にまたがる日本遺産「未来を拓いた「一本の水路」-大久保利通“最期の夢”と開拓者の軌跡 郡山・猪苗代-」に触れていきましょう。

37文字。例によってタイトルの文字数は多いですが「一本の水路」が重要であることは一目でわかりますね。

昨日の例に倣って、公式ホームページから、魅力的なコピーを探してみたところ、こんなのがありました

公式ホームページ「日本遺産ストーリー」ページに掲載写真を転載

「あこがれの湖 安積原野へ」とあります。
正式タイトルの末尾にあるとおり、舞台は郡山と猪苗代ですから、
「あこがれの湖」は猪苗代湖のこと、
安積原野は郡山のある平野部のことだとわかります。
さらにタイトルには「大久保利通」ともありますから
郡山と猪苗代湖の明治時代初期の物語です。

そこで、どういうことか、ずばり図を作りました。

その昔の郡山村の周辺は実は不毛の荒れ地だったのです。たびたび日照りに悩まされる当地には干魃に備えたため池が多くありましたが、富国強兵の世にあって、この地を発展させるには豊かな耕作地を開拓するための大量の水が必要だったんです。
なぜ「あこがれの湖」かというと、上の図をみれば一目瞭然、大きな猪苗代湖の湖水は西の会津若松の方にだけ流れ出ており、彼の地は豊かな穀倉地帯をなしていたのです。東の郡山から見たら超羨望の的だったのです。

猪苗代湖の東側は奥羽山脈が遮るため東の郡山に流れることはありません。
筆者等が製作した番組では、その頃の郡山の人々の信条を、こんな1カットにこめ、ナレーションで語りました。(語りは草刈正雄さん)

さて、この日本遺産、この過去の地勢的事情を踏まえれば、格段に理解しやすくなります。

先の公式ページ中のStoryページには下記のように見出しをつけて歴史解説がされていますのでぜひご一読を。

安積原野へは流れない、あこがれの湖

大久保利通、安積の地に“夢”を見る

新たなる挑戦、そびえる山脈と時代を切り拓く

潤いと発展をもたらした猪苗代湖、“夢”の礎となった風土

開拓者たちの想い、未来に花咲く

結論を言うと、会津若松方面へ流れる水量への影響を厳重に管理することを前提に、明治15年までに安積原野に水をもたらす水路が網目状につくられ、不毛の荒れ地は、福島を代表する穀倉地帯になりました。
見出しにある「未来に花咲いた」恒例に、安積平野の特産米、「あさか舞」と「郡山ブランド野菜」があります

お米も野菜も、猪苗代湖からの恵みの水があったればこそ。
郡山ブランド野菜を体験した取材担当ディレクターは、「味が全然違いましたぁ」と大絶賛でした。
郡山にお越しの際は、ぜひ!

最後にくどいようですが、日本遺産フェスティバルの詳細はこちらから

この会期に合わせて、我が社製作の紀行番組シリーズ『日本遺産』を2日間期間限定公開します(10月26日(土)0時〜27日(日)24時)
詳細は当ブログのこのページで

もちろん、今回の日本遺産「一本の水路編」もあります

では、また


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