「父のはなし5」
父の話を書きます。
父のすごかったエピソードを書きたいなと思います。
私の父は関西人で、神戸に住んでいました。
社会人になってからは東京で暮らしていて、そこで生計を営んでいたんだけれど、ある時みなさんもご存知の阪神・淡路大震災が起きた。
私はまだ学生だったんだけども、朝起きてきたら家が慌ただしい。
なにが起きたのかと思ったら、父がわさわさと何か準備をしている。
テレビはつきっぱなしで母も情報をそれで得ていた。
しばらくすると様子がわかり、父の実家の方でとんでもない災害が起きたのだということがわかった。
父は、その場で大量の水(ポリタンクに詰めていた)、また布団、あとは食料を大量に、そして親戚と一緒にあっという間に出て行ってしまった。
そして携帯もない時代、出て行ってから連絡がない。
何日もなかった。
母は心配していたが、まあこの人もまた肝が据わった人。大丈夫、お父さんは大丈夫と、気丈に暮らしていた。
そうしていたら、しばらくして連絡があったらしい、無事だということ、しかし、公衆電話などは迷惑をかけるから無事だけ伝えると言ってすぐに切ったらしい。
またその後数日して、何日くらいだったか忘れてしまったが、結構な日数があったと思う。
痩せていた、また真っ黒になっていた。汚れていた。
とにかく痩せていたのにびっくりした。
父はなにも言わずにまず帰ってきてお風呂に入っていた記憶がある。
その後色々と話してくれたが
・実家が倒壊していたこと
・それが元で親戚が亡くなってしまったこと
・とにかく一面倒壊の状態
・近所の体育館に避難している人がいっぱいいたが、そこで手伝いをしていたとのこと
・車は途中で降りて、そこからは歩いて向かったとのこと
(あれだけの荷物をもって???、驚いた。。。)
・遺体が結構あって、大変だったとのこと
そんな話であった。
あの時、親戚の人を連れて行ったけども、私は連れて行ってもらえなかった、戦力外だったのかなんだったのかはわからなかったけども、とにかく穏やかな人だったから、あの時の迫力が忘れられない。
よく火事場のくそ力とかいうけども、そういうやつだったのだと思う。
しかし、とにかく悩むことなくすぐに支援物資をもって現場へ駆けつけた父の行動に身震いしたのは覚えている。果たして自分は同じことができただろうか。
もう1つのエピソードを書きます。
私が銀行員になって、数年たったころ。
その頃もう正直パワハラと長時間労働でおかしくなっていて、フラフラだけどなんとかやっているみたいな感じだった。
赴任先は転勤していて、実家からはだいぶ離れたところ、独身寮でせいかtyしていた。
そこで、ある日、とにかく毎日下痢をしていて、しかし、ある建設会社に集金に行かないといけない状況だった。
お客様の入り口に入った途端にお腹が痛い。。
もうどうしようもない状態、しかし、とにかく早く終えてしまいたいという気持ちが先立って、慣れた先だったということもあり、小切手を受け取って、受書も書かずに出てきてしまった。
そして、すぐにトイレに行き、一息ついたところで処理をしようと思って小切手を探したところ見つからない。。。
「えっ」
本当に言葉が出てしまった、あの時の体の冷え具合を忘れられない。
さーっと血の気が引くのがわかった。
少し震えていたかもしれない。
なぜかというと小切手の金額は1千万から1500万円だったのを記憶していたから、そして、横線を引かなかったから。。。(横線とは小切手に銀行が横線を引くと、他の人が簡単には現金化できなくなる仕組みのこと)とにかく急いでいてパニックになっていて、横線もひかず、受書も書かずに小切手を紛失してしまった。これがどれだけまずいことかは金融機関あるいは経理の方はわかると思う。。。
要は、全責任は私になってしまったということだ。
なくしたと言っても、横領だと言われても法的になにも証明できない。
大変なことになってしまった。。私の人生の失敗の中でも結構上位に入る失敗だったと思う。
そこで、とにかく全く考えが働かず、平日の昼間だったが父に電話した。
会社に電話したのか。全く覚えていないが、公衆電話から父に電話をかけたのを覚えている。
父はこのように対応した。
「はい◉◉です」
「・・・・」
「どうした?なにがあった?」
「・・・・・」
「何かあったんやな、わかった。今車か、どこや?」
「公衆電話にいる」
「わかった、車は止めているな」
「はい」
「よし、落ち着いてなにがあったか話してくれ」
「はい、小切手をなくしました」
「うん、それで部店には連絡したのか」
「していません」
「わかった、まずは連絡を入れろ、とにかく事実を伝えなさい」
「他に何か問題はあるか」
「横線を引いておらず、受書も書いていない」
「うん、なるほど(この段階でリスクは理解していた)わかった」
このやりとりがあったあと、私は忘れられない一言を聞いた
「小切手の金額はいくらなんや」
「・・・・1千万から1500万円。」
「よしわかった。」
「まず部店に帰りなさい。車は気をつけて運転をするように、とにかく事故をしないように、安全にゆっくりと帰りなさい。」
「それからお金のことは一切気にするな」
「えっ」
「気にせんでええ、とにかくそこは忘れていい。しかし、部店には事実を伝えてきちんと事後処理をしなさい。とにかく冷静に落ち着いてやるべきことをしなさい。そのあと、寮に帰ったらもう一度連絡をくれ、わかったか」
「はい、わかりました」
これが一連のやりとりでした。
この時の父の言葉の力強さを忘れられない。
全く躊躇がなかった、悩んでもいなかった。
うちはお金には困っていなかったけども、1000万円がポンと出せる家でもない、何しろこの時はまだ父はそれほどの役職でもなかったし、別に資産も全くなかった。でも一切の躊躇がなかった。
今でも思い出すと涙が出る。自分はこんなことができるんだろうか。本当にあの一言でどれだけ救われたかわからない。
その後、私は部店に電話で事実を伝えて、戻った。
部店長室に入り、部店長と副支店長が対応してくれた。
重苦しい空気と時間が流れたが、ここでも私は救われることになる。
私と部店長・副支店長と色々と対応をしていた時に、2時間ほど過ぎたときにフロアからすごい大きな声で
「あった!!!!」
という声が上がった!
なにが起きたんだと思ったら、私の外勤用の黒鞄を先輩が探してくれていた。丁寧に、私の蛇腹の書類ケースを1つ1つ見てくれていて、そこに挟まっていた小切手を見つけてくれた。
その瞬間、部店ではまず「でかした●◉(先輩の名前)!!」という声が上がり、私は腰が抜けてしまった。緊張が抜けた。
これが一連の流れだけども、あとで聞いたら、なんと支店長は本部への報告をギリギリまで止めてくれていた。なので小切手がなくなった報告はどこにも行っていない。
副支店長に聞いたら、すぐに報告するのは上席のリスクをなくす行為なんだけども、副支店長がそれをしようとしたら、支店長が◉◉(私の名前)のキャリアに傷がついてしまう、ギリギリまで待ってみよう、私の責任でやってくださいと言われたそうだ。。。
全く頭が上がらないし、なんという心底の男粋を受けていた。
感謝以外の言葉が見当たらない。
あの時はありがとうございました。
これがその時の顛末の話です。
しかし、とにかく父親の姿勢と対応に今でも感謝しているし、ああいう人になりたいと思った出来事でした。
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