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阪神・淡路大震災三十年の節目に

阪神・淡路大震災から三十年が経ちました
東日本大震災とともに長く記憶に刻み続け、伝え続けて、迫りくる首都直下型地震や南海トラフ地震に備えなければなりません
それが、生かされて続けている私たちの生きている証だからです

震災当時は姫路市の自宅から新大阪駅近くの府立高校に勤務していました

朝起きてルーティンの出勤準備をしているときに地震が起きました。姫路市は震度四。揺れは激しく続き、食器が棚から雪崩れ落ちました
パートナー、五歳の息子、二歳の娘、母、義理の父母の安否を確認し、被害は食器の破損のみでしたので、そのままJR姫路駅に向かいました。私は元々、大阪市の出身なのですが、故あって姫路市内に家を建て、私・パートナー双方の親とで三世帯同居をしていました

姫路駅では、地震の影響で電車が不通。いつ復旧するか分からないとアナウンスがありました

神戸であのような被害が生起しているとは思いもせず
復旧見通しのアナウンスが流れるまでと、ホームで二十分ほど待っていました

すると復旧の目処が立たないと言うアナウンスがあり、諦めて自宅に帰りました

そして情報を得ようと観たNHKの報道で、阪神高速が崩落し、長田が火の海と化している映像を観ました

当時の「朝日新聞」より
当時の「朝日新聞」より
当時の「朝日新聞」より
当時の「朝日新聞」より
当時の「朝日新聞」より
当時の「朝日新聞」より


直ぐに職場に電話をかけ、大阪市が震度四で、学校近隣でも倒壊している地域があることを知りました
直ぐに担任をしている生徒の安否情報を確認し、幸いにもご家族も含め大きな怪我も、家屋の倒壊もなかったことを知り安堵しました

学校は校舎にいくつかの小さな亀裂が入っており安全確認のため震災翌日は休校だったのですが、
「学校に行かねば」という思いで、自家用車で道路の亀裂や倒木、崩落のための通行止めを回避しながら約六時間かけて出勤しました(近くのビジネスホテルに宿泊)

校舎、学校敷地の安全確認も終わり、震災翌々日からの学校再開となり、生徒たちの元気な姿をみて喜びを分かち合いました

が。母校 神戸大学の恩師の訃報を知りました


JR神戸線が長く不通でしたので、北千里の大阪府の独身寮に寝泊まることになり、
週末に、新大阪⇄福知山⇄和田山⇄姫路のルートで、ここでも約六時間かけて自宅に戻り、職場まで通勤をしていました

福知山⇄和田山の山陰線、和田山⇄姫路間の播但線は極寒との闘いでもありました

当時の「朝日新聞」より
1月24日.25日「朝日新聞」より
交通ライフラインの状況

やがて特急の利用や直通快速の運行も始まり通勤のストレスも和らいでいきます
でも、長時間通勤が続きます

週末、一週間振りに帰宅すると、娘が私の膝のうえに座りに来て、『ちゃーちゃん、ジチン怖いなぁ。ちゃーちゃん、ジチン怖いなぁ。』と繰り返し話しかけてきたのを今でも鮮明に覚えています
その娘も間もなく三歳と七ヶ月の娘の母となりました

JR神戸線、阪急神戸線、阪神電車が相次いで部分復旧し、神戸の街を歩き乍ら電車を乗り継いで通勤できるようになって、漸く自宅から通勤できるようになりました

JR東海道線で姫路から灘まで、灘から徒歩で阪急王子公園駅まで、そこから阪急線で御影まで、そこから徒歩でJR住吉まで、JR線で新大阪までの道のりです

当時の「朝日新聞」より
阪神大態災 (兵庫県南部地震)のため不通になっていた阪神電鉄の三宮ー高速神戸間が2月1日、始発から開通し、三宮に震災後初めて電車が乗り入れた
すでに神戸駅まで乗り入れているJR山陽線との乗り継ぎで、三宮は姫路方面とようやく鉄道で繋がった
当時の「朝日新聞」より
2月8日 JR東海道線が「住吉」まで乗り入れた
当時の「朝日新聞」より
2月20日、JR東海道線の灘ー神戸間と、阪神本線の岩屋ー三宮間が運転を再開
JR東海道線の住吉ー灘間、阪神本線の御影ー岩屋間が依然として不通だが、二線の不通区間をほぼ埋めるように阪急電鉄が御影ー王子公園を運転していることから
震災以来三十四日ぶりに、代替バスを使わずに電車だけで、大阪ー三ノ宮間、梅田ー三宮間が行き来できるようになった
当時の「朝日新聞」より
前掲記事の図解ルート
当時の「朝日新聞」より
4月1日、JR東海道線で分断されていた住吉ー灘間が開通し、阪急・阪神線に先立ち、74日振りにJR東海道線の阪神間が全面開通した
当時の「朝日新聞」より

その時、初めて大学時代の思い出が至る所に記憶されている被災した神戸の街を見ました

驚愕で震え乍ら見たあのときの記憶は忘れることはありません

私は校長在職中、卒業式の式辞で必ず次のことにふれました

『皆さんには、この一年間「成熟した集団として仲間とともに育つ」ことの意味について問いかけ続けてきました。
阪神・淡路大震災・東日本大震災・熊本地震・西日本豪雨災害などにおける地域住民の振舞いやボランティア活動、復興への営みのなかで、世界から称賛されているのが、「集団のなかで助け合い協働し、責任ある個人として、ともに育っていく」という日本の「強み」です。』と

震災で亡くなられた方々のご冥福を祈り、哀悼の誠を捧げます

一月十七日、三月十一日は、いつまでも記憶に刻まれ続けるとともに、その意味を問い続けなければなりません

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