ニーウアムステルダム あるいは忘却をめぐる私見

時刻は18:24を指していた(指していた、というのは違っていて、表示していたのだが)。いま、東海岸時間はまだ朝を迎えていないだろう。だからと言って何というわけでもないが。

此れと言ってすることはなかった。いや、していた。DJコントローラ、MIDIキーボード、あとなんだっけ。アニメのショッパーとポスターと、そのへん諸々だったか。つまり、いつ買ったかも思い出せない代物ばかりを携えて、旧居から帰ってきたのである。2079円で買ったカートに積み上げて。
京阪の準急列車は、ちょうど複々線区間で急行線を通過して、萱島から先は各駅に止まる。東上線でいう通勤急行(2016年ダイヤ改正時点で廃止)みたいに、志木やらまでで止まる各駅停車を引き継ぐ意味合いを持つ。週に二回くらいの頻度で累計10回くらい乗っていると、本線の運行のニュアンスが自ずと理解できてしまう。昔から時刻表を見ては机の上でダイヤグラムに書き起こしたり、あるいは架空のダイヤグラムを書いて時刻表に起こしたりしていたので、列車運用の類は意識せずともどういうパターンで回っているかに関心が向かう。しかし、複線区間での優等種別との接続がなかなか覚えられない。パターンダイヤでは枚方市、丹波橋、三条が基本だが、樟葉接続のものもある。樟葉接続を伴う筋がどこからきているのかをすぐに思い出すことができない。つまり、理解できてしまう、と言ってもせいぜいがパターンダイヤ止まりだ。正直なところ、パターンダイヤの時間帯にしか京都に通うことがないから、ラッシュ時のダイヤも覚えようがないのだが。
準急列車は空いている。空いているのだが、如何せん萱島以東の各停区間が長いので、乗る気分は起こらないでいた。今日みたいな大荷物の日こそ準急に乗ればよかったのだ。だがそうはならなかったし、まずそうしなかった。プレミアム・カーにでも座っていれば本を読んでいられると思ったが、客席に喧しく響く(私にとってはそういう印象だった)私語がステアされてとても文字情報を追っていられる気分にはなれなかった。私は歴史の本を読んでいた。それと同時に、やはり性懲りも無く、歴史について考えていた……

さる講演会で〈忘却〉という言葉が出たことを、往路で出町柳に着いた時に不意に思い出した。人の話をメモしながら聴く無作法を続けて一年近くが経つが、こういう時に具体的な発言内容を呼び起こせるから、やった者勝ちというものだろう。思い出した時には「忘却した者勝ち」ということだった気もしていたが、全く逆だった。つまり、登壇者の一人の発言なのだが——

規模が小さいから。四捨五入やらプライオリティやらが間違っている気がする。忘却できなかったらそりゃ人間は発狂する。ゲルニカの例をあげたのは、あいちトリエンナーレ。不当だとか河村が言ったのにはめちゃくちゃキレた。韓国の人はよく言うのが、「覚えてくれ」、ということ。なんで日本人が知らんのかと思うわけだ。〔こういう事例は〕いくらでもある。

聞き手の「我々はなぜ忘却するのか」という問いへの応答である。やはり私の方で〈忘却〉していたようだった。しかし、文字で読んでみると、別のところについて喉に骨の引っかかる思いを禁じ得ない。表現の自由の脈絡でゲルニカの例を挙げたのだが、私たちの間で権力を獲得できなかった言説が忘却されていく、ということなのだろう。しかし、それは忘却されるのか? 忘却されることの以前に、我々の間で「把捉」されることがあるのだろうか? もちろんトレンドで呼び起こされる事物が忘却されることはあるかもしれない。しかし、その事物自体がトレンドという風態を持つ限りにおいて、忘却の末に現れたものなのかは疑い深い。想起される事物に先立つ原事物は、そもそも忘却の経験を獲得できないのではないか?
明らかなことだが、歴史的に、というのは選択的忘却のもとに、という意味で使われうる。あれではなくこれを記録に残すという点で、つまり歴史家の間でそれ以外の事柄を捨象する限りにおいて、探求としての歴史は忘却の機能を持つ。つまり、どこに力 Kraft を置くかという問題に他ならない。ところが、選択的忘却は能動的なものであるが、概して忘却は受動的なものである。また、選択的忘却は原事物という一つの真理を創発する。したがって、次のように言うことができるだろう。原事物は忘却されるのではなく、最初から存在しなかった、さもなければ発見され得なかった、そして原事物は歴史家の選択的忘却によって発見されうる。
しかし、なぜ発見され得なかったのか? それは歴史家の力の使用による。歴史家は自らの力をあの原事物ではなくその原事物に向けることによって、後者を事物として措定し前者を最初からなきものとすることができる。しかしこれは歴史家の恣意であって、精神の運動ではない。精神の運動にあっては、いかなる原事物も可能的である。歴史家が隠蔽し、排除することによってのみ、原事物は消去され、それが惹起されることによって初めて忘却の可能態を持つのである。原事物はラカンのいわゆる「享楽」であり、その消去は原抑圧ともいえる。われわれは自らのもつ論理について捉えるときに〈現実界〉という無菌室に立ち入ることはできない。あくまでもわれわれは対象aとの馴れ親しみからの自己疎外を通してのみ、われわれの享楽を概念把握しうる。
歴史は精神という現実態をもって自らの運動をもつ。歴史について語るとき、私たちは自然科学法則に則って研究する態度(物理主義)や人間の心理学的な作用を分析する態度(心理主義)に陥りがちであるが、いずれもその探求の数学的な限界やそれに付随する個別科学的な限界に無自覚である点で、避けるべき誘惑である。その誘惑に断ち切るために、私たちは、直接的に、歴史が探求の作業でありそれに他ならないことを確認する必要がある。

英国が13植民地を支配したとき、ニーウアムステルダムは抑圧され、ニューヨークの履歴がそこから始まる。ニーウアムステルダムを思い出すのは、忘却からの復活などではなく、異質な出来事である。それはあたかも夢の中から現実界が振りかかってきたかのような不気味さを持つ。しかし、それは確かに機能していたのだ。私たちはそれを(政治的、精神分析的の両方の意味で)抑圧していたのである……。精神を惹起する事柄は、概して忘却からの想起としては現象しえない。そうではなく、一つの出来事、異質な queer 出来事として顕現するのである。

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