私の仮説だけど

運動は徹頭徹尾辺境を規定することを通して主流を転覆することだったはずだ。しかし、この辺境の徹底という路線の一方で、あまりにもマジョリティのど真ん中が反動的すぎるから部分的にでも相対的な辺境の階級闘争に合流する段取りを踏まないといけない、という路線もなんとなくは共有している。両者を自分のなかで一致させることが今の課題になる。つまり、周辺と中心、そしてその統一である。これをヘーゲルから読み解く。もちろん現在の時代状況においてヘーゲルをどう読むかということを実践的に語る場合には、ヘーゲルが生きた時代状況においてヘーゲルの理論を「再演」することが前提だった。ゲルマン民族の再興がベルリンで叫ばれたこの時期に立って私たちはヘーゲルを読まなければならない。彼の著述活動の運動を再構築する作業が必要なのだ。ヘーゲルは19世紀のプロイセンドイツに生きた人間であって、21世紀のアメリカやら韓国やら日本やらに生きているわけではない。死んだ人間なのをいいことにテキストの断片を引き回してデタラメなことを言うことは、あまりに暴力的であるし、学位としても認められないだろう。そうではなく、ヘーゲルがこの状況ではなくあの状況にいたことを正確に捉えるための一次文献研究や彼の理論の成立史を、当然のことながら、追跡することが必要になる。その歴史的妥当性を通してヘーゲル(そしてマルクス)を再規定すること。しかし、ここでヘーゲルを「政治的に正しく」読むことと「論理的に正しく」読むこととの擬似問題が発生する。政治的・論理的な正しさに果たして因果関係はないとされているが、にも関わらず私たちの間では「論理的に正しいのだから……(vice versa)」と言われる。
実践的には、私の関心は次の欲望のもとにある。新左翼が共有していた暴力革命もけっきょくは日共が二段階革命路線だったものへの逆張りの性質が強かったはずで、そうではなくて新左翼の人たちが生きていた情況から経験的に生み出されえた実践の力を全体の理論として発見して自分の中で言語化したい、というものだ。そんなものはなくて、ただ歴史の中でヘゲモニーを握ったものが暴力革命の肯定的な原理として規定されるにすぎない、と言えるのかもしれない。しかし、私はこの de facto な原理に甘んずることに限界を感じずにはいられない。あくまでも de jure な原理があるに違いないし、その法のただなかに新左翼、延いてはノンセクトが渇望されるのではないか。ノンセクトが共有する「原則的であること」、それはあくまでも個別的なものに即した言明にすぎないのかもしれないが、その中には論理的な普遍性が発見できるのではないか。運動理論は運動の歴史的発見、私が昨日作った言葉を使えば「選択的忘却」の一契機でしかない。運動は現場で実践を通して形成されかち取られるものであり、理論から運動が形成されるのではない。しかし、運動が一つの結節点に、一つの全体を見いだせる契機に到達した時、私たちは反省的に運動を一つの言語で読むことができる(もちろん資料が慎重な手続きで残されていればの話ではあるが)。その時に私たちはつねに、同じ理念を発見し、そしてそれがどこで限界を迎えたかを発見する可能性を持っている。もし限界があるのだとしたら、その限界がいかにして乗り越えられうるのかを確認する余地が依然として残っている。そこに私たちは理論を発見する。しかし、私たちは理論を発見するための「ロゴス」を持っているだろうか?
「中心と周辺」という二項対立は誤解を招く。周辺でもないものが周辺を名乗ったり、逆に周辺にいるはずのものが中心を擬態したりする。そして中心から周辺を読み解くという実践は、その読み手が中心であるという事実を等閑にする。それを通して私たちは一つの共同体を獲得できるかというと、私にはそうは思えない。ヘーゲルの論理学に下支えされる客観的理性の諸科学、とりわけ法哲学と呼ばれる領域で、私たちはこの限界を克服できるのではないか。ヘーゲルを読むことが理論的にそれを可能ならしめながらも結局私たちは実践的に看過し続けてきたのではないだろうか? 私たちはここで批判理論やカルチュラルスタディーズへの批判に向かうが、ここでは当然「大学」という契機の批判も生じうる。大学はヘーゲルの中でいかに捉えられいたか? その概念把握はいかにして歴史的に形成されてきたものか? そして大事なことだが、彼の大学論をいかにして彼の体系における根本問題として位置付けることができるだろうか? 諸科学と社会という、科学哲学や épistémologieと呼ばれる分野が成立する以前のヘーゲルの論理学を通して捉えることを目指す。

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