戦争と戦争行為

「号外が出たんだよ」
アイスカフェラテを飲んでいるときにマスターにそう言われた。堺筋線の駅にあるカフェでのことだった。地下商店街の一角、18時閉店直前の狭いカウンターでは、低画質のVTR画像が放映されるのを背後にナレーターの声が無機質に鳴っていたが、それは表の通勤客の通り過ぎていく声や暖房の音に掻き消されていった。ウクライナ政府の関係者は戦争が始まったと日本語で盛んに発信している。戦争が始まったらしい。「僕が高校生だった時は、当時のソビエトがミサイルを大量につぎ込んできてね。」そう彼はシワの増えた顔で苦笑いを浮かばせる。彼くらいの世代になるとやはりキューバ危機と重なるようだ。この店で買ったFORTEの2本目を吸いながらわたしはそれに耳を傾ける。当時のアメリカは強かったと述懐する。それに比べると、少し頼りないとさえ言いたそうであった。それにしてもロシア首脳は手ごわいね、と彼が言うので冗談めかしに、ロシア皇帝ウラジミールと言われるくらいですからね、と答えた。心なしか、少し自分の奥歯にジャリっとする感覚を覚えた。
北浜で乗り継いだ京阪電車は混み合っていた。天満橋を出るといつも通り中之島方面の上下線と立体交差をする。そこからは中央区のビル群を断片的に眺めることができる。もし戦争が起きたらどうなることだろう、と夢想することは、恐怖心を煽られるばかりだったし、現実的でもない。平和ボケと言われようと、そこは変わりないと思う。何においても同じことかもしれないが、最初から結果は決まっており、本番などというものはそれを確認する作業、もっと言えば——最終的に為政者が判断し、歴史家が研究する段階に至ってしまえばの話だが——示威行動でしかない。戦争にせよ、裁判にせよ、会議にせよ、それらの結果は現場だけで成立している現象で決定されるものではない。そうではなく、現場を成立させる諸条件となる土台の中で初めて現実化する。アルチュセールなどはそれを古典的テーゼと言ってマルクスレーニン主義の最大の主張であるとかどこかで言っているが、別に言葉の違いを除けばマルクス主義に特殊の主張でもないだろう。例えば、1984のゴールドシュタインをして戦争していれば世界は安定するという趣旨のことを言わしめたのはオーウェルだったが、彼の白眉は下部構造の衝突という大状況をウィンストンという個人の主観から捉え返しているところにある。彼の社会意識の描写の卓越は、最初期の旅行記『パリ・ロンドン放浪記』にも見られる。
さて、わたしたちが場当たり的に何かしらの綺麗事やら逆にペシミズムやらを唱えたところで、事態が好転することも後退することもない。それがあるとするなら、わたしたち自身に前提とされている権力の後ろ盾がある時だろう。現在のネット社会だと見えづらくなっていることではあるが、現在のあらゆる芸術は、ほとんどは大衆化の体裁をなした収奪の結果だった。ここでアドルノのジャズ批判をよびおこす必要もないが、作品の評価は篤志家のキュレーションという仕方ではなく、大資本のファンドの下支えによる非特定(特定されるにすぎないもの)の欲動に基づくようになった。作品は商品となり、交換過程に組み込まれ、欲動の神話が形成される。わたしは作品としての作品があった時代に遡ることはもはやできない(そもそも、そんな時代は未だ嘗てあったのだろうか?)。戦争が起こったとしても、わたしは携帯の電源をあげてiTunesでポスト・グランジを聴いているだろうし、そこのはす向かいに座っている通勤客はソーシャルニュースを眺めているだろう。たとえばそれが正常性バイアスだなどと言うことはない。大衆の動きを「大衆」という記号を通して災害心理学なテーゼを立てたところで、私たちは自分たちにおける意識の運動を理解することからは全く遠いところに向かうことになるだろう。なぜならば、サッチャーの言葉をあえて借りるなら「社会はない」からだ。あくまでも「個別を媒介として現象としての社会を見る」、という意識を採用する必要がある。それを通して個別-普遍の相互浸透を見ることができる。
戦争が始まったらしい。そこにわたしは、怖いもの見たさというより、不謹慎な高揚を呼び起こされた。戦争とは言わないにせよ、明らかに私たちは何らかの物質的基盤に基づく権力を持ち、その権力同士を付き合わせる作業を行なっている。仕事、学業、個人的関係、等々のさまざまの文脈で。途中、戦争は示威行動ですらあるといささか挑発めいたことを書いたが、思い当たる限りのところで私たちは戦争と同じことをしており、私たちはいたるところに戦争行為を発見することができるからだ。権力の代表 representative の媒介が消滅し権力およびその物質的基盤(経済、動員、等々)そのものの衝突に至ることを「戦争行為」と定義するなら、私たちはいたるところで戦争行為を発見することができる。この定義からするなら、私たちが左派として活動する中でも、私たちは意識的に戦争行為を行なっている。署名運動がその一例だ。戦争行為と呼ぶのが微妙なのがハンストであるが、空間を占有するという行為に一時的な物質的衝突を認めるならば、これも戦争行為である。それだから、戦争行為をやめなければならないということは適切ではないし、反戦を訴えることも拙速である。だからと言って、現象としての戦争について看過しても良い、人が死んでも良い、という話には決してならない。そうではなく、是に於て私たちが確認しなければならないのは、次のことであるからだ。つまり、私たちは、つねにすでに、なんらかの戦争行為に加担しているのであり、そこで生じうる(とりわけ自分自身による)収奪、暴力について、私たちはつねに無自覚でありうる、ということである。

かの戦争について関心を向けることを、自分たちの現場における戦争行為について蓋をする口実に使ってはいないだろうか。明らかなことだが、自分たちが戦争行為から中立無害である(加害者にも被害者にもなり得ない)という幻想、ましてやその幻想を志向しようとすることは、私たちの思考を極めて貧困なものにしかねない。上で規定した戦争行為は私たちの身の回りで絶えず起こっている。その戦争行為に加担すること自体を避けることは不可能である。その諸状況の中でいかに(私たち自身を当然含む)当事者の利害を満足させる和平を結ぶか、それは私たちの各々が自らの各個別の戦争行為への加担を歴史的に問うことを通して獲得される。そうすれば、多少は豊かな実践も培えるだろうに、その意識を獲得できないままでいるわたしは、このニュース放送を見ている最中ずっと銃口を向けられている気分に迫られていた。

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