2021-05-09

2021 05 09 12時くらいに起きる。もう永遠に眠るのかと思った。こういう時に限って、夢の方がやたらヴィヴィッドで、ことがらにおいて自分を惹きつけるものであることが多い。逃れられえないほどに夢が心地良く、また全面的な愉快さを帯びているわけではないにせよ、不快感のない、しかし学ぶところの多い日は、大抵目覚めることに苦労する。別に起きたくないと言ったら嘘になる。こんなにも空虚なばかりの泡沫の生活を送るよりも、永遠に観念の微睡の中に覆われ、偽りでもいいので、思弁を重ねた気でいたい。
『複製技術時代の芸術』の邦訳を通読する。「写真小史」は批評に重点を置いたテクストだが、作品に関する議論が多く正直のところ整理がつかない。どこにも Echtheit やアウラといった概念が出てこないので切り位置がわからない。
「エードゥアルト・フックス」は面白い。1937年なので、だいぶ晩年の作品として位置付けるべきものだが、当時のベンヤミンの唯物弁証法への理解を知るのに有用そうだ。「偉大な功績を果したものは全て、もはや価値判断をくだしえない」というゲーテによるシェイクスピアに関する批評を挙げながら、ベンヤミンは次のように述べる。

弁証法的と呼ばれるべき権利を持つ、各々の歴史的考察を始めるような不安を呼び出すことに、より適している言葉はない。過去のこの断片〔諸作品〕が実直に現在とともにあるような批判的な布置を意識すべく、対象に対す静観的な姿勢を諦めさせられる研究者への期待に関する不安。
Beunruhigung über die Zumutung an den Forschenden, die gelassene, kontemplative Haltung dem Gegenstand gegenüber aufzugeben, um der kritischen Konstellation sich bewußt zu werden, in der gerade dieses Fragment der Vergangenheit mit gerade dieser Gegenwart sich befindet. (GS 2.2/467-8)

歴史家の宿命をここまではっきりと書いているベンヤミンの企図は、作者と作品との間のコンテクストにたいする研究の態度を思わせる。これをもってベンヤミンは、歴史主義に対する史的唯物論の優位を示すエンゲルスによる一節を引きながら、エードゥアルト・フックスの仕事に向き合う。
が、正直全然わからん。フックスを通して英雄主義への激しい抵抗をはっきりと描こうとしているのはなんとなく掴めるが、フックスの精神分析との距離などを書いているところは一層……。
ヘーゲルをなんとか読み進める。文法的にはともかく意味的に通らない部分がある。
昨日から全然調子が悪い。進路のことでずっと考えこんでいる。いや、進路以前に、生活のこととか、ことごとくを見直すと、やはりフリーターに落ち着くのが一番適切なのではないかと思わずにはいられない。それだけに仕事をしている自分を想像することがとても難しいし、就職活動の現場に通いつめることをこなすことがすごくハードルに感じざるを得ない。そんなこともできないようなら何もしないまま甘んじているべきだ、という評価を下されるのをただ漠然と待っているだけのような気がしてならない。いやその通りなのでそれ以上のことを言うべきではないのだが、それでは満足し切れないのかもしれない。じゃあ動けよ、書けよ、と言われればそれだけなのだが。正直自分がそこに収まる器じゃないという自意識(いかにもザ・自意識って感じだ)があり、レールから外れた生き様の方がかっこいいといった、世間知らずの大学二年生が自分の生活のゆとりや全能感からそう思わされる(自分から敢えてそう思うことはなく、単に思わされているだけだ)ような意識を捨て切れないでいるだけなのかもしれない。
いやそんなことには止まらないのかもしれない。ことさら言うつもりはないが、高校時代から不登校を続けて普通の人間に戻ることなど絶望的で、アニメや漫画に描かれるような「普通のひと」の生活を享受できなかったことへの、怨嗟とも言い難い何かから、自分の生活を完全に諦め、家庭に寄生することに甘んじてなんらかの形で生活保護などで食いつないでいく方が「合理的」でさえあるかに思われてならない。そうした「余計な」ことがらを客観視して自嘲的に描くだけの文章力もなく、当て所なくただ自意識(ただ自意識でしかない)を文字にあてがっていくしか、今できることはない。大学に入れたこと自体偶然なのだ。ただ大学には自分のような高校中退からなんとか首の皮を繋げたような人間はごくわずかで、高校でも充実した生活を送り、大学でも同じく(大した抵抗をなく)人間関係を形成していくことを勝ち取っていけた人たちがいる。いやそれに失敗したとしても代わりのものを見つけリカバリする方法を知っている。そうしたものが何もない。ぼくには。人生逆転できる簡単な契機は何もない。あるのはただ自己を維持していく内的な契機、努力(コナトゥス)だけだ。
結局何もかもダメだ。終わらせたい。

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