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大高城 城郭について

■ 国の史跡「大高城」(S13-1938年に指定)

◎ 国の史跡の範囲: 大高町字城山の全域(民家を除く)

 ・ 大高城の正門にあたる曲輪の海岸寺と寺の境内(墓地)は、
   除かれている。

 ・ 本町区(屏風折れ環濠を用いの捨て曲輪の遺構を含め)と田中町内会に
   現存する環濠で守られた二ヶ所の「環濠曲輪」も除外。

 ・ 大高城の土塁の下のカラボリ(泥田堀)即ち、江戸期に
   稲田として活用していた範囲も、指定を除外されている。

注). 国の史跡の範囲は、 尾張徳川家所蔵「知多郡大高村古城繪圖」で
  描かれた墨線の範囲と、ほぼ 同じである。

  「知多郡大高村古城繪圖」は、県教委の論文で、一番!正確な絵図とされ、名古屋市でも、この絵図を元に、公的な都市計画などで企画・計画が進められている。

  が、、、蓬左文庫蔵の「尾州知多郡大高古城」の墨線で描かれている、、、

  大高城・三ノ丸に居館を構えた志水甲斐守の屋敷の下に
  描かれている、、、
  お屋敷(本町65, 65-2)は、1~2尺ほどの石垣の上にあり、
  絵図とも整合しているが、、、
  この屋敷も、国の史跡の指定から除外されている。

  江戸期、この屋敷を造成する為に、、、大高城・三の丸の
  北北東の土塁を切削した事は、、、
  「知多郡大高村古城繪圖」と現在の測量図との比較で実証できている。

◎ 大高町字向山地区に一部(北西部の弧状塁線)の遺構と、
  花井備中守の菩提寺:東昌寺跡(現 大高保育園)も

  、、、国の史跡の指定からは、すべて除外されている。

 ・ 広島市立中央図書館「諸国古城之図」大高(尾張) の
  「軍学書」スタイルの絵図では描かれている
   南東の曲輪と搦め手の遺構が、国の史跡の指定からは、
  すべて除外されている。

   https://www.library.city.hiroshima.jp/hiroshima/webgallery/images/kojo/kojo_p020_b.jpg

   江戸期、尾張藩の測量隊が、三の丸の居館に暮らす
  家老職:水野家の馬場として使われていたので、
   中世期の曲輪と認識できなかった?、、、のでは???

#大高城 #環濠曲輪 #屏風折れ捨て曲輪 #向山馬出し曲輪 #向山砦

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