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今川軍25000を収容する大高城とは、、、
■ 小豆坂の戦い
場所: 岡崎市字羽根町字小豆坂
◎ 第二次小豆坂の戦い: 天文17年(1548)
今川軍: 太原雪斎 戦力、約10,000
松平軍: 戦力、不明
◎ 桶狭間の戦い: 永禄3年(1560)
今川(約10,000+α) + 松平(2500~3000人) 連合軍: 戦力、合計 25,000人
注). 丸根砦の織田軍500人余りへの攻撃には5倍の兵力を用いるのが、妥当!
【大いなる疑問!】
第二次小豆坂の戦いの約2倍の 25,000人 の兵を常駐させる容量(敷地)が大高城に有る!、、、のか?
◎ 第二次「小豆坂の戦い」より増員された、、、10000人の役割について、、、
鳴海城城下の西に広がる天白川の低地に、既に構築済み!だった(中国風の呼び名の)最中堤塘と下拾貫目堤塘の先に残っていた、、、「澪筋」を閉め切る!、、、澪止め!工事(堤防工事)には、、、10000人が必要である。
鳴海城の西の広大な干拓地に稲田が造成されれば、、、食糧自給率が向上する。
◎ 第一世代~第三世代までの大高城を合計した敷地面積は、1km四方であり、、、
使われなくなっている第一世代と第二世代の大高城を修復すれば、、、
100万㎡=30万坪の城塞都市が出現させる事が可能となる。
東京ドーム(46,755㎡)、、、約21個分の城塞に、、、25000の兵力では、この規模の大高城を敵から守り、城郭を維持・管理する事は、とても出来ない!!!
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