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自由主義・オーストリア学派から見た中国経済

こんにちは、自由主義研究所の藤丸です。

オーストリアの自由主義系シンクタンク「ハイエク研究所」のHPに、
面白いレポートがあったので、意訳・解説して紹介しようと思います😊

「中国の経済発展」について、
オーストリア学派の理論に基づいて分析したものです。

自由主義を代表する3人のオーストリア学派の理論について


理論は現実を説明するもの。
理論の正しさは現実と照らし合わせて検証されなければなりません。

今回、検討する理論は、
ハイエク、ミーゼス、シュンペーターの3人のオーストリア学派の理論です。

さらに、「経済学の父」アダム・スミスの以下の洞察も重要です。
「もし財を得ることができなければ、
 誰もができる限り食べ、できる限り働かないだろう。
 財を手に入れるという希望が、労働のインセンティブになるのだ」


ということで、
3人の理論と、それらについて考えながら中国経済を見ていきましょう😊

1,ハイエクの「暗黙知」

フリードリヒ・ハイエクは、
「広く分散し、集中化できない知識(暗黙知)」を重視しました。
たとえば、「農家の実務経験」を考えてみましょう。
どこで何を育て、いつ種をまき、いつ収穫するかなどは、
「暗黙の知識」です。
これらの知識を利用するためには、
自分自身の(分権的な)意思決定が必要です。
そして意思決定者は、自分の決定に対する責任も負わなければなりません。

さらに、
「分散された意思決定」は、「誤りを修正する」ことを可能にします。
つまり、民間企業家は、損失を出したくなければ、
誤りがあればそれを修正しなければならない
のです。

一方、民間企業家(分散された意思決定者)と違って、
中央集権的な権力(独裁政府)が決定する場合、
このような「誤りを修正する」インセンティブはありません。


カール・ドイッチュ教授は、
「権力とは、学ばない能力のことである」(!)と述べています。

ハイエク


2,ミーゼスの市場価格メカニズム

ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスは、
「市場価格メカニズムが、希少性のシグナルを与える」と洞察しました。

希少性とは「人々が欲しがる量に比べて、利用可能な量が少ない状態」です。

わかりやすく言うと、
需要が多いのに供給が少ない場合、
市場では「価格の上昇」という形で、それは表れます。

もし「生産手段の私有制」が廃止されれば、それらはもはや取引されず
相対的な希少性を示す「価格」も存在しなくなります。
こうなると、その商品に希少性があるのか、
人々が欲しがっているのかすら、わからなくなってしまうのです。

ミーゼス


3,シュンペーターの起業家精神

ヨーゼフ・シュンペーターは、
「起業家」の仕事は、
まだ開拓されていない利益を生み出す機会を探して見つけ、
それを利用することだと言いました。

イノベーションを起こした企業は、
それで得られる「利益」で報われます。
同時に、イノベーションを起こせない企業は衰退していきます。
これが起業家精神による「創造的破壊」です。


たとえば、
スティーブ・ジョブズは、
まだ一般的でなかったパソコンの概念を市場に普及させ、
iPodなどによって音楽業界に変革をもたらし、
iPhoneおよびiPadを世に送り出し、
莫大な利益を得ました。

その影で、イノベーションをおこせなかった他のPC業界・音楽業界などの企業は衰退・倒産していきました。

シュンペーター



中国経済に影響を与える要因とは?

中国の発展を紹介する前に、「後進性の利点」を説明します。

「後進性の利点」とは?
発展途上国の貧しい経済圏は、
先進国の豊かな社会から技術や組織モデルを真似たり取り入れることができるため、
豊かな経済圏よりも速いスピードで成長できます。

さらに、豊かな国の人々は購買力が高いため、
貧しい国の製品を大量に買ってくれます。
資金力のある客がすでにたくさんいる世界で商売ができるということです。
このことで、貧しい国は多くの利益を得ることができます。

例えば、東アジアの韓国、台湾、香港、シンガポールはこのようにして急成長しました。

1,皇帝の圧政的専制・中央集権的で、経済成長できない

中国は、約1000年前のヨーロッパと比較して、技術的・経済的進歩を維持できませんでした。

中国はその歴史の大半において、
中央集権的な帝国であったため、
経済の自由はほとんどなく、技術革新も抑制されていました。
基本的にすべての財産権が保証されておらず
中国の皇帝の恣意的な判断に左右されました。

一方、ヨーロッパは、より分権的でした。
ヨーロッパの支配者や王侯たちは、
少なくとも一定の経済的自由を認めなければなりませんでした。

支配者が、商人の財産権を無視すれば、
商人は他の地域に移ってしまうので、自国の繁栄は大きく損なわれてしまうからです。

2,残酷な共産主義政策が招いた大飢饉と社会の後退


中国の毛沢東の「大躍進」の時代は、
近年の歴史上最大の飢饉の大災害の時代でした。

1959年、農場は巨大な「人民公社」に統合されました。
人民公社は、中国の社会主義建設の柱とされた集団農場のことです。
第一次五ヶ年計画で始まった合作社をもとに大躍進運動で具体化され、
中国全土に建設されました。

市場や企業家精神は完全に後退してしまいました。
その結果、
「各々の農民の知識・知恵」は
「中央集権政府の独断的な決定」に取って代わられました。


中央政府は、いつ、どこで、何を蒔き、収穫すべきかを決定しました。
農民の「暗黙の知識」は、もはや役割を果たせなくなったのです。
また、農民は調理鍋などの日用品を所有することができなくなり、
代わりに集団で供給されることになりました。

農民の不満は大きくなっていき、毛沢東の想定した成果はあがらず、
人民公社の運営は次第に困難になっていきます。

人民公社の抱える問題には次のような説明があります。

人民公社は「一平二調」すなわち「働いても働かなくとも同じ」といった
悪平等主義と、上からの命令・調達主義による農民の生産意欲の大幅低下といった現象が広がった。
その上、「自由に食べられる」人民食堂など「共産風」による食料や資材の大浪費を招いた。

天児慧『中華人民共和国史新版』(太字は筆者)


3,改革開放:自由化がもたらした経済成長

文化大革命が終了し、1979年鄧小平により中国経済の全面的な発展を目指す改革開放路線が打ち出されました。
その後の40年間で、中国経済は30倍もの成長を遂げました。
この成長は、自由化によってもたらされたのです。

第一段階として、農民は部分的に財産を返還され、独立して農業を行うことができるようになりました。
農民は引き続き中央政府の計画に従いましたが、
余剰分は地方市場で販売することが認められました。
1982年に人民公社は解体しました。

農業以外の他の分野でも、より多くの市場メカニズムが徐々に認められるようになりました。



この改革により、
アダム・スミスのいう「勤労意欲の向上」が見られ、
ハイエクのいう「個人に分散された知識が活用され」、
シュンペーターのいう「起業家精神」が認められ、
ミーゼスのいう「資源配分に市場が少なくとも一部利用される」ようになりました。

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最後まで読んでいただいてありがとうございました。
いかがでしたでしょうか?
このように、ある理論をその時代背景・地域と関係のない分野(今回は中国の歴史)と照らし合わせて考えてみることは、とても重要だと思いました。

↓ ハイエク研究所のHPです😊(ドイツ語ですが…)


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                             (藤丸)


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