中央銀行とは何か?~政府権力と戦争との関係について歴史を検討する
現在、円安が猛スピードで進行しています。
日本銀行は先月、マイナス金利政策を解除しましたが、それでもアメリカの金利を大きく下回っています。
また、物価高による生活必需品の高騰を受けて、一般家庭の生活は苦しくなってきています。実質賃金は23ヶ月連続マイナスの中、社会保険料などの税金は容赦なく上がっていきます。
そんな中、日本銀行政策委員会審議委員の野口旭氏は、本日4月18日、日本銀行が実現を目指してきた「賃金と物価の好循環」に向けての展望について発表しました。
ところで、そもそも日本銀行(中央銀行)とは何でしょうか?
日本銀行のHPによると、日銀の目的は「物価の安定」を図ることと、「金融システムの安定」に貢献すること、だそうです。
日本銀行の政策が、その目的に寄与しているかはともかく、中央銀行は経済全体に大きな影響を与える存在です。
現在の世界経済に非常に大きな影響を与え続けている中央銀行ですが、意外なことにその歴史はそんなに長くありません。
中央銀行について、その歴史を改めて考えてみたいと思います。
世界最古の中央銀行は1668年設立の「スウェーデンリクスバンク」だそうです(日本銀行のHPより)。
その次に古いのは、有名なイングランド銀行(※)で、1694年設立です。
このように中央銀行は歴史上、「政府権力の増大」や「戦争」と密接に関係しています。
現実問題として、外国と戦争をするときは莫大なお金が必要になります。
しかし、政府はそのお金をどのように賄うのでしょうか?
政府がお金を得るには以下の3つの方法があります。
増税は市民からの反発が大きいので難しいため、歴史上、政府は銀行を使ってインフレをおこすことで戦費を賄ってきたのです。
この政府と中央銀行の関係は、アメリカの独立革命のすぐ後の1812年の戦争でも現れています。
当時の背景については下記のnoteでも少し書いています。
今回は、その「1812年の戦争」が、「銀行制度」に与えた影響についての論文を一部意訳して紹介しようと思います。
論文は、アメリカの自由主義系シンクタンク「ミーゼス研究所」のHPに2024年2月27日掲載のJoshua Mawhorter氏の「The War of 1812 and the Panic of 1819: The Unholy Alliance between Government and Banking(1812年の戦争と1819年のパニック:政府と銀行の邪悪な同盟)」です。
※太字は筆者です。
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1812年の戦争と1819年のパニック:政府と銀行の邪悪な同盟
政府には以下の3つの課税方法があります。
■直接税:政府に金銭を納める義務
■債務:将来の支払いを前提に、その支払いのための税収を伴わない現在の政府支出
■インフレ:「印刷貨幣」、つまり正貨(金、銀などの商品)を超えて貨幣と信用を人為的に拡大すること
さらに歴史は、
「政府権力の拡大、戦争、銀行の法的特権と免責の拡大」の間に密接な関係があることを示しています。
これらは現実に、互いに補強し合っています。
戦争には歳入が必要ですが、市民から直接税金を徴収するのは難しいです。
そのため政府はしばしば銀行に、インフレによって貨幣と信用を拡大する能力を提供したり、銀行の正貨支払いの停止を可能にします。つまり、顧客からの要求されても、銀行は金や銀での返済を拒否できるようになります。
その一方で、銀行は政府から法的保護を受けることに大喜びします。
なぜなら、これによって契約上の義務の履行を拒否し、詐欺罪に問われることなく人為的に事業を拡大することができるからです。政府が彼らをその結果から救うという約束で、です。
このようなことは、アメリカの歴史を通じてしばしば起こってきたことです。
1812年の戦争のために米国政府がとった金融政策は、いくつかの結果をもたらしました。その最たるものが、米国初の全国的な好況と不況のサイクル、1819年のパニックでした。
戦争中の1814年、アメリカは金本位制を放棄し、税収ではなく貨幣と信用のインフレ拡大によって戦費を賄いました。
この時点では、アメリカはまだ「連邦準備制度理事会(FRB)のような」近代的な中央銀行を持っていませんでしたが、同様の金融政策は同様の結果をもたらしました。
アメリカは金本位制を放棄し、銀行に特別な法的特権と免責を認め、金で換金できる以上の不換紙幣を印刷し、正貨の支払いを停止しました。
その結果、1819年のパニックに加え、国内物価は25%上昇し、輸入は70%増加しました。
アメリカ政府の役割について、マレー・ロスバードは『銀行の謎』の中で次のように述べています。
米国政府は、増大する戦争債務を購入するため、銀行の数を大幅に増やし、銀行券や預金を増やすことを奨励しました。中西部、南部、西部の各州のこれらの新しい無謀なインフレ銀行は、国債を購入するために大量の新券を印刷しました。そして連邦政府は、これらの紙幣を使ってニューイングランドで武器や製造品を購入しました。
1814年8月までに、ニューイングランドを除く全国の銀行が支払不能、つまり債務超過であることが明らかになりました。
1814年8月、州政府も連邦政府も、全国の銀行を破綻させるのではなく、銀行が事業を継続することを認める一方、その債務を正貨で償還することを拒否することを決定したのです。
言い換えれば、銀行が厳粛な契約上の債務の支払いを拒否する一方で、手形や預金を発行し続け、債務者に契約上の債務を履行させることが許されたのです。
これは不公平で不公正であると同時に、銀行システムにとっては巨大な特別特権でした。それだけでなく、銀行の信用インフレのための白地手形、無制限の許可証を提供するものでした。
この一般的な停止は、当時非常にインフレ的であっただけでなく、それ以降のすべての金融危機の先例となりました。
米国に中央銀行があろうがなかろうが、銀行が一緒にインフレを起こし、その後トラブルに見舞われた場合、政府が救済し、何年間も正貨の支払いを停止することを許可することが保証されたのです。
皮肉なことに、銀行に法的免責特権を与えて資金と信用を拡大し、正貨の支払いを停止することで生じる結果に対処するため、1816年に第二合衆国銀行が設立されました。
しかし当然のことながら、第二銀行もインフレを抑制するどころか、むしろインフレの原動力となりました。
「それゆえ1818年も好景気は続き、合衆国銀行はインフレを抑制するどころか、むしろ拡大する力として働いたのです」とロスバードは書いています。
当時のアメリカ人は、合衆国銀行と政府がいかに悪いものであるのかを、今日よりもはっきりと認識していたようです。
ジョン・M・ドブソンは、「銀行の政策はインフレを煽り、1819年のパニックの主な原因であると一般に考えられていた」と書いています。
1812年戦争後に創設されたとはいえ、国立銀行と戦争の密接な関係がここに見えてきます。これらは相互に補強しあう政策なのです。
1812年戦争がもたらした長期的な金融・財政的影響は、戦時中に政府が銀行に、通貨供給量を膨張させ、信用を拡大し、正貨の支払いを停止する法的特権を与えることができるという概念への予防接種であったようです。
どうやら戦時中、政府は銀行に、通常なら不健全で違法な行為(貨幣や信用のインフレなど)に従事する特別な許可を与えることができるようです。
これにより、アメリカ国民は、連邦準備制度(FRB)が創設されるまで続く、銀行の法的許容量と中央銀行の法的許容量との間で繰り広げられる一進一退の争いに備えることになりました。
特に戦時中の銀行の合法的な放漫経営は、評価されない経済効果をもたらしましたが、このことが皮肉にも多くの人々に、同じことをより大規模に行う国立中央銀行を望むようになったのです。
また、政府が戦争(およびその他の政府事業)の費用を賄うための課税手段としてインフレを用いることができるという考えを、アメリカ人に植え付けたのです。