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【両体和合】オバマ元大統領のスピーチは世阿弥「花鏡」の教えそのものだった

Change Talk,Change Life.
"喋りを変えれば生き方も変わる!"

「蝶想喋楽(ちょうそうちょうらく)」
「喋りは生き方が9割」
「Free Talk Entertainment
~自分という楽器で言葉を奏でよう!」

22世紀に「広辞苑」から"人見知り"をなくしたい
誰もが自分を解放し喋りを楽しむ社会を実現
喋りに対する意識を変えて人生を好転させる
一般社団法人日本フリートーク協会代表理事
フリートークアドバイザーの“TURKEY”です

こんにちは!
僕のブログに来ていただき
本当にありがとうございます!

身体と足の動きは相反すること

またまた考えてしまいます…
またまた「花鏡」の話題なんですが(笑)

「心を十分に動かして
    身を七分に動かせ」

先日はこの言葉を考えました
ライブ配信でもしこたま語りました
続いてこういう言葉が出てきます

「身強動足宥踏、足強踏身宥動」

こう読みます

「身を強く動かせば足を宥(ゆる)く踏み
    足を強く踏めば身を宥(ゆる)く動かせ」

これは斬新な手法というか教えです
ある意味メラビアンの法則への謀叛
視覚情報と聴覚情報を一致させろという
コミュニケーションの掟を破っています

そう解釈しました(笑)

ここで世阿弥はこう伝えています

身体と足を同じように動かせは粗く見える
身体を大きく使う時に足を静かに踏み出す
そうすれば情熱的に見えても粗くならない

逆に

足を強く踏む時に身体を静かに動かせば
足音は大きいが動きは粗く見えないもの

そして

「これすなわち見聞同心ならぬところ
    両体和合なりて面白き感あり」

「見聞同心」はメラビアンの法則ですね
見た目のパフォーマンスと音や声のトーン
それを一致させないと違和感を持つもの

本来は「一致させよう」というのだが…
世阿弥はその違和感がかえって面白い
それを「両体和合」とまで言っています

つまりこれを喋りで言うならば

「声のトーンが動的なものならば
    ジェスチャーは静的にしてみる」

逆に

「声のトーンが静的であるならば
    ジェスチャーは動的なものにする」

確かに「意外性」が面白いかも

ただこれをもう少し深く考えると
喋りにおいての注意にも思えるのです
あえて「見聞不和」にすることで
聞き手への伝わり方が中和される

どういうことか?

例えばスピーチやプレゼンテーション
思いが込められると声に力が入る
そんな時はどうしても身体の動き
つまりジェスチャーも大きく強くなりがち

声が強く大きい
見た目が強く大きい

これだと見て聞いていて暑苦しくなる

だからこそ

声が強く大きくなるのなら
あえてジェスチャーは小さくする

僕ね…

このことを考えたとき
ふとこの方のスピーチを思い出したんです

オバマ元アメリカ大統領です

オバマ元大統領のスピーチ
僕は個人的にすごく好きで
よく喋りの研究をしています
でもまだまだ到底及びません

トランプ元大統領とは真逆で
思いが強く込められる時も
ジェスチャーは敢えて小さめです
それは見ていてすごく安心感がある

オバマ元大統領の演説こそが
見聞同心を敢えて外した
両体和合の究極の形ではないか
世阿弥の言葉で思い出したんです

オバマ元大統領の演説
落ち着いて冷静なんですが 
本当に堂々としていて安心感がある
それでいて抜群の説得力なんですよね

ということはですよ…

これがスピーチの理想形ではないかと
メラビアンの法則を意識するがゆえに
それが違った伝わり方をする危険性
世阿弥はそれを鋭く指摘したのではないか

こう思ったわけです

思いが籠るからこそ声は力強くなる 
でもジェスチャーは小さく控えめに

逆に

声のトーンを抑えたからこそ
ジェスチャーは大きめを意識してみる

いやまさに「なるほど」ですよ
言われて見れば確かにそうだわ
「見聞不和」の「両体和合」こそ
喋りにおいてあるべき姿なのでは

なので明日から様々なところで
この「見聞不和」「両体和合」を
意識して実践していくことにします
ちょっと身をもって実験したくなった

でもそれはオバマ元大統領の手法
そこに行き着くものかもしれません
僕の喋りが明日から少し変わるかも
どうぞご期待くださいね!(笑)

今日も読んでいただき
本当にありがとうございます
また明日!!

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