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【短編】『眠りの処方箋』 第4話「内なる影との出会い」

「山田さん、今週は新しい夢を見られたようですね」

鈴木の言葉に、美咲は少し緊張した面持ちで頷いた。今週見た夢は、これまでとは少し違っていた。

「はい...」
美咲は夢日記を開きながら言葉を選んだ。
「今回は、私が小学生の頃の教室に戻っていました」

夢の中の教室。懐かしい放課後の雰囲気。
黒板には美咲の書いた図形の証明問題が残されている。
小学5年生の時、初めて図形の証明に出会った時の興奮を思い出す。なぜ三角形の内角の和が180度になるのか、その理由を知った時の純粋な喜び。

「夢の中で、私は黒板の前に立って証明問題を解いていました。その時は、答えを出すことが目的ではなくて...なぜそうなるのかを理解すること自体が楽しくて。それを友達と話し合ったり...」

美咲の声には懐かしさと、どこか切なさが混ざっていた。

「その頃の記憶は、楽しいものなのですね」
鈴木は優しく促した。

「はい。数学の先生も『なぜだろう?』って私たちに考えさせてくれて。間違えることも、理解する過程の一部として認めてくれていました」

「でも、夢の中ではその証明が『どこか足りない』と感じたのですよね」

「ええ。そこに現れたんです。厳しい目をした私自身が...」
美咲は言葉を探るように一度止まった。
「でも不思議なことに、その私は小学生の頃の制服を着ていたんです」

「小学生の制服を着た、厳しい目をした自分...」鈴木はゆっくりと言葉を反芻した。

「その姿を見て、どんなことを感じましたか?」

「悲しかったです。あの頃、純粋に『分かること』が好きだった私が、いつの間にか『完璧でなければならない』という重圧に変わってしまった。そんな気がして...」

鈴木は静かに頷いた。
「いつ頃から、その変化を感じ始めましたか?」

美咲は少し考え込んだ。
「たぶん...中学に入って、成績が全てを決めるような雰囲気の中で。それまでの『なぜだろう?』という純粋な気持ちが、『正解を出さなければ』という焦りに変わっていったような...」

「夢の中で、その『厳しい目をした自分』に何か言葉をかけましたか?」

「いいえ...でも、なぜか涙が出てきて。すると不思議なことに、その厳しい表情の私も、少し表情が和らいだような...まるで、『本当は私も、あの頃の純粋な気持ちを取り戻したいの』と言いたげで...」

「その気づきは、とても大切なものかもしれませんね」
鈴木は優しく微笑んだ。
「完璧を求める気持ちの源には、もしかしたら『理解したい』『深めたい』という純粋な思いがあったのかもしれません。ただ、それがいつしか形だけの完璧主義に変わってしまった...」

美咲は黙って頷いた。確かに、これまでの自分は「完璧な結果」を求めるあまり、プロセスの中にある発見や喜びを見失っていたのかもしれない。

「その夢は、とても重要なメッセージを持っているように思います」
鈴木は優しく言った。
「これまでの夢では見えなかった『評価する目』の正体が、ようやく姿を現したんですね」

美咲は黙って頷いた。確かに、これまでの夢で感じていた重圧の正体が、少しずつ明らかになってきたような気がした。

「山田さん、職場での出来事で何か変化はありましたか?」

その質問に、美咲は先週のチーム会議のことを思い出した。

「はい...後輩の木村くんが、新しい提案をしてくれたんです。以前の私なら、『まだ準備が足りない』と思ったかもしれない。でも今回は、『完璧じゃなくても、まずはやってみよう』って...」

「その時、どんな気持ちでしたか?」

「少し怖かったです。でも、木村くんの目が輝いていて...」
美咲は少し照れたように微笑んだ。
「それに、実際にやってみたら、チームのみんなからも良いアイデアが出てきて」

「完璧を求めすぎないことで、新しい可能性が開けることもありますね」

その言葉に、美咲は深く考え込んだ。これまで自分を縛っていた「完璧でなければならない」という思いは、本当に必要なものだったのだろうか。

「ところで」鈴木が新しい話題を切り出した。「最近の睡眠はいかがですか?」

「そういえば...」美咲は少し驚いたように言った。「夜中に目が覚めることは、まだありますが...以前のような息苦しさは感じなくなってきました」

「それは良かったですね。夢を通じて自分の内側と対話することで、少しずつ変化が起きているのかもしれません」

セッションを終えて外に出ると、夕暮れの空が美しく染まっていた。美咲は深くため息をついた。それは、重苦しいため息ではなく、何か新しいものが芽生えてきたような、そんな感覚を伴うものだった。

その夜、美咲は新しい夢を見た。

教室に戻った夢。今度は、黒板の前で自信なさげに立つ後輩の自分に、優しく微笑みかける自分がいた。

目覚めた時、不思議と心が温かかった。

[次回に続く]

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