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ネパール農業との向き合い方
こんにちは。ネパールで農業関係の仕事をしています。
前回の記事にあるように最近は農業分野以外のことにも力を入れているのですが、なぜそうなっているのかについて今日は書きます。
国際協力の分野で特に農業について考えている方の参考になれば幸いです。
※前回の記事↓
ネパールで農業に対してフルで力を入れていない理由
国際協力の文脈で農業が語られることへの違和感
自分がネパールに来ている理由は平たく言うと国際協力活動やソーシャルビジネスをやりたいからです。
農業については大学で農業関係の専攻を選んだことから興味を持ち始め、やがて将来のキャリアとして国際協力活動やソーシャルビジネスを考える中で農業の可能性を感じ、農業関係のキャリアを歩んできました。
しかし、本格的に途上国へ行く前にある程度日本で農業や関連産業の仕事を経験し、いざネパールへ来て感じたのは、農業が国際協力の文脈でその重要性を語られることへの違和感です。
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農家の貧困は大規模化と労働力移転によって乗り越えられてきた
「小規模農家が貧困だから農業収入を上げて農家が貧困から脱することができるようにしよう」
こういったよくあるテーマに対しては、単収の向上やお金がかかる農薬を使わずにオーガニックで育てるみたいな話がセットでありますが、一番現実的な農家の問題解決方法は、例えば5組の小規模農家がいるのであれば、うち4組は第二次産業や第三次産業に就いて、残った1組がいなくなった4組分の土地を借りて農業をすることなのでは、と考えています。
そもそもこれまでの経済発展というのは機械の登場により発生した農業の余剰労働力が工業に吸収されていったことで起こっています。
そして日本ではそれにより起こった農業者と工業者の収入格差(工業が高い)を是正すべく、戦後の農地改革で農地が分散したにも関わらず、農業の大規模化を是とした農業基本法が制定されています。
要は農家の貧困というのは農家の大規模化と他産業への労働力移転で乗り越えられてきた歴史があるということです。
現在、国連が「家族農業の10年」というテーマを掲げて活動をしています。
家族農業が世界の食料供給において重要な位置付けであるというのはその通りだと思うのですが、家族農業が小規模農業であり続けることが彼らの貧困脱出にはつながらないと思っています。
農業で雇用を作る・維持するというのは経済発展(=貧困脱出)の観点で考えれば矛盾した行為であるとさえ言えます。
食料問題はグローバリズムの中の構造的な問題
また「農家が貧しい」というと農家側に問題があると考えられがちですが、本来は農家が作る生産物である食料を買っている消費者側にも、この問題は深く関わっているはずです。
ただグローバリズムが進んだ現代では、特に輸入品であれば作り手の顔や、私たちの消費行動が生産者側にどんな影響を与えているのかを想像することはかなり難しいです。
しかし、消費者だって遠い異国の生産者を苦しめたいと思ってその農産物や加工品を買っているわけでは全くありません。
みんなが自分にとって最適な行動をしている中で生産者が割を食っているという構造的な問題があります。
これを農業という主に生産側に重きを置いた視点だけで解決するのは無理です。
私が見てきた途上国の農村というのが、飢餓ではなくそれ以外の貧しさを抱える地域であったため、今回のような話になっていますが、もし飢餓が起きているような農村であればもう少し違った見方ができるかもしれません。
ただ、そういった地域であっても根本的な理由は紛争や水不足など農業とは少し異なる原因が主だったりすることが多く、こういったことを知り、考えるなかで国際協力×農業の一大テーマである「農家の貧困」を農業というフィルターのみを通して考えるのは限界があると思うようになりました。
※ネパールについては、旧来の身分制度であるカースト制度において最下層の人たちはそもそも土地を持っていないということも農業が貧困解決に対して限定的な効果しかないことを予想させます。
「農業が好き」のコア部分
とはいえ、国際協力とかそういうことを置いておいて、私は農業が好きなので、自分は農業の中でも特に何が好きなのかを明確にすることが今後の農業への向き合い方を考える上で重要だと思ったので、その辺を過去の経験から考えてみました。
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農業関係のことがら遍歴
◾️幼少期:虫取りが好きで父親とよく田舎に出かける
◾️高校三年生:初めての農業(じゃがいも収穫のアルバイト)
◾️大学生
・農業経済学専攻
・山梨での農業バイト
・山梨のとうもろこし・すもも・なす農家さんへの訪問や住み込み研修
・長野の自然栽培農家さんでの手伝い
・長野のりんご農家さんでの研修
・長野の農産物加工所でのインターン
・インドネシア農村での卒論研究
・その他数々の農家さんへの訪問
◾️社会人
・長野の農業コンサルへの就職
・長野のレタス農業法人への派遣
・ミャンマー農村部での有機肥料製造会社でのインターン
・東京での青果店勤務
・気になった農家さんのところへちょこちょこ訪問
・東京での青果流通システムのカスタマーサクセス部門配属
・ネパールでの農産物加工・販売
・ネパールでのタネや活性剤の輸入・販売、収穫物の販売
元々私は都市部出身で両親も非農家だったため農業のことを知り出したのは大学生以降です。そのためか農家に対しての固定観念もそんなになく、作物や規模、農法などが様々な農家さんを訪問する中で農業の多様性に気づきました。
農家さんというのは経営者であり、変数の多い農業では、自身の哲学や思想が自然と農業に落とし込まれている感じがして、農業を通してその人の価値観に触れることができるのがとても面白いなと思っています。
そして決して生産だけでは完結しない農業界を、川上から川下まで見ることにより、農業の全体像を掴むことも幾分かはできたような気がします。
そして自然の中で仕事をする農業は開放感があり、季節の移ろいも感じやすく、精神的な豊かさはコンクリートジャングルの中で働くよりも得られるとも感じていました。
多様な人々の価値観と農的な暮らしがキーワード
こうして考えると漠然とした「農業が好き」の中で特に自分が好きなのは以下の2つに集約されるのかなと思います。
農業を通して見える多様な人々の価値観
これまで個人農家さんから農業法人まで多くの規模の農家さんの中に入っていきましたが、私の中でどちらが絶対好みとかそういったことはありませんでした。
個人農家は全ての意思決定を自分でできるという面白さがある一方で、法人はチームで1つの目標に向かうという面白さがあります。
そして、先ほども書いた通り、農業経営者の価値観は畑にわかりやすく現れます。
農地を見れば一般的な会社でいう、オフィスの中、ファイルされた資料、ビジネスモデル、会社の理念が分かるというのは言い過ぎではないと思います。
つまり、一般的にはわかりにくいビジネスの多様性が農業は農地を隠すことができないためわかりやすく、「農業」と一括りにできないくらい多様であることが農業の面白さだと思います。
農的な暮らし
人の価値観以外の部分に注目すると農業というよりも、農業を通した自然との触れ合いが好きというのもあります。
元々、虫が好きだったこともあるため、自然の多い環境に身を置くのは好きですし、農業を通すと大地とのつながりを感じることや、とてつもなく大きな自然の中に自分がいることの再認識ができ、植物の成長を通した喜びや、反対にうまくいかないときの試行錯誤など様々なことを五感をフルに使って経験できるような気がします。
もちろん、経営者として農業を行う場合は、そんな悠長なことは言ってられないし、施設など環境制御が施された中では五感をフルに使う感覚は幾分か薄れてしまうかもしれませんが、いわゆる従来の太陽のもとで土にタネを蒔き行う農的な活動であれば、そういった農の豊かさをを感じることができ、それが私にとっての「農業が好き」を構成する重要な要素になっています。
農業の変化と向き合い方
「農業が好き」のコア部分を洗い出したところで、自分は農業にどんな希望を持ち、どう関わっていきたいのかを考えてみます。
(ネパールにいるのでネパールの農業視点です)
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大淘汰の後のテクノロジーを使った家庭菜園化
「人類みんな家庭菜園をやったらいい」というのは学生時代から持っている考えで、その一方、ここ数年は「農家は公務員になったらいい(全員ではない)」という考えも持っています。
農業の役割を「食糧安全保障」と捉えるのであれば、嗜好性の高い付加価値をつけることよりも安価で大量に作れることが求められますので、それは最早、インフラ企業と同じで競争原理の中に晒されるものではないと思います。
その一方、食事は人生に楽しみや彩りを与える役割もあるので、そういったことを実現するための農業については、競争やファンベースな農業の在り方が必要だと思っていて、どちらかが絶対に正義でもないですし、共存すべきものだと思います。
ただ、現在の競争社会に晒された農業のもとでは基本的には大規模化は止まらないでしょうし、経済合理性を考えたら農業以外の職業を選択するほうが良いケースも多分にあると思います。
そのため、ネパールでも日本同様、農家は減るでしょうし地方の過疎化も進むことが予想されます。
ただ、ネパールというのは昔の日本のような機械化により農業労働人口が余ることと工業への労働力移転が同時に起きているのではなく、出稼ぎにより強制的に農業労働人口が減っているという背景があるため、効率化なく単純に労働力が減っており、農業者割合は戦後日本よりも高いのにも関わらず耕作放棄地の問題もすでに起きているという日本は経験したことのない問題に直面しています。
これはもう、今の発展のレール上に農業がある以上はしょうがないことで出稼ぎを推奨している政府を見ると、ネパール農業は自然競争に晒されながら大規模化が進み、生産性の高くない土地は耕作放棄地にどんどんなっていくというのは近い将来もっと起こってくるのだと思います。
ここまでは大規模生産者の出現や変わった個人農家の出現などで面白い部分はありますが、個人的にさらに期待しているのはその先の部分で、テクノロジーの力を借りることで高度な農業技術を小規模な生産者でもより手軽に扱える時代が来るのではないかと期待しています。
そうなると小規模生産者というよりも家庭菜園のような形で生活に農を取り入れることへのハードルもぐんと下がり、この家庭菜園者から大規模生産者までのグラデーションが幅広く共存し合える環境ができることが最も期待していることです。
DIYが人気になったように、人はある程度のところまで行くと、それまで人類の長い歴史の中でできるだけやらなくて済むように逃れてきた奴隷的労働に近いことを自らのお金と時間を使ってやり出すと考えると、より生活や生命に根ざした活動といえる食物生産=農は、そのハードルさえ下がれば一気にやる人が増えるのではないかと思っています。
ネパール農業に変化を与えそうな項目
上記のような変化が予想される中で、ネパール農業で起きている・必要とされていることはたくさんあるのですが、その中でも大きな変化を起こせそうな項目は以下のようなものがあると思っています。
輸出作物の強化
農業を産業として競争力のあるものにするのであれば、いかに外貨を獲得できるようになるかがとても重要です。
その面で輸出作物を作ることはとても大切であり、スパイスのような付加価値を生み出しにくい作物ではなく、もっと嗜好性の高いフルーツなんかが輸出できるようになると面白いと思っています。
(私の所属先では輸出を目指す作物としてマスクメロンや日本米などの試験栽培を進めています)
アグロツーリズム
これは実際に少し起き始めているのですが、農業を知らない若者による都市郊外での農業体験などがそれにあたります。
ネパールは都市と農村の距離が近いため、離農が進むと逆にこういった取り組みのチャンスが生まれ、農家の副収入確保やCSAの構築も目指せるようになってきます。
流通業者のアップデート
個人的にネパール農業の一番の課題といっても過言ではないと考えています。
流通業者というのは、ただ単に農作物を左から右へ流すだけではなく、農家、消費者それぞれの側に立ち両者が知り得ない情報も持っていて、それを伝えることができる唯一のプレーヤーです。
マーケットイン型の農業の需要がネパールでも高まっていますが、産地でマーケットの情報を獲得するのは都市部と農村部の情報格差を考えると日本より圧倒的に難しく、この部分では流通業者の重要性がとても高いです。
流通業者が消費サイドの情報を獲得し、適切に届け、適切に買い取る仕組みができれば土作り・栽培管理・品種選定などあらゆる面でネパール農業がアップデートされるポテンシャルがあると思います。
接ぎ木技術の浸透
ネパールでも果樹の接木は一定程度行われているのですが、野菜についてはトマトくらいしか浸透しておらず、短期間で収量向上などのインパクトを出すには、細かい栽培技術の向上よりも接ぎ木がもっと広まる必要があると考えています。
この部分は日本が世界的にも優れている部分なので、ぜひ日本の技術をうまく活用したいです。
小型農業機械の普及
ネパール農村の大部分は日本のような中山間地であり、社会やコミュニティーとして生産性の高くない土地での農業の継続が必要だと考える場合は、小型農機が今より普及していくことが重要になります。
管理機や動力噴霧器の普及は割と進んでいますが、草刈機や播種機、肥料散布機などはまだほとんど見かけず、地方での労働力不足が起きている今、こういったものはもっと広まる必要があると思います。
ただ、そもそもこういったものへの投資をするだけの資金的余力があることや投資対効果があると思える農産物の取引環境が整っていなければこういった変化は起きないのかもしれません。
タネの採取地化
お話をする日本の種苗メーカーさんがネパールに注目している部分はこれです。
地球温暖化の影響で種取りをできる場所が北上してきており、ネパールでの種取りの期待が高まっています。
ただ、国として外国企業に売るためのタネを栽培し・販売するという実績がまだなく、レギュレーション部分が追いついていないため、現在はそこを進めている段階です。
今後、ネパールでの採取に関しての事例ができれば、日本企業さんとコラボをして進めてみたいと考えています。
今までとは違う発展とも通ずる
上記はビジネス視点での農業であって、その先の変化については世界的にも事例がまだないため具体的な予測はできていません。
ただ、最低限ネパールの農業が産業としての競争力を持っていることは大切なことですし、そこを経て「農」というのが新たなフェーズへ突入した時に、ネパールの国としての独自のポジションを確立することができると考えています。
農業だけで世界から見たときの国としてのポジションを語るのは話が飛躍しているようにも感じられますが、先ほども書いた通り、農業は思想が反映されやすい分野なので、国としてどういう方向を目指していきたいのかを農業のフィルターを通すことである程度はわかる部分があると思っています。
そして、そうなった時に私が希望するのは以前の記事で書いた今までとは異なった発展の仕方です。
この辺りの未来を作っていくことを考えながら、今後の農業とは向き合っていけたらなと思います。
今日は以上です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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