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自分のメインストーリーを受け入れよう - Baldur's Gate 3の感想

2023年のGame of the Year受賞作、Baldur's Gate 3を少しプレイしたので感想を書きます。Baldur's Gate 3がどんなゲームか知らない方は、以下の記事がおすすめです。

約20時間プレイし、第1幕(Act 1)を終了させられる地点まで進めた。
このゲームには多くの優れた点と悪い点があるが、大体の悪い点はシンプルにすれば一言でまとめられる。「面倒くさい」だ。

マップは広く、多くの場所に移動でき、それぞれの地点にサブクエストやダンジョンがある。コンテンツが豊富なこと自体は良いことだが、すべて攻略しようとすると冗長な感は否めない。
また、プレイヤーの様々な行動や、会話中の選択・ダイスロールに応じてメインクエスト・サブクエストが変化するのがこのゲームの大きな特徴だが、「こうしたら悪いことが起きそうだからやめておこう」という選択を「とは言え、何が起こるか一応見てみたい」と、セーブ/ロードで確認するのは手間だし、セーブ/ロードを乱用しだすとダイスロール(戦闘含む)も手間を増やしているだけに感じられてしまう。

「じゃあ、そんなことしなきゃいいじゃん」と思った人は、正しい人だ。探索できるところをすべて探索し、細かな分岐をセーブ/ロードで「覗き見」て、良さそうなものを選ぶ。こうした、可能性の空間を虱潰しにチェックするようなプレイ態度は、Baldur's Gate 3を楽しむうえでは、あまり適切ではない気がする。

メインクエストを中心に進めながら、寄り道は自分の関心や必要に応じてほどほどに行い、ストーリーの分岐先が気に入らなくても受け入れる。このように、ダイスロールや自分自身の選択のような「偶然」の結果を、自分の「メインストーリー」だと信じる姿勢がこのゲームを楽しむうえで必要で、セーブ/ロードは、あまりにも受け入れられない結果に対する保険くらいに位置付けた方がいいのかもしれない。

セーブ/ロードは言わば「偶然に対するチート」だ。このゲームの最大の長所である「自由」は、プレイヤー自身が何をすべきか考え、実行し、その結果がゲームの世界に反映されることで生まれている。この自由は「チート」によって事後的に結果を選別すると、損なわれかねない。

このゲームから感じる「面倒」は、「自由」と表裏一体であり、プレイヤーの態度によってどちら側に倒れるかが決まるのだろう。自分のいまのプレイはオンリーワンの試行だと、「一回性」をプレイヤーに感じさせられるか否かが、自由・面倒を隔てている。
Baldur's Gate 3をイマイチ楽しめてない自分は、一回性を十分感じられていないのだろう。これは自分のプレイヤーとしての傾向や好き嫌いの問題だと思うが、その上で言わせてもらうと、このゲームは一回性を演出し、自由・面倒を自由側に倒そうという努力に欠けているきらいがある。

一部の選択肢は結果の予測可能性が低い(低そうに事前に感じる)割に、シビアな結果に繋がるように感じる。また、些細なミスで犯罪者扱いされたり、望まない戦闘に繋がることがある。予測可能性の低さはリソースの管理にも共通しており、戦闘やダイスロールの難易度を緩和するリソースをどのくらい消費してよいのかの相場が、少なくとも序盤は示されない(実際は、水薬も大休憩も導きもインスピレーションもガンガン使っていい)。

こうした予測可能性の低さが、セーブ/ロード乱用への誘惑に繋がっている。もちろんセーブ/ロードを自分が楽しめる範囲に留めておけば問題ないのだろうが、セーブ/ロードを使わずに悪い結果に直面して離脱してしまったり(セーブ/ロードが少なすぎる)、セーブ/ロードしすぎて面倒になってしまったり(セーブ/ロードが多すぎる)という事例はちらほら目にする。このゲームの面白さをフルに引き出せる遊び方を、万人がスムーズできるわけではなさそうだ。

というわけで、序盤しかプレイしていない自分のBaldur's Gate 3の評価は、「D&Dのデジタルゲーム化というオタクなコンセプトに多大なコストをかけ、膨大なコンテンツを高いクオリティで整備した、金字塔的な凄いゲームだが、やっぱりオタクなコンセプトなので人は選ぶ」という感じだが、自由・面倒を一気に自由側に傾ける銀の弾丸がある。

マルチプレイである。

マルチプレイをすれば、気軽にセーブ/ロードというわけにはいかないし、悪い結果が生まれたとしても友人とVC中なら良い思い出になるかもしれない。また、ゲーム実況を広義のマルチプレイとして捉えると、ゲーム実況者も気軽にセーブ/ロードをすることはできないし、行動や展開の幅の広さはゲーム実況への適性・耐性を高めている。
他者の存在が、Baldur's Gate 3の広大な可能性に一回性の輝きを与えるのだ。

こう考えると、Baldur's Gate 3をプレイする上で細かく不便だった点も、実はマルチプレイを基準に作られているような気がしてくる。例えば、探索中に手に入る戦利品の数があまりにも多すぎ、インベントリの整理や売却が面倒だが、それは戦利品が複数人分用意されているからでは?など。

そもそもBaldur's Gate 3は、対面で複数人がプレイするTRPGが原作なのだから、マルチプレイに最適化されていても当然ではないだろうか。

自分がBaldur's Gate 3をプレイ中に思っていたことは「このゲーム紙でやりたいな」で、Baldur's Gate 3にはUIの悪いデジタルカードゲームのような歯がゆさが感じられた。人間がファジーに処理したときには問題にならない、細かいストレスが現れているのかもしれない。
先ほどの「セーブ/ロードは、あまりにも受け入れられない結果に対する保険くらいに位置付けた方がいい」も、人間が処理するTRPGでは実現可能だ。自分が気に入らないからと言って「嫌だからやり直そう」とい言い出す奴はそうそう居ないが、あまりにも寒い結末になった場合は「これはこれとして、あそこからもう1回やってみる?」という提案もあり得るだろう。

思えば、昨今オンラインマルチプレイやボイスチャットは急速に普及した。一昔前の感覚では「VC必須ゲー」はネガティブに受け取られることが多かったが、今では多くの人が自然にVCを使っており、VCを前提とした(とまではいかなくとも、使うともっと面白い)コンテンツに対する評価も引き上げていくべきなのかもしれない。

この世界は一人で生きるには広すぎる。それでも一人で生きていくなら、自分の「メインストーリー」を信じ、あり得たかもしれない世界を覗き見るのはやめておこう。

それではよいお年を。

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