「ゲーム実況」の歴史をまとめました
「ゲーム実況」の歴史が詳しく書いてある文章があまり見当たらなかったので、自分で書いてみます。
(2月16日:文字による「ゲーム実況」を中心に追記)
(2月17日:ニコニコ動画初期とkukuluLIVEを若干補足)
・自分の認識や印象を記述することを主な目的としています
・歴史上重要だと私が考える出来事をピックアップしています
・追加すべき出来事や事実誤認の指摘、思い出語りなど歓迎です
~ 2003年:「ゲーム実況」以前
ゲームプレイの鑑賞
「ゲーム実況」文化が成立する以前にも、人がビデオゲームをプレイする様子を鑑賞するコンテンツは多く存在していた。
遡れば家庭用ゲーム機が日本に普及していく1980年代からゲームの販促を行っていた「ファミコン名人」が人気を集め、ゲームの攻略ビデオもリリースされた。
また、対戦ゲームの競技大会も盛んに開催され、『モーニング娘。』を輩出したことで知られるテレビ東京の『ASAYAN』では、格闘ゲーム『バーチャファイター2』が定期的に特集されていた時期があった。
これらのコンテンツは、いずれも上手なプレイを見ることが主な目的だ。
いまの「ゲーム実況」の主流である(技術的には)普通のプレイを面白おかしく見せるコンテンツがいつごろから普及しだしたのかは分からないが、最初に有名になったものは2003年放送開始の『ゲームセンターCX』だろう。『ゲームセンターCX』が日本初のゲーム実況だと主張する人も少なくない。
文字による「ゲーム実況」
ゲームを「実況」するという言葉の使い方は、どこから始まったのだろうか。筆者が確認できた範囲では、匿名掲示板『2ちゃんねる』の『実況ch』に、2002年3月27日「実況! ゲームキューブを買いました。」スレッドが立てられ、スレッド作成者が『バイオハザード』をプレイする様子が本人によって投稿されている。
2002年7月13日には、「【ドラクエⅢ】3日でクリアーします。【中継】」というスレッドが『ニュース速報』に立てられ、このスレッドは7月17日に「【実況】今やってるゲームを実況するスレ【速報】」に発展。これらがゲームを「実況」している初期の例だ。
なお、2001年にも「プレイしてるゲームを実況するスレ」が立てられていたが「クソスレ」と判断されたためか、ほぼ何も起こらなかった。このことは、2001年の段階では「ゲーム実況」という単語が定着していなかった傍証と言える。
これらの「ゲーム実況」は映像も音声も存在せず、プレイしている様子をプレイヤー自身が文字で説明することを「実況」と称したものだった。つまり、「自分がゲームをプレイしているという出来事を自分が実況中継している」のである。
2004年になると、2ちゃんねるに「なんでも実況」系の掲示板が整備され、『なんでも実況V』にて「好きなゲームをプレイしながら実況するスレ」が定着。ちなみにこのスレッドは、2004年9月4日に映画『バイオハザード』がテレビ放映された際、ゲームの『バイオハザード』を実況するスレッドが立てられ、そこから派生したスレッドだ。ここでもまだ、文字による実況が続いていた。
2003年:PeerCast
ADSLの普及とP2Pの登場
『ゲームセンターCX』が好評を博し、人のゲームプレイを視聴するのが面白いことは誰の目にも明らかだったが、『ゲームセンターCX』以前に流行していなかったのは何故だろうか。
大きな理由の1つは通信環境だと思われる。プレイ動画の送受信は帯域を大きく消費するため、高速回線がなければ気軽にできるものではない。
『Yahoo!BB』のサービスが開始された2001年ごろからブロードバンドの普及率が高まるも、その多くは光回線より低速かつアップロードの遅いADSLであり、大量の動画の送信には不向きだった。
ここで役に立ったのがPeer to Peer (P2P)技術だ。P2Pを用いたファイル共有ソフト『Napster』が1999年に登場すると、『WinMX』『Winny』『BitTorrent』『Skype』などのソフトが次々と生まれた。
『PeerCast』はそのうちの1つで、元来は音声のライブストリーミング配信をするためのソフトだったが、2003年5月にWMV形式の動画が配信可能になり、同年にリリースされた『Windows Media Encoder』と併用することで、ゲームプレイ動画のライブ配信が可能になった。
PeerCastによるゲーム実況
PeerCastによるゲームプレイ動画のライブ配信は、遅くとも2003年10月30日には行われていたと見られる。これは『ゲームセンターCX』の初回放送(11月4日)より早い。なお、6月14日にもライブ配信が行われていたようだが、この配信がPeerCastで視聴されたかは定かではない。
これらは『ル・マン24アワーズ』というレースゲームを、実際の「ル・マン24時間レース」に合わせてプレイする企画の参加者が、ゲームの様子を配信したものだ(2003年のル・マンが6月14日に開催されている)。
PeerCastによるゲーム実況が人気になったのは2004年末からだ。2ちゃんねるの『ニュース速報VIP』に、「今からpeercastでMGS3配信しながらプレイしようと思うんだが」スレッドが『メタルギアソリッド3』の発売日(2014年12月16日)に立てられたことをきっかけとして、12月19日に「今からpeercastでゲーム実況配信」スレッドが初めて立てられている。
こうして「ゲーム実況」は、「プレイの様子をプレイヤーが文字で実況するもの」から、「プレイの様子をプレイヤーと視聴者が一緒に実況するもの」に変化した。
元々「実況」という言葉は「実際の状況」の略であり、テレビ・ラジオ中継の実況者は「状況を説明」している。それに対し、双方向にやり取り可能なインターネットにおける「実況」は、何かを説明するだけでなく、「みんなで同じものを見て盛り上がる」文化だった。
ゲームプレイ映像のライブ配信が可能になったことで、「ゲーム実況」もインターネット以前の「実況」から、インターネットの「実況」に変化したと捉えることができるだろう。
ここで着目したいのは、新しい「ゲーム実況」が生まれた直後の過渡期において、「実況している人間」は実況者(配信者)と視聴者の両方だった点だ。すなわち、「主役」は配信者ではなくゲームだった。PeerCast黎明期は配信者が声を入れていない配信が少なくなかった。しかしここから、配信者のトークやリアクションに注目が集まるにつれ、ゲームの「実況者」は「視聴者と一緒に実況する人」から、「視聴者に実況される対象」へと変化していく。
PeerCastの文化
人気の配信内容は筆者の記憶では、スーパーファミコンなどのレトロゲームや『風来のシレン』シリーズの『女剣士アスカ見参!』。最新の家庭用ゲームや、『ファイナルファンタジーXI』『Fantsy Earth Zero』などのオンラインゲームをプレイする人もいた。
当時FPSはいまほど国内に普及していなかった上、最新のFPSをプレイしながら配信するのはPCへの負荷が大きく、誰もができることではなかった印象がある。そのため、レトロゲームや「アスカ」など負荷の低いゲームが好まれたのかもしれない。
また、PeerCastは専用のツールを用い、ファイアウォールのポートを開放し、専用のサイトにアクセスしなければ視聴できないなど敷居が高く、アングラな雰囲気があったためかゲームの著作権はさほど気にされていなかった。
バーチャルコンソールはまだリリースされておらず、ファミコンやスーパーファミコンのゲームは、ほとんどが違法にアップロードされたROMファイルを用いたものだっただろうし(なお、任天堂が2018年に海賊版配信サイトに対する訴訟を提起するまで、ROMファイルのダウンロードは簡単にできた)、「アスカ」もゲーム実況をきっかけとした人気の高まりによって定価の10倍以上の価格で取引されていたため、実際には所持していない人も居たと思われる(ちなみに再販は困難とのこと)。
「ゲーム実況は著作権法上グレーゾーンだったため、収益化が進んでこなかった」という話はよく聞くが、ゲーム実況黎明期はゲーム実況のグレーさに加え、ゲーム自体の出所も中々怪しかったということは指摘しておきたい(もっともダウンロードが違法なのは2010年の著作権法改正以降のことだが)。
視聴者数は、同時接続数が100以上なら人気配信者と言えるレベル。500以上は一部の配信者のみしか到達せず、1000以上は稀。以下のサイトで確認できるのは2010年ごろの記録だが、肌感としては2007年ごろの筆者の記憶とも合致する。
「PeerCast」は単に動画や音声をストリーミング配信するだけのソフトで、コメント機能は付いていなかったため、PeerCast配信者はイエローページ(YP)と呼ばれる配信情報登録サイトに配信情報を登録し、掲示板(スレッド)のURLを指定し、視聴者は記載されたURLのスレッドに書き込みを行ってコミュニケーションをとっていた(当初は共有のスレッドや掲示板を利用していたが混雑してきたため、『したらば掲示板』に配信者ごとの掲示板が立てられた)。
これらのレスは、2007年以降にリリースされた配信支援ツールによって自動的に読み込まれ、配信者の画面上にオーバーレイされたり、合成音声で読み上げられたりする。
YouTubeやTwitchのコメントは、配信者が読まなければ配信に直接的に影響を与えないが、PeerCastのレスはニコニコ動画の字幕と同様に、配信者の確認を経ずに配信画面に表示されるため、視聴者が配信づくりに参加する感覚はYouTubeやTwitchより強かったように思う。
PeerCastの視聴者は『ねとらじ』などのインターネットラジオの影響のためか「リスナー」と呼ばれていたが、ラジオの葉書・メール職人のような楽しみが感じられた。1つ1つ読める速度でレスが表示されるのは、視聴者数がせいぜい数百人程度までなので、いまの基準で見れば視聴者層の狭い環境がむしろ快適だ。
このようにPeerCastは、小規模かつ排他的な雰囲気を持つものの居心地の良い「村」のようなコミュニティで、PeerCastの配信や視聴をやめた今でもPeerCastに愛着を持つ人は少なくない。Twitterのbioに「7144」とだけ書いていたり、『RTA in Japan』に7144円を寄付する人はPeerCast村の出身だ。この数字はPeerCastを使うとき、解放するポート番号のデフォルト設定に由来する。
主なイベント
・アスカ駅伝
12月26~28日に開始される年末恒例イベント。「アスカ」の高難易度ダンジョン「裏白蛇」をリレー形式でプレイする。第一走者が1時間プレイし、セーブデータを次の走者に渡す。次の走者も1時間プレイしてセーブデータを渡す。これを繰りかえして裏白蛇のクリアを目指す。
第1回が開始された2006年当時は裏白蛇のクリアは凄いことで、初めてクリアできたときはとても嬉しいものだった。(ちなみに筆者がソロプレイのゲームで最も強い喜びを感じたのも、裏白蛇のクリア。)
そのため、何度トライしても中々クリアできず、100人以上が参加して年内にクリアできるかが焦点となり、大いに盛り上がった。
しかしPeerCastコミュニティ内で攻略ノウハウが広まると裏白蛇のクリアは大して凄いことではなくなり、次第にクリアを目指すというよりも恒例行事や交流を楽しむイベントになっていった。
・スーパーマリオブラザーズタイマンTAトーナメント
『スーパーマリオブラザーズ』のプレイを同時に開始し、先にクリアした方が勝ちというトーナメント。夏に毎年開催されていた。
元々レトロゲームの配信が盛んだったPeerCastではRTAも人気のコンテンツ。『RTA in Japan』などの大規模イベントが開催されるようになったRTAシーン黎明期の一端を担っていたのは、間違いなくPeerCastだった。
・初の逮捕者
人口が増えてもPeerCastのアングラな雰囲気は維持され、「何でもあり」かのような風潮が続いていたが、2009年に公開前の映画を配信した疑いにより初の逮捕者が出る。
これ以降、さすがに越えてはいけない一線があることを多くの人が察し、イエローページ側の警戒心も高まった。
2007年:ニコニコ動画(γ)
YouTubeとニコニコ動画
2005年に『YouTube』が設立され、多くの人が動画の投稿を気軽に行えるようになった。
『ニコニコ動画』は設立当初はYouTubeの動画に字幕をつけるだけのサイトだったが、YouTubeへのアクセスが遮断されると独自の動画投稿機能を実装し、2007年再オープン。現在のニコニコ動画になる。
PeerCast配信の録画をYouTubeに無断転載した動画がニコニコ動画内で人気になったこともあって、ゲーム実況はニコニコ動画の人気コンテンツになり、2008年に『ニコニコ生放送』が一般ユーザーに解放されると、ライブ配信を行う「生主」も人気になっていった。
ニコニコ動画・生放送は画質などの問題はあるものの、配信も視聴もPeerCastより圧倒的に容易な上、ニコニコ動画自体のユーザー数もゲーム実況とは無関係に多かったため、ゲーム実況の配信者・視聴者は爆発的に増加する。
一部のサイトでは「ゲーム実況の歴史」の起点がニコニコ動画になっているが、ニコニコ動画内にゲーム実況が広まった2007年が「黎明期の終わり」と筆者は認識している。
筆者はニコニコ動画・生放送でゲーム実況をあまり見ていなかったので、当時の雰囲気は分からない。ニコニコ動画の歴史に関しては、もっと良い記事がどこかにあるだろう。
ゆっくり実況
ここで、ニコニコ動画から生まれた動画スタイル「ゆっくり実況」についてもまとめておこう。まず「ゆっくり」とは、『東方Project』のキャラクター「霧雨魔理沙」と「博麗霊夢」の顔の上に「ゆっくりしていってね!!!」というセリフを追加したアスキーアート、をもとにしたイラストおよびキャラクターである。
これらのキャラクターは「音声」を持っていなかったが、『M.U.G.E.N』(オリジナルキャラクターをユーザーが追加できる2D格闘ゲーム)に「ゆっくり」を登場させた動画に、合成音声エンジン『AquesTalk』を利用したテキスト読み上げソフト『SofTalk』が「ゆっくりの声」として用いられたことで、独特のイントネーションの声が「ゆっくりボイス」と認識されるようになる(奇しくも、この記事の公開日のちょうど15年前である)。
この「ゆっくりボイス」で実況を行う、つまり動画に『SofTalk』で声を後付けする実況動画が「ゆっくり実況」である。
(確認できた最古の「ゆっくり実況」)
この動画スタイルはニコニコ動画で急速に流行し、YouTubeにも定着する。
ゆっくり実況の人気は衰えを知らず、時事や学問などを解説する「ゆっくり解説」や、RTAの画面構成「biimシステム」にも派生。
大本の『東方Project』は知らないが「ゆっくり霊夢」「ゆっくり魔理沙」だけは知っているという人や、ゆっくりをきっかけとして『東方Project』のキャラクターに興味抱く人も増加し、『東方Project』のファン層拡大にも大きく貢献した。
『東方Project』公認ゲーム『東方ダンマクカグラ』運営による、ゆっくりについてのゆっくり解説動画によれば、2020年10月時点で1000万件以上の「ゆっくり動画」があるという。
合成音声自体はニコニコ動画以前からあった技術だが、技術がプラットフォームやキャラクターと結びつくことで、カルチャーや型が生まれ、広まるという点では、「ボカロ」に近いムーブメントと言えるかもしれない。
ほかのライブ配信サイト
00年代後半以降は、ニコニコ生放送以外にも様々なライブ配信サイトが誕生し、各サイトごとに独自のコミュニティを形成していった。代表的なサイトをいくつか挙げておく。
・Stickam(2005年)
・Ustream(2007年)
・Livetube(2007年)
・kukuluLIVE(2009年)
・CaveTube(2011年)
・Mirrativ(2015年)
また、2ちゃんねるの『なんでも実況V』にて、PeerCastや配信サイトを使わずに、IPアドレスを公開して視聴者に直接接続してもらう配信スタイルが流行しており、そちらにもコミュニティが存在していた。
2009年:own3d
海外のゲーム実況
ここまでは国内のゲーム実況の話だが、海外の状況はどうだったのだろうか。筆者は海外のゲーム実況黎明期を直接体験しているわけではないが、軽く調べた内容も含め、まとめておきたい。
前述したように「ゲーム実況」以前から、ゲームのプレイ動画を鑑賞するコンテンツは存在しており、競技大会が盛んに開催されていたFPSとRTSは観戦人気が高かった。RTSは軽量のリプレイファイルを用いて試合の様子を再現できたが、FPSの観戦には動画の送受信が必要になる。
こうした動画が公開されていたのは、タイトルごとのコミュニティサイトや個人サイトが主で、多くの人が気軽にプレイ動画を公開できる環境ではなかった。また、リリース直後のYouTubeの画質はFPSの観戦に耐えるものではなかったため、『Stage6』など高画質動画共有サイトや、コミュニティサイト、P2Pファイル共有ソフトなどでの動画配信は、しばらく続くことになる。
さて、北米やヨーロッパで「ゲーム実況」に近い文化が始まったのは、2007年ごろの「Let's Play」動画とされている。「Let's Play」は元々スクリーンショットとテキストでゲームを紹介するものだったが、誰かが動画を用い始め、公開場所がYouTubeに移ったことで、ゲーム実況文化が形成されていった。
「Let's Play」の人気が高まったのは2009、2010年ごろと思われる。動画スタイルが、ゲームの紹介からプレイしている様子を楽しむものに変化したため、「Let's Play」という呼び方は次第にされなくなっていったが、ゲーム実況文化は北米・ヨーロッパにも定着した。
なお、韓国では『AfreecaTV』のサービスが2006年に始まっており、ゲームのライブ配信も行われていた。
own3dの登場
このように、北米やヨーロッパでは2007、8年ごろから「ゲーム実況」動画がYouTubeに投稿されており、高い画質を求めるコアゲーマー層はそれ以外の手段で動画を共有することもあった。
ここにゲーマー向けライブ配信サイトの『own3d』が2009年に登場する。手軽に高画質動画をライブ配信できるown3dはたちまち人気になり、ゲームのライブ配信を行う主な手段となった。own3dは競技大会のパートナーやプロチームのスポンサーになり、競技大会のライブ配信もown3dで行われるようになった。
own3dと同時期にリリースされたタイトルに『League of Legends』がある。
『League of Legends』のプレイヤーがown3dに飛びついたのは言うまでもない。『League of Legends』は日本でも人気になり、日本のゲーマーも『League of Legends』の配信をown3dに見に行っていた。
(『League of Legends』初期の人気配信者の切り抜き。eスポーツチーム『CLG』の創設者でもある)
また、YouTubeが2007年に「YouTubeパートナープログラム」によって、動画投稿者へ広告収入の分配を開始していたのと同様、own3dも配信者へ広告収入を分配していた。これによってライブ配信のマネタイズが容易になり、「ストリーマー」が職業として成立することになる。人気のストリーマーの視聴者数はよく10000人を超えていた。
ちなみに日本向けの広告のバリエーションが少なかったためか、『薬用せっけんミューズ』のCMが頻繁に流されており、CMの「宝探しはじめ!」というセリフは当時の日本の『League of Legends』コミュニティでは有名なミームだった。
2011年:Twitch
Justin.tv
起業家のJustin KanとJustinの仲間は、オンラインカレンダーKikoを立ち上げ、eBayのオークションで事業を売却したあと、次の事業としてJustinの生活をインターネットで24時間ライブ配信するサービスを2007年にリリースした。これが『Justin.tv』である。
Justin.tvはその後、誰でも利用可能なライブ配信サイトに発展し、2010年に黒字化を達成するも、Ustreamが先行するライブ配信事業において成長が停滞してしまう。
ここでRTSの『StarCraft II』がリリースされ、Justin.tv内で『StarCraft II』配信が盛り上がるとともに、Justin.tvの社員も『StarCraft II』にドハマりする。Justin.tvはゲームカテゴリを切り離し、別サイトとすることを決断。こうして『Twitch』が誕生した。
own3dの閉鎖
Twitchとown3dは当然、シェアを争うことになった。そんな中、own3dの資金繰りが悪化し、ストリーマーへの収益分配が滞るようになる(支払いが滞納されたからストリーマーが離れたのか、Twitchの参入で視聴者が減ったから資金繰りが悪化したのか、どちらが先は不明)。
own3dは閉鎖され、受け取れるはずだった収益を受け取れなかったストリーマーやプロチームも打撃を受けた。
『League of Legends』の世界大会(World Championship)の配信サイトを見ると興味深い。2011年の第1回大会はown3dで配信され、翌年の第2回大会はTwitchとown3dで行われ、その翌年の第3回大会開催時にはown3dは既に存在していない。
(第1回大会の様子)
Twitchの躍進
競技大会も含め、ゲームのライブ配信は北米・ヨーロッパに関しては一時期Twitchの一強状態だったと言えるだろう。Twitchは2014年、Amazonに9億7000万ドルで買収され、ビッグ・テックの一員となる。Twitchは日本市場にも進出し、2015年に日本語対応、2017年に日本法人が設立される。
国内の競技大会はTwitch以前は、ニコニコ生放送・Ustream・PeerCastなどが併用されていたが、Twitchが浸透するにつれUstreamやPeerCastは使われなくなっていった。
この流れは競技大会ではない通常のゲーム実況も同様で、元々Webサービスやゲーム関連情報への感度の高いPeerCastの配信者が、簡単に視聴でき、高画質で、収益化のチャンスもあるTwitchへ移行するのも無理はない。PeerCastもいよいよ「村」から「限界集落」になりつつあった。
2013年:YouTube Live
ゲーム実況YouTuberの台頭
2005年のリリース当初は画質の良くなかったYouTubeだが、画質は徐々に改善され、収益化も可能になったため(非ライブ)ゲーム実況動画の投稿先は徐々にYouTubeが主流になっていった。YouTubeからゲーム実況を始めた新規投稿者も増え、ゲーム実況YouTuberが勢力を増していった。
また、この時期『Minecraft (2009)』『パズル&ドラゴンズ (2012)』『モンスターストライク (2013)』など、国内外で大ヒットタイトルがリリース。それらのタイトルもゲーム実況の配信・視聴者層を拡大した。
YouTube Live・Facebook Gaming
ゲーム実況動画において支持を固めつつあったYouTubeに、2013年ついにライブ配信機能が実装される。当初は、非ライブはYouTube、ライブはTwitchという棲み分けがされていた印象があるが、ライブ配信を主とするゲーム実況YouTuberも増加。
現在、海外は先行するTwitchのシェアをYouTubeと2018年参入の『Facebook Gaming』が奪おうと競っており、国内は近年のFPS人気の高まりもあってTwitchの視聴者数が急伸する状況となっている。
2014年:OPENREC.tv
配信者引き抜き合戦
ニコニコ動画の投稿者がYouTuberになって収入を得ていたころ、ニコニコ生放送の生主も「本来は収益化できる人たち」なのではないか、という機運が高まっていく。
そんな中、登場した国産のゲーム実況サイトが、CyberAgentグループのCyberZによる『OPENREC.tv』だ。OPENREC.tvはニコニコ生放送・PeerCastなどで人気だった配信者を報酬によって引き抜き、ゲーム実況プラットフォーム事業で優位を築こうと試みた。
こうした戦略はOPENREC.tvだけでなく、Tencent傘下のDouYu Japanが2019年に立ち上げた『Mildom』や、海外ではMicrosoftの『Mixer (2017)』も実行している。
しかし率直に言って、この戦略はいずれも成功しているとは言い難い。OPENREC.tvもMildomも大きなシェアは獲得できていないし、Mixerに至っては3年でクローズしている。配信者の引き抜き合戦は、言わば企業間の足の引っ張り合いではないだろうか。いつの間にかゲーム実況のプラットフォーム事業はGoogle・Amazon・Facebook・Microsoft・Tencent・CyberAgentがしのぎを削る、地獄のような市場になっていた。
これは筆者の考えだが、特にOPENREC.tvはニコニコ生放送・PeerCastという、どちらも匿名掲示板文化を引き継ぐコミュニティから配信者を引き抜いたことも影響しているように思える。OPENREC.tvもまた、匿名掲示板的なToxicなコメントの多いサイトという印象があり、サービスが広まる足かせになっていたかもしれない。
RAGE
このように事業としてはあまり上手くいってなさそうなOPENREC.tvだが、OPENREC.tvの視聴者獲得施策として生まれた総合eスポーツイベント『RAGE』はすくすく成長し、今や国内トップレベルのeスポーツブランドとなっている。今後もRAGEの成長と、OPENREC.tvの行く末に注目しよう。
2016年:バーチャルYouTuber
キズナアイの誕生
2016年12月1日。YouTubeにある動画が投稿された。
バーチャルYouTuberの誕生である。
その後、キズナアイはゲーム実況中にFワードを連発する様子が海外でバズるなど、ゲーム実況においても存在感を見せつけていった。
にじさんじ・ホロライブ
現在のVTuber2大事務所は『にじさんじ』の『ANYCOLOR』と、『ホロライブプロダクション』だろう。これらの事務所はどちらも2018年に運営を開始し、所属「タレント」の多くはゲーム実況のライブ配信を主な活動内容とした。
様々なスタイルのVTuberが登場し、「VTuberとは何なのか?」「VTuberとはどうあるべきか?」などの議論が行われる中、両事務所のVTuberの人気は急拡大。VTuberの標準的なイメージは両事務所タレントのものになった。
バラエティ企画や歌やダンスまでこなし、強力なファンダムを持つ有名VTuberはゲーム実況アイドルとも言うべき存在になっており、ライブ配信の視聴時間ランキングの上位に常に入るなど、一大勢力を築いている。2017年からYouTubeがスーパーチャットを実装していたことも、ファンの熱量が高まりやすいアイドル活動に追い風だ。
なお、いま人気VTuberとして活動する人の中には、過去にニコニコ生放送などで活動していた人が少なくない。ゲーム実況文化を担ってきた生主のマネタイズは、OPENREC.tvでは上手くいかない事例も見られたが、VTuber事務所が大きな成功をついに収めたと言えるだろう。VTuber事業の成長は、新しい技術やトレンドと、脈々と受け継がれてきた文化が出会って生まれたもので、ゲーム実況20年の歴史上、1つのマイルストーンとして評価されるべきだろうと筆者は考えている。
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