「どん底に大地あり」の意味を噛みしめる

少し前まで、私のようにステージ1で比較的早期と言われる乳がん患者が、自分の経験を発信しても意味があるのか、疑問に思っていました。もっと大変な治療をしている人はたくさんいます。抗がん剤に比べると私が行っているホルモン治療は副作用も少ないと言われます。ホルモン治療を開始してから体調不良に陥り、日々、涙している弱い自分。

でも、そんな弱い自分だからこそ、気づくことがあるし、発信できることがあるはず。諦めることや途中で立ち止まることだって、勇気が必要です。

これまで、果敢に病に立ち向かい、スーパーポジティブに乗り越えていく人たちの記事や本から元気をもらったのも事実だけど、それと同時に、そんなに強くなれない人もいる、と思う自分がいます。果敢に立ち向かうだけでなく、自分の弱さを認めて受け入れていくことも必要なのではないか、そんな風に思います。

手術後、ステージ1でホルモン治療(タモキシフェン)を開始してから1年3カ月。浸潤癌のため、転移・再発防止を目的にホルモン治療をすることを選択しました。乳癌に罹患すると反対側の胸も癌になる確率が3倍~5倍になると言われるので、その予防も兼ねています。

しかし、治療スタートしてから体調不良の波が約3か月おきに襲ってきます。不眠、身体が痛くて倦怠感で鉛のように重く、ベッドから起き上がれず、何も手につかなくなり、ただひたすら不安で心が揺れて涙が止まることなく流れます。

2020年の年末に来た波は、これまでのものより大きく、期間も長い。何とか周囲にばれないように家事・育児とフルタイムの仕事をやってきましたが、それも限界にきている。身体と心がとうとう悲鳴を上げてしまったのです。

まず、業務の遂行に不安を覚え、上司とチームメンバーに状況を告げるところが大きなハードルでした。これまで必死に体調不良を隠しながら仕事をしてきた私の不調に周囲の人たちは全く気付いていませんでした。今まで「できていたこと」が「できなくなってしまった」自分の不甲斐なさを職場の人に伝えることも、とても勇気がいるものでした。

これまで、仕事を優先するのが当たり前の価値観にどっぷり浸かっていました。育児があっても、フルタイムで仕事をすることが自分の中でとても重要なことでした。かつて、子どものためにパート勤務を選ぶ先輩を見て、そういう選択をする人はいるけど、自分には理解できないと思っていました。

でもいま、フルタイムで働き続ける体力に自信がなく、子どもと向き合う時間を優先させたくて、パート勤務も視野に入れている自分がいます。

色々な事情が重なって、色々な選択肢を自分で選んでいく人がいることに気づかされます。

うつ病を患って「私はみんなみたいにできない」と泣いていた、かつての同僚のことも、当時の私は理解できていませんでした。ただやる気がないだけで文句を言っているだけではないか、と思っていました。

いま、初めて自分があのときの同僚の気持ちが実感として痛いほど分かる自分がいます。気持ちを奮い立たせようとしても、心と身体がついていかない。自分では全くコントロールできないのが辛いのです。

産後うつになったときもそうでした。出産する前は、待望の赤ちゃんが無事に産まれて幸せ絶頂のはずなのに、なぜ子どもを残して自殺までする人がいるのか理解できませんでした。でも、自分がなってみて、その辛さが身に染みて分かります。子どもは可愛いのに、とにかく辛いのです。

自分が経験しないと本当のところは理解できない。本当にそうだと思います。

昨年、毎朝楽しみにしていたNHKの朝ドラ「エール」の一場面で、「どん底に大地あり」という言葉を知り、それが私の希望の言葉になっています。

長崎医科大学の医師、永井隆さんの言葉だそうです。原爆投下の長崎で、家族や家を全て失い、あまりの惨状に悲しみと苦しみにもがいていた人々を医師としてだけでなく、長崎復興のために図書館設立や子供たちのための活動などに尽力してきた方だと知りました。

そんな永井さん役の吉岡秀隆さんが原爆投下後のあまりの悲惨さを嘆く人たちに向かってドラマで発した言葉。

「落ちろ、落ちろ、どんどん落ちろ。最後にどん底に大地があるまで。。。」

どん底の大地に降り立ったら、その後にようやく希望が見えてくる。それまでは、気持ちが落ちるところまで落ち続けるしかない。

原爆投下の日本を思うと、自分の身にいま降りかかっていることは大したことではない。26年前の阪神淡路大震災や10年前の東日本大震災の被災者も「どん底」まで落ちたはず。

乳がんになったとき、初めて死を本気で覚悟しました。そのとき「幼い息子を残して死ぬわけにはいかない。息子の成長を見守るため、生きるためにできる治療は全てやろう。」と誓いました。

またあのときの死を覚悟して苦悩する日々を過ごしたくない。転移・再発の可能性が少しでもあるならば、ホルモン治療はやらねば後悔する。そう思って治療を始めました。

「ママ、しまないで(死なないで)。僕がママみたいに大きくなるまで、しまないで(死なないで)」

そう言って抱きついてきた息子のためにも私は生きなければ。でも、今は毎日のように泣いている姿を見せている。

病気になって手術したときも、なぜ片方のオッパイがなくなったのか、時間をかけて自分の病気について息子に話しました。そしていま、私の体調が悪いのはその病気の治療のためだということも、一生懸命、分かるように伝えました。

早くどん底の大地に着地したいけど、まだ落ち続けている。

とうとう、ホルモン治療をお休みすることを決めました。

まずは1カ月。休んでみて自分の身体がどうなるかを見てみよう。

治療の効果と副作用のバランスで、副作用の方が大きい場合は、やらねばならない決断。

分かってはいるけど、この決断もとても勇気のいるものでした。

自分が初めて癌を告知されたときの、子どもを残して死ぬことを本気で考えた日々の苦悩。転移・再発を告知されたら、あの時以上に苦しむことは目に見えています。それを防ぐために始めたホルモン治療をやめるのは勇気がいることです。

でも、まずは一歩。弱い自分を認めて、少しだけ進んでみる。

まだ「どん底の大地」は見えなくて、落ち続けているけれども、いつか大地に触れることを信じながら、「諦めること」「やめること」も大切な選択の1つだと受け入れていきます。

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