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女性蔑視に違和感を抱いていたら自分が一番女性蔑視をしていたという話

はい。今回は気取って常体使うのやめます。
常体苦手なんです。敬体の方がすらすら言葉が出てきます。
なんでですかね。時間があれば考えてみたいところです。

やることがあるときに限って、書きたいことが降りてきます。
私はこれを「天啓」と呼んでいるのですが、世間ではどうやら「現実逃避」と呼ぶらしいです。世知辛いですね。


では、ライトノベルのようなタイトルをつけたところで手短にいきましょう。


私は肉体・性自認ともに女です。恋愛対象はおそらく男だと思います。

ここ最近、私の周りに男性が増えました。
とはいっても恋愛的な意味ではありません。たまたま男子率の高い集団に属しているというだけの話です。
現在はたまたま女1人という地獄のような男女比率の中で生活しています。
さながらオタサーの姫、というシチュエーションに聞こえるかもしれませんが、実態はむしろ逆です。

私の所属している集団は、「男らしくあること」を重要視する価値観の下で成り立っています。
(これは差別等ではなく、そうした文化の一種です。ですので、「男らしくあること」を大切にする価値観については否定しないよう、お願い申し上げます。)

「男らしくあること」を重要視するということは、裏を返せば「女」を出すことはあまり望ましくないということになりますね。そりゃあそうに決まっています。いや、出したっていいのですが、女としての特別扱いを求めるのは失礼というものでしょう。
とはいえ、こうしたホモソーシャル的な世界観の中だと、どうしても飛び出してくる発言があります。

「まあ、女だからな」

いや、めっちゃわかるのよ。
女と男とそれ以外それぞれとじゃ、住んでる世界が違うのよ。
当たり前なのよ。
そう思いつつ、なんとなくもやもやした気持ちがあるのです。

いったいこの感情は何なのか。

ここで、私は過去の経験を振り返るという行動に出ました。
私は小学生時代、仲のいい女友達に嫌なことを言われた経験がありました。
それくらいなら誰にでもあるでしょう。ですが私の場合、現在の自分のコンプレックスや見た目・性に関する悩みの根源がすべてそこにある、といっても過言ではないくらい重い経験でした。

彼女は、しょっちゅう私に皮肉と嫌味をぶつけてきました。
普段はいい子だし一緒にいて楽しかったのですが、ふと皮肉・嫌味モードに入ってしまう瞬間があったんですね。
普段楽しかっただけに、言われたときのショックが大きかったです。
最後まで慣れることはなく、ずっとつらかったのを覚えています。

また彼女は、損得勘定のできる器用な人でした。
権力のある人を選んで、笑顔でついていくのがとても上手でした。それができず、目を付けられがちだった私とは大違いです。

その時彼女に対して抱いた嫌悪と羨望は、やがて「女の性質って嫌だ」という思いに変わっていきました。

というのも、彼女やその周りのふるまいを観察していて(自分も彼女のようになりたかったので観察していました)、上記の特徴は他の女の子ほぼ全員に共通するものだと判明したからです。異論は認めますが、ややこしくなるのでここでは触れないでおきます。

そして、女の性質への嫌悪感は、そのまま自分の特別視につながっていきました。
平たく言えば、「私はあんな奴らとは違う!」という思いです。自分のことを、他の女とは違う特別な存在だと思っていたのです。

だって、自分が嫌いなものになんか、絶対なりたくないじゃないですか。

だから意識から変えていこうとしていたのです。

中学高校時代は女子校で、女ではない(女以外の性自認を持つ)人こそいましたが、全体の雰囲気としてジェンダーの概念が薄い空間で育ちました。

そのため私は、大学に入って初めてジェンダーの概念と激突したのです。

ジェンダーの概念を強く持っている異性と話すと、嫌でも突きつけられてしまうのです。
あーあ、どうあがいても女なんだなあ、と。

女であることそのものが嫌なわけではありません。
むしろ前述の友人の影響で、私は「女らしくあること」を目標に長年生きてきた節すらあります。

ですが、ひとたび「女だからな」と言われると、反逆心がわいてくるのです。

それは、「私は確かに女だけど、普通の女みたいに嫌な奴じゃない!」という、なんとも性格の悪い本音から出てきていたのです。

女以外が発する「女・女性」という言葉に敏感に反応してしまうのは、女性蔑視されていると感じるからではなかった。
自分も「女の嫌な性質」を持った「女」であると突きつけられるから嫌だったんだ。

ああああ 最悪だ
損得勘定や妬み嫉み僻みの要素を強く持った「女」であるなんて認めたくない。

はい、ここで気づいた方がほとんどでしょう。
私、いま女を下に見ていますよね。

損得勘定だの妬み云々だのが女の性質かと聞かれるとその時点で怪しいですよね。私の主観ではそう感じてしまいますが、こういった暴言がスラスラ出てきてしまうこと自体、私が女性蔑視者であることの証明です。

女性蔑視に違和感を抱く原因そのものが、自分の持つ女性蔑視意識だったのです。

タイトルそのままですね。伏線回収です。

では、どうすればいいのか。それは私自身、現在進行形で模索しているところであります。

ですが、まず一番大切なのは気づくこと。
人への否定は自分に跳ね返ってくるといいますが、逆も然り。人からの否定は、自分の否定を映す鏡のようなものなのかもしれません。
この文章を読んで、「あ、私もコイツと似たとこあるかも」と感じた人が一人でもいれば嬉しいと思います。


私自身も、この気づきを糧に色々な事象を考え直してみたいです。

小学生の作文のような締め方をしたところで、終わりとします。






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きのしたもさお
くだらないことばかり考てしまう人間のことを、もっと知ってくださると嬉しいです。