カテゴライズは、ときどき平和
「人のせいって、ときどき平和よねえ」
これは数年前、古文の先生から聞いた言葉だ。
当時高校生だった私の耳には、かなり性格が悪い言葉に思えた。キラーワードだ。キラーワードすぎる。そう思った。
とはいえ分かることには分かるので、クラス全体、苦笑いでやり過ごしたことをよく覚えている。
大学生になった私は、たまたまではあるが、男だらけの集団に属して日常生活を送ることになった。
私も、私とつるんでいる奴らも、当然人間だ。意見がぶつかることはあるし、どう頑張っても理解しあえないことだってある。
しかし、だからといって相手を嫌いになれるほど単純な話でもない。
自分も相手も人間なのだから、悪いところや気に食わないところがあれば、良いところも好きなところもある。
私はどちらかというと、相手の良いところや好きなところに目を向けて生きていきたいと思っている。恨むのって精神力使うし。
とはいえ、だからといってぶつかり合いや無理解をすんなり受け入れられるかは別問題だ。
それこそ人間が人間である限り、嫌なものは嫌だし、痛いものは痛い。
これはきっと相手にとっても同じで、どちらが悪いという問題ではない。ただ、価値観や環境を超えた、その人の持っている「世界」のような何かが決定的に合わないだけなのだ。
そしてそれが合わないということは、「否定はしないように気を付けるけど、どうしても理解できない」「理解はするけど共感はしない」といった態度を凶器にすることにもつながる。
分かりやすく言うと、「理解してもらえない・共感してもらえない=否定されている」ように感じられてしまう事態を招くわけだ。
(もちろん各個人の認知の歪みはあるだろうが、ややこしくなるので今は触れないでおく)
実際に私は上記のように感じ、苦しくなった時期があった。
いや、あったというより、物心ついてから人生のほとんどをこうした苦しみに費やしてきたといっても過言ではない。
そして半年ほど前、ふと思った。
こんな自分勝手な理由で、相手のことを嫌いになりたくない。
少なくとも私にとってこれは、縁を切る理由としてくだらなすぎる。
私は無意識に、人をカテゴライズする言葉を使うようになった。
一番わかりやすいのは、「男って~だから」である。
他にも、「女ってそうだから」「中学生ってそうだから」「陽キャってそうだから」など、様々な亜種がある。
これは、個人を嫌いにならないようにするための責任転嫁だ。
分かりやすい例を挙げよう。
例えばあなたが陰キャだとする。
普段あまり参加しない飲みの席で、あなたは普段されないようなキツいいじりをされた。
周りは笑っている。場の雰囲気は盛り上がっており、みんなとても楽しそうだ。自分の評判も上がってきているのを感じる。
しかしあなたは、そのいじりがどうしても辛く感じられてしまった。
私がこういう状況に置かれたとき、脳内で使うのは「陽キャって~だから」。
つまり、性格の悪いカテゴライズの魔法である。
ここで重要なのは、悪者を、「相手個人」ではなく「陽キャ」という架空のモデルに仕立て上げていることだ。
正確に言えば相手が悪いわけではない。自分が悪いわけでもない。
強いて言うなら、自分と周りが合わないことが悪い。それだけだ。
だが人間は、追いつめられると単純な思考しかできなくなる。
つまり、自分が悪いか、相手が悪いか。どちらのせいでこうなっているのか。
そういうラクな考えに流れてしまうことがほとんどである。
そこでせめて、「相手が悪い」という考えに流れないようにカテゴライズを使うのだ。
ここでいう「陽キャ」とは、実は存在しない概念だ。
冷静に考えてみてほしい。陽キャとはどんな人間だ? 目に見えるもの以外で彼らに共通するものは一体何だ?
そんなものはない。ひとりひとりそれぞれ違って当然だ。
チャラチャラしたプレイボーイに見えても、中身はものすごく誠実で不器用だったりするかもしれない。華やかな格好をしたギャルに見えても、本当は根暗な引きこもりだったりするかもしれない。
みんなが同じように思い描く「陽キャ」なんて、本当は存在しないのだ。
しかし、だからこそ「陽キャ」という概念は役に立つ。
「陽キャ」を悪者にしたところで、その時点では誰も傷つかないからである。
だって存在しないから。
話し合ってもどうにもならない不適合や不快を感じたとき、カテゴリーや属性に責任転嫁する。
そうすることで不毛な嫌いあいを防げるし、余計なストレスも溜めずに済むのだ。
人のせいって、平和よねえ。
この言葉が私の中で、数年越しに腑に落ちた。
ただひとつ注意しなければならないのは、
責任転嫁したカテゴライズを人に押し付けないこと。
「陽キャ」が悪い、とするまではいいが、「こいつは陽キャだからクソだ」などと考えるのはよくないということである。
カテゴライズは、あくまで架空の概念。
カテゴリーも属性も本当は存在しないもの。
それを強く意識することが、カテゴライズの魔法を使う第一歩である。
(いつもそうですが、イラストお借りしました。イラストや写真をご用意してくれている皆様、ありがとうございます)