『古くてあたらしい仕事』からつづく日々を

字を追って、逸った気持ちで何かをこぼしてしまわないように
砂浜をふみしめるように文字を辿った。

昨年の11月29日、神保町のBook House Cafeで開かれた刊行イベントで
サインしていただいた本を手にしていたものの
気持ちが落ち着いたところで読みたいと思っていたら、
年末年始を過ぎ
大寒間近になっていた。
これはその時の断片的な話。



本の中にあったのは、夏葉社をおこしたきっかけ、それからの日々。
書店を、読書を、本をめぐる思いの数々。

文章を追ううちに、
今の仕事に就くまでの自分なりの変遷をいつしか重ねていた。

社会人になって曲がりなりにも勤めた会社を辞め、編集の世界に飛び込み
荒波に抗ってみたもののただ迷う日々を経て、
自分のペースを見極めながら
それでも本づくりの世界には携わっていきたい。
そんな紆余曲折を経て飛び込んだ、今の世界。

がむしゃらに仕事をする20代は過ぎゆき
身体や暮らしとのつり合いを探す日々のなかで
自分にできることを模索し続けた。

島田さんの言葉は、糸を1本1本編むように
細やかで取り違えのないように摘まれた花のように
少しずつ少しずつ世界を彩っていくようだった。

「平たく言えば」と、つい流してしまわれそうな折りでさえ
愚直なまでに、
「嘘をつかないように」「言葉が先にいってしまわぬように」と
言葉が注意深く紡ぎだされていたように思う。

本の中では「はたらくこと」について書かれているのと同じくらい
「本を読むこと」「本とは」ということについても書かれていた。

読書論というようなことではないけど、
本と向き合うこと、人にとって本がどういうものなのか。
本をつくる側の仕事をしながら
そのことについて、当たり前としている部分が多くて
あまり深く考えられていなかったことに気づかされた。

実は最近まで、フィクションをあまり読んでこなかった。
自分にとっての読書は
「知らないことを知ること」という知的好奇心や

情報収集が基本となっていて
物語を読みたいと思うことは稀だった。
時々、特定の作家の本を思い出したように買っては読む。
そのくらいで。

でも、月刊誌や商業印刷の仕事が増えるにつれ
自分にとっての読書が、少しずつ変わってきた。

口語調の短文、情報が詰め込まれた誌面ばかり見るようになって
そうではない文章を無性に欲するようになったのだ。
情報伝達を目的に書かれたのではない、無心で追えるような、
ただその世界に身を置けるような文章を読みたい、
そう思うようになった。

そんな時、書店に勤める友人が勧めてくれたのが庄野潤三だった。

近年、1960〜1980年代の旧作邦画を観ることが多くなったので
最初はその邦画の世界を見ているようだなとぼんやり思っていたのだけど
だんだんとその世界に耽ることで心地よくなっている自分に気づいた。

淡々として、劇的な何かがあるわけではないけれど
読んでいるうちに、不思議と心の中が耕されていくような。
島田さんは本の中でそんな庄野潤三の作品について
「普遍的なもの」という表現を用いていた。

島田さんが書かれた庄野潤三についての文章を読んでいるうちに
もっと彼の作品を読みたいと思った。
そして、夏葉社さんで出されている本を他にも読んでみたいと思った。

もともと、夏葉社さんに興味を持ったのは
永井宏さんの『サンライト』の復刊イベントに足を運んだのが発端だった。

出版社としての存在は知っていたものの
「ひとり出版社」としてのイメージや情報が先に立っていたけれど
ずっと気になっていた永井宏さんの本を出版されると知り、
荻窪のTitleで開催されたイベントに行ってみたのだ。
そこでもっと話を聞きたいと思い、
その後の都内のイベント全てに足を運ぶことになった。

そのときのことはもし機会があれば書いてみたいと思うけれど
そんな経緯があって、島田さんが著作を出されると知り
せっかくだからお話をまた聞きたいと思い
冒頭のイベントに行ってみたのだった。

イベント後のサイン会で、校正をしていると話したら
島田さんは「本当にいつも校正の方にはお世話になっているんです」と
話してくださった。

日々、何万字と向き合うなかで、文字の波に埋もれながら
いつも所在ないような心持ちでいる。
「わたしの見ている文字は、果たして見たままなのだろうか」と
怯えに似た心持ちのまま
一字一字祈るように、辿っては遡っている。

自らの感覚を、認識を何時も疑わずにはいられない校正という仕事。
でもそれが故に、何度追おうとも、初めて目にする大河のように
文字と接しようとする自分がいる。

少しずつ書籍に比重を置きたいとは思いつつも
雑誌や商業印刷の世界で
日々追われるように文字と向き合う日々を送るわたしにとって
島田さんの言葉は身が引き締まり、
日々しっかり自分の仕事を省みようと
姿勢を質されるような言葉たちだった。

「自分の仕事に嘘をついてはいまいか」
「今日この日に、真摯に働いて歩み進めることができただろうか」

日々はその積み重ねだ。
webの世界が半秒先を常に畳みかけるような毎日のなかで
本づくりに携わる我々は
最早時代に逆行し、取り残されたような文化遺産と扱われることさえある。

それでも、それでも、わたしは本のある世界で抗い続けたいと思う。

本が誰かを救う局面はかならずある。
それがたとえ明日でも、5年後でも、10年後でも。
未来にいる誰かが、心の拠り所とするような、知識の礎とたどるような
そんな書を遺す世界の片隅で生きていたいと思う。

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