ロックンロール・ハイスクールの必須科目/「ブルース・ブラザース」
個人的な話だが、昔、レンタルビデオ店でバイトしてたときや、バンドリハーサルスタジオで働いていた時、誰もが好きという映画が2本あった。一つは「バック・トゥ・ザ・フューチャー」、そしてもう1本が今回紹介する「ブルース・ブラザース」だ。観たことがない、という人はいたが、この映画が嫌いという人に会ったことがない。自分は親が洋楽好きでレイ・チャールズなどのリズム&ブルーズや、そこにルーツを持つローリング・ストーンズといったバンドの音に慣れ親しんでいたので、「ブルース・ブラザース」を初めて観たときは、流れる音楽がいちいちカッコいいので悶絶した。それもそのはず。この映画はジョン・ベルーシという無類のブルース・マニアと、ダン・エイクロイドというこれまたマニアックな性癖の持ち主が、ジョン・ランディスというコメディの狂人と出会ったことで生まれた稀に見る音楽映画の傑作であるからだ。
〇ブルースへの愛情から生まれた稀有なバンド
1978年のある夜、俳優ジョン・ベルーシは、劇団の友人であるダン・エイクロイドが経営するモグリの飲み屋にいた。BGMに流れていたレコードを耳にしてダンに尋ねた。「これなに?」「ブルース」。ジョンはイリノイ州育ちだったが、シカゴに住んでいたことがあるにも関わらず、ブルースをまったく知らなかった!彼の好きな音楽は、レッド・ツェッペリンやブラック・サバスといったハードロック。高校時代はロックバンドでドラムを叩くほどのめりこんでいた。一瞬でブルースにはまってしまったジョンは、大量のレコードを収集、どっぷり浸かることになる。
当時の彼は、所属していた劇団のメンバーが出演する生放送コメディ番組、「サタデー・ナイト・ライブ」(以下、SNL)で人気を博していた。もちろん、ダンも出演している。番組には、プロのミュージシャンを集めた専属のバンドがいた。前説の時間で観客をあたためるためのライブもやっていた。ダンは、飛び入りしてブルース・ハープを吹くこともあった。これが素人とは思えない腕前。ジョンはそれを見て、ダンとSNLバンドに「ブルースバンドやらないか!」と声をかけた。ジョンの熱意で、すぐに実現。番組内でジョンが蜂の着ぐるみを着てブルースの名曲「アイム・ア・キング・ビー」を歌う、出オチコントで演奏を披露した。
これがおもしろかったので、ジョンとダンは本格的なキャラ作りに入る。同時に、交流のあった若きブルースマン、カーティス・サルガドにアドバイスを求め、番組内バンドで終わらない本物のブルースバンドになることを誓った。今は下火になっているブルースを、アメリカの真の音楽として知らしめるためだ。
ジョン・リー・フッカーなどのブルースマンに敬意を表し、黒ハットにサングラスを着用。スーツは、役人にも犯罪者にも見えるという理由で、黒。ネクタイも黒。バンドもジョンとダンが中心となって追加の人選を行い、以下のような布陣となった。ジョン・ベルーシ(Vo)、ダン・エイクロイド(Vo、Hp)、ポール・シェイファー(Key、音楽監督)、スティーヴ・クロッパー(G)、マット・ギター・マーフィー(G)、ドナルド・ダック・ダン(B)、スティーヴ・ジョーダン(Ds)、アラン・ルービン(Tp)、ルー・マリーニ(TS)、トム・スコット(TS)、トム・マローン(TS、etc)。現在でもバリバリ活躍中の名前が並ぶ。注目すべきはクロッパーとダック・ダン。2人はメンフィス・ソウルの老舗レーベル、「スタックス」の中核を担ったブッカーT&ザ・MGズのメンバーだ。MGズは、オーティス・レディングやサム&デイヴなど、スタックスのレコーディング曲ほぼすべての演奏を担当。クロッパーは、オーティスとの共作曲も多かった。2人をバンドに招いたのは、本物の音を取り入れようという覚悟の現われだ。
メンバーは、スカウトの過程で「ジョン本人が電話で熱意を伝えてきた」と口をそろえる。ジョンとダンが本気だからこそ、このメンツが実現したのだ。ステージでは、ジョンは「ジェイク」、ダンは「エルウッド」と名乗ることにした。バンドは装いを新たにSNLに登場。番組音楽監督で作曲家のハワード・ショアが、ステージに2人を呼び込む際に勢いで「ブルース・ブラザース!」と紹介したのがそのままバンド名になった。選曲はリズム&ブルースやソウルの名曲。反響は大きく、俳優スティーヴ・マーティンのコメディ・ショーの前座ライブがブッキングされた。前座とはいえ、しっかりレコーディングされたこのライブは、すぐにソウル音楽の総本山アトランティックからライブ・アルバム「ブルースは絆」としてリリースされた。サム&デイヴのカバー「ソウルマン」がシングルヒットし、アルバムはダブル・プラチナを獲得した。
○ステージからスクリーンへ
BBの映画化はすぐに決まった。ダンは人生で初めて映画の脚本を書いた。ハリウッドでは、脚本は150ページ以内に収めるのが常識とされているが、ダンのやる気はとどまるところを知らず、300ページ以上に達した。彼は表に電話帳の表紙を貼り付けて提出した。税金の支払いに行き詰った孤児院を、犯罪以外の方法で救うためにバンドを再結成するBBの物語。ほかに、BB2人の生い立ち、乗っている車の由来、バンド結成までの過程などがビッチリ書かれていた。監督には破天荒を絵に描いたような男、ジョン・ランディスが選ばれた。ランディスは、渋るダンを説得しながら不要なディテールを整理。120ページの撮影台本を完成させた。この映画で、ダンはブルースの復活、ランディスはミュージカルの復活を目論んだ。彼らは、過去の名曲をセリフのように場面に当てはめていき、ジェームス・ブラウン、レイ・チャールズ、ジョン・リー・フッカー、キャブ・キャロウェイ、アレサ・フランクリンの5人の起用を決める。黒人音楽の大物ばかりだったが、ディスコ・ブームの最中にあって仕事が激減していた彼らは出演を快諾した。
〇甦る魂(ソウル)
BBと映画の、「古き良き音楽の再評価」という存在意義を浮き彫りにする逸話がある。5人のなかで一番の大御所であるキャブ・キャロウェイ。1930年代から活躍するエンターテイナーだ。映画で使うために、彼の持ち歌「ミニー・ザ・ムーチャー」をレコーディングすることになった。BBバンドの演奏は、30年代調のビッグバンド風。キャブはこれが気に入らず、持ち前のサービス精神で70年代らしくディスコ音楽にしてほしいと言った。しかし、ランディスはその申し出を断った。そのうえ、へそを曲げたキャブに本気を出させるためにテイク1をボツにする荒業に出た。「もっとグレートに!」「グレートならいいんだな? 最初からそう言え!」。キャブはグレートなテイクを1発で録り終える。結果、このテイクを使用した彼の出演シーンは、映画と彼のキャリア両方のハイライトになった。キャブだけではない。本来の持ち味を発揮したJB、アレサも、この映画で新しいファンを獲得。第一線に戻ることになったのだ。
〇そして傑作が生まれた
音楽だけではなく、ランディスが持つ破壊的な笑いのセンスもBBのキャラクターをうまく演出した。過剰なまでの爆発とスピード感溢れる破壊が随所で炸裂する。普通にしていても迷惑をかけまくるBBたちを、マッチョなカウボーイや、ネオナチたちが追う。ジェイクをつけ狙う元カノにいたっては、あらゆる銃火器を使って殺しにかかってくる。とくに2つのカーチェイス・シーンは、ランディスの過剰演出の中でも最たるものに数えられる。ショッピング・モールをまるごと使った屋内カーチェイスと、シカゴ市から提供された何十台もの中古パトカーを、次々にぶっ壊した市街カーチェイスだ。どちらもアクション映画の何百倍も迫力がある。また、建設中の高速道路からすっ飛んだネオナチの車がシカゴの上空高く舞い上がるシーンでも、実際に車をヘリで吊り上げて落とすという何の工夫もない方法を採用、「本物の迫力」を作り出した。
映画は大ヒット。続編の構想は撮影中からすでにあったそうだが、ジョン・ベルーシが急死したため、叶わずに終わった。1998年、ランディスとダンがタッグを組んで、続編「ブルース・ブラザース2000」が製作された。ふたたびバンドが結集、B・B・キングやエリック・クラプトンなど新たなゲストも大挙登場したが、逆にベルーシ不在の大きさを浮き彫りにしているようだった。復活を歓迎する一方で、さびしさを感じたファンも多かった。
「ブルース・ブラザース」は本物の音楽と本物の馬鹿バカしさが幸福に混ざり合った傑作であり、これを観て人生の予定を狂わせてしまった者も多い。それほど強い魅力と影響力がここにはある。この映画はロックンロール・ハイスクールの必須科目、人生の教科書だ。
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