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【映画雑記】「Mank/マンク」の静かな怒り。

さて、映画「マンク」であるよ。
NETFLIXで既に配信中。

ハーマン・J・マンキウィッツ(=マンク)はなぜ「市民ケーン」の脚本を書くことになったかをアル中の見る夢のように時間を行ったり来たりしながらみっちり描いていた。
ゲイリー・オールドマンの熱演(配信吹替は山路和弘氏!)が素晴らしい。ほんとうに泣けてしょうがなかった。感涙とはこのこと。今回は特殊メイクで演じたチャーチルとは違って、ほんとうにぽっちゃりと増量して挑んでいた。監督のD・フィンチャーからの要請だそうだが、役者バカってすげぇな。

この映画は、静かに怒っている。

では、その怒りとは何か。
一昨年の秋公開の「ジョーカー」は衝撃的だった。世間からまるで存在しないかのように扱われ、挙句に見捨てられてしまったアーサーという男が、ジョーカーというペルソナを手に入れて世間に復讐する話だった。

「マンク」は「ジョーカー」と表裏一体、同工異曲に思われた。

マンクも怒っていた。「新聞」や「映画」というメディアを自由自在に操って「嘘」を「真実」として語り、人間の生き方や、生死までをも自在に操ろうとする人々に。ただ、「ジョーカー」と違うのはマンクは権力側、メディア側の人間であるということ。シュワルツェネッガーの言う「保身と冷笑」に満ちた世界だ。その彼が、その邪悪さとは裏腹に煌びやかな世界に嫌悪感を抱きつつ、怒っているつもりが実はどっぷりだったことに気づく。だから酒浸りにもなる。この敗北感。しかし、澱のように沈殿したその怒りは彼を「市民ケーン」へと向かわせるのだ。それはマンクが自分自身を取り戻すための戦いでもある。

その脚本に取り組んでいるマンクと今の俺は同年齢だった。愛すべき酔っ払いの怒りは、(「ジョーカー」のときもそうだったけど)自分の個人的な経験とどうしてもオーバーラップしてしまい共感せずにはいられなかった。

俺には傑作をものにする才能なんてものはないから、ひたすらこの映画をオススメすることしかできない。

観るべし!

追記:
マンクの「市民ケーン」執筆を支える書記のリタ(リリー・コリンズ)がほんとにかわいい。ワンダーウーマンとか、「ブレードランナー2049」のジョイとか、もともと黒髪、太マユ系の女性にはズキューンとなってしまうのですが、俺のスタメンに新たなメンバーがベンチ入りした感じ。俺には、恋愛感情とかそういうのとは違うレベルで、黒髪、太マユの女の子から呆れられつつチヤホヤされたい欲求があるようです。

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