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日本を出て得たもの

はじめに

noteのハッシュタグに #わたしの転職体験 とあり、自分の経験をシェアできるかなと思い書いてみることにしました。

Twitterやinstagramで、「どうして転職されたのですか?」という質問をもらいます。その質問に答えるとともに、そこで得たものを共有できたらいいなと思います。

まとめ

いきなり言いたいことですが、
もし日本を出る機会があったらぜひ挑戦してください。

そこで得られることは収入だけではなく、多くのチャンスだったり、「気づき」だったりします。

それがあなたを、もっとタフにしてくれます。

日本航空を離れる準備

2011年10月に10年お世話になった日本航空を離れました。
当時は日本航空が経営破綻の状況で、会社再生などの準備が進んでいる時期でした。

1000人ほどの現役パイロットが条件付きで解雇が言い渡され、組合と会社が交渉をしている最中、私自身は解雇の対象にはならなかったのですが、いつ次の解雇のメンバーが言い渡されるかもしれないと思ったので、就職活動の準備をしました。

具体的には、日本・海外のパイロットの就職先を調べていました。この時期は海外でパイロットが不足していたため、かなりの数の募集が出ていたのを覚えています。

ただし応募するためには「機長の資格」がどこも必要でした。海外ではこの資格は、経験などの条件が揃えばすぐに取得するものです。が日本では、会社内の機長昇格訓練の際に取得するのが慣習になっていました。

私は社内ではまだ機長昇格の時期ではなかったので、アメリカに資格を取得しに行くことにしました。

機長の資格(ATPL)取得


日本の機長の資格はICAOという組織が発行する資格で、アメリカではFAAという組織が資格を発行しています。

実際に就職活動においてはICAOでもFAAでも問題ないためアメリカでの取得を考えました。日本では会社内の機長昇格試験を待つ必要があったため、海外で取らざるを得ない、という感じかな。

ただ、このライセンスは、座学試験は日本で受けられるものの、シュミレーター訓練が3週間ほどあるので、どうしても会社を1ヶ月ほど休まなくてはなりません。

当時、海外にライセンスを取得しに行く=転職を考えている。という状況で、堂々と会社に有給の理由を説明してライセンス取得はできません。色々と理由をつけて有給を当ててもらいました。

訓練はシアトルのボーイングで行いました。

予約や支払いは個人で行いますし、事前に座学の試験は日本で終わらせてきました。予定通り3週間ほどで訓練を終了しFAAの機長の資格を取りました。

この訓練において、教官になってくださった方が、もし海外の航空会社を考えているのなら台湾のEVAはどうだ?評判はいいぞ。と話をいただいたのが、きっかけでEVAを調べることになります。

EVAでの就職活動

内容は大きく3つ
・学科試験
・シュミレーター試験
・面接

これをクリアした人は身体検査に進み、検査に合格すると採用が決まるという形です。

学科、シュミレーターは当時日本航空でもB777を乗っていたので難しいと感じることはありませんでした。

面接では自分の話もきちんとしましたが、採用担当の方が真剣に、「なんとか私を採用をしたい」という気持ちがこちらまで伝わってくる雰囲気で進みました。ですから非常に話しやすい雰囲気です。

その時の日本航空は経営破綻直前で非常に雰囲気が悪く、キャビンクルーとパイロット、あるいはグランドスタッフもお互いに信用できない感じ。

乗員室には、「安全運航」と「海外のパイロット募集状況」の張り紙が並んで貼ってあるような状況でしたから、このEVAの採用担当の方が、真剣に私をリクルートしてくれたのはものすごく嬉しかったですね。

同じ「飛行機を飛ばす」という仕事をするのであれば、必要とされている環境でやりたい。そう感じずにはいられませんでした。これが日本航空を離れる理由になりました。

現在私が得たもの

入社後どのうような訓練や仕事、台湾の生活になっているかというのはまた別の機会に書きたいと思います。

ここでは、台湾(日本の外)に出て、今までの自分が持っていなかったものについて感じることを話します。

EVAのパイロットは8割が台湾人、残り2割は日本人を含む外国人パイロットです。出身は様々、アメリカ、ヨーロッパ、アジア、南アフリカ、韓国

彼らと飛ぶ時は色々な話をします。
家族、生活、収入、宗教、政治、文化、夢、教育
日本の文化が染み付いている私は、宗教や文化に関して視野が狭い…
相手の宗教や文化を聞いてもイメージが湧きません。また子供の教育をどうするべきか。今後の収入をどう作っていくか。

会社から給与をもらうことしか考えてなかったので、投資や自分のビジネスの話は全くできません。

しかしこういうことは、当たり前のようにみんな考えて動いているのです。

日本を離れたことで日本の「良さ」も再発見できました。
・水道水が飲める
・医者に行ける
・夜遊んでも危険ではない

当たり前のことだと思っていたことは実は海外では当たり前ではなかった。そんなことに気がつくことができます。

現在、日本を外から見ながら
日本の政治や教育、経済や今後のことについて注意してみています。
また私は台湾ドルでお給料をもらっているのですが、日本円ではない収入を得るということが、また家族としては一つの保険になっていることを感じます。

会社からの給与だけの体制というのは、仕事を辞めた時に大きなリスクになるので、副収入をどうやって作るか色々試しています。

そんな毎日を過ごす中で、自分のできることが増えていき、心も少しタフになってきているのを感じます。

誰もが海外で働くのが合っているとは言えませんが、もしその機会があったらぜひ、挑戦してみてください。

そこで得られるものは、日本にいたら絶対に気がつけない発見だったりします。その発見が自分の視野を広くしてくれます。

日本人は勤勉で、世界のどこに行っても
どんな分野でも活躍できると思っています。

もしこれを読んでくれたあなたが、
何か得るものがあったらぜひ私にも教えてくださいね🍀

#わたしの転職体験

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